資料請求
心に残る家族葬のロゴ
追加費用不要の葬儀

心に残る家族葬トップ > 葬儀のコラム

箱根駅伝の復路8区で最大の難所「遊行寺(ゆぎょうじ)」を調べてみた

今年も箱根駅伝の日が近づいてきた。自宅が戸塚、平塚間の往路3区、復路8区の沿道に近いので、毎年応援に出かけている。スラットした痩身の選手たちがあっと言う間に駆け抜けてゆく。その真剣で懸命な姿に感動し「頑張れ」と声援して私も青春時代に戻る。

武士の切腹による自決で「白い裃姿=死装束」が強く結びついているけれど

白一色の裃姿の武士が、三方に乗せられた短刀に手を伸ばし――といえば忠臣蔵などの時代劇でもよく知られた切腹のシーン。このことから「白の裃=死装束」のイメージが強くなっているが、実は白の裃は武士が葬儀に出る場合の衣装、つまり喪服だ。なぜ、映画やテレビでは喪服が死装束として使われるようになったのだろうか。江戸時代の切腹事情についてみてみよう。


閻魔大王の本当の目的は全ての人々を極楽浄土を送り届けることだった

今日も鬼才と称される歌川国芳(1798〜1861)の手による、「道外十二月ノ内 極月 大晦日の鬼」(1842年頃)という浮世絵がある。提灯を持ち、江戸の町人の身なりをした閻魔大王が、部下の鬼たちを従えて、町中を歩いているものだ。一体、何の情景を描いているのか?

海外で亡くなった場合の遺体搬送や火葬、諸々の手続きとそれらの費用を解説

最近海外にて日本人が事件により亡くなる旨報道されていた。事件に限らず事故や自然災害、遭難等によって海外で亡くなる日本人の数は年間で五百人程度であるとされる。このような場合相続や相続税の手続きはどうなるのだろうか。今回は、海外で親族が亡くなった場合の相続上の手続きについて簡単に解説してみよう。


仏教伝来は日本書紀の552年と上宮聖徳法王帝説の538年の2つが存在する

「538年仏教伝来――」歴史の授業でこう教わった人も多いだろう。葬儀や墓参りなど我々の生活に深く根付いている仏教だが、仏教の伝来については謎が多く、この538年という年でさえ不確実だ。仏教はいつ、どのようにして日本に伝わったのか。それを紐解くキーワードのひとつが「年号」にあるという。

フランスで深刻化している「宗教・教会離れ」はフランスだけでの問題ではない

フランスに旅行に行くと、田舎の小さな街にも一番目立つのが教会である。街の中心に建てられ、その街のシンボルとなっているように見えた。どれも造りが味わい深く重厚な趣であり、中に入ればタイルやステンドグラスなど静粛な中に優美がある。古きものを大切にするフランスらしい風景だと感じた。また教会から時を告げる鐘の音を耳にすると「あぁヨーロッパに来たんだなぁ」と実感するのだ。フランスはキリスト教でもカトリックが多数を占めており、「教会の長女」といわれている。また、国教をキリスト教とした最初の国でもあり、多くの聖人を輩出してきた。


キリスト教のターミナルケア「病者の塗油(びょうしゃのとゆ)」とは

宗教の重要な存在意義のひとつは死に直面した人の魂を救うことにあると筆者は考えている。しかし、多くの日本人にとって最も身近な仏教は、むしろ死後に出番を待って待機しているのが大方の現状である。一方、カトリックには「病者の塗油」という儀式が存在する。

会葬者が2万人にもおよんだという国会議員も務めた九州の大親分 吉田磯吉

2017年の消費者白書によると、調査対象13〜29歳の若者の中で、将来に「希望がある」と答えたのは日本では12.2%。アメリカの若者の55.6%と比べると、遥かに低い値となった。一方「希望がない」と答えた日本の若者は12.3%、アメリカではわずか2.8%しかいなかった。それは言うまでもなく「少子高齢化社会」によって、自らが年老いてからの年金受給は見込めないように思われること。しかも彼らにとっては遠い未来への不安ばかりではなく、今現在の日本国内の景気低迷、経済不安、雇用不安…など、「今我慢していれば、いずれは…」という、「明るい未来」への展望が全く描けないことから来ているのだろう。


町内会が仕切り近隣という理由だけで親しくもない人が数多く参列した半世紀前の葬儀

1975年(昭和50年)頃の葬儀の進め方は、現在とは著しく異なる。例えば葬儀をする場所は故人の自宅が多かった。そして、町内会が喪主と葬儀業者との間を調整し葬儀の進行を取り仕切る。大切な人を亡くしたショックと悲しみの中、葬儀の準備の冒頭で町内会から、いきなり「50万円を現金で用意して下さい」などと言われるのだ。この為、喪主はその準備に大わらわだった。喪主にとってその緊急の現金の頼みは、喪主の親子関係・親類だった。

曹洞宗の大本山が永平寺(えいへいじ)と總持寺(そうじじ)の二つある理由

私が銀行に就職して最初に配属されたのは横浜の鶴見支店であった。近くには總持寺があり、銀行の大事なお取引先で、時々お賽銭の集金を手伝いに行ったものだ。又、結婚前に亡くなっていた義父の葬儀も總持寺で行われたとのことで、その後改葬され新たに總持寺にお墓が建立され、最近亡くなった義母も義父のお墓に納骨された。ということで總持寺との縁はなにかと深い。總持寺は曹洞宗の大本山である。ところが高校生の時、修学旅行で行った福井県の永平寺も曹洞宗の大本山である。普通、一宗派に一つの大本山であるのにどうして曹洞宗には二つの大本山があるのだろうか。



このページのトップへ