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追加費用不要の葬儀

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インドネシアの葬儀に喪服はいらない?葬儀費用が生涯年収を上回る?

インドネシアでの葬儀に喪服は基本的に必要ない。一部では礼服を着用することもあるが、庶民はイスラム服か普段着である。普段着での参列なので、故人とは無関係の通りすがりの人も葬儀に参列することができ、誰でも食事をご馳走になることが出来る。多宗教の日本や、キリスト教が根付いている欧米諸国と違い、イスラム教が生活の一部になっているインドネシアでは、畏まった葬儀ではなく、普段通りの生活が色濃い葬儀になるからこそだろう。埋葬については風土柄早目に行われる。

東京都目黒区の五百羅漢寺で行われているお財布供養について

東京都目黒区下目黒にある五百羅漢寺(ごひゃくらかんじ)では、毎年3月12日の大祭の他、年に数回ある吉日(きちじつ)である天赦日(てんしゃび)にお財布供養を行っている。


古典落語の死神 西洋の死神 仏教の死神 いろんな死神

落語の「死神」を初めて聞いた。私は、落語には馴染みがなく聴いた事がなかったが、「死神」は最後まで面白く聞き入ってしまった。なぜなら死神がコミカルで、憎めない可愛らしさがあったからである。

北部九州の伝統行事として知られるお盆の精霊流しと秋祭りのくんち

新型コロナウイルスの流行による第一回目の緊急事態宣言から早一年が経過した。オリンピックをはじめとして、多くの行事も中止になった。人の移動が制限される中、感染拡大を予防するために、去年から帰省を自粛している人も多いことだろう。お盆に帰省して、先祖の供養をすることができず、もどかしい思いをした人も中にはいるだろう。


マレビト(来客・来訪者)が作り出す日常の中の非日常、そしてコロナ

なんとなしに今日も明日も明後日も普通にやってくるものと思っていると、突如として来訪者が姿を現し風景は一転する。文字通りの来客から、神、祖霊、死者と、来訪者は様々な形をとって非日常的な空間を作り上げてる。そして今、世界は招かざる来訪者による「非日常」が続く。

現代社会で喪失しつつあるつながりと神話の存在感の消失との関係性

ポールゴーギャン(1848〜1903)の代表作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」このタイトルは人間の一生を描いている。人の一生とは、気がつけば存在していて、自分が何者であるかを問い続け、死という未知の領域へ旅立つ。つまりすべてが謎である。「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し」とは、空海(774〜835) の言葉である(秘蔵法鑰)。科学では満たされない謎に対する存在の不安を、私たちは神話という「大きな物語」に依って生きてきた。


聖書やキリスト教が壮大なスケールで描かれる漫画やアニメを紹介

人気シリーズの完結作となる「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が公開されて、一か月が過ぎた。壮大なスケールで描かれる本作。タイトルにもなっている兵器「エヴァンゲリオン」はギリシャ語で福音を表す言葉である。また、ストーリーで重要なアイテムとなる「ロンギヌスの槍」や、敵となる「使徒」など、作中には聖書やキリスト教をモチーフとしたものが多く登場する。聖書やキリスト教は、その世界観の壮大さや神秘性から、多くの創作物に影響を与えてきた。今回は、聖書やキリスト教が描かれる漫画を紹介したい。

ブッダはアジャセに何をしたのか スピリチュアリティの本質とは何か

仏教は生きることは苦であると説く。特に終末期に直面する患者や、家族や恋人を失い、悲嘆に陥った人達などは激しい慟哭と孤独の中にいる。そうした苦しむ人を癒すためのケアに最も必要なことは「寄り添い、聴くこと」である。そこは本当の意味の「スピリチュアリティ」に気づく場となる。


神話にも登場し神道、キリスト教などの宗教とも深い繋がりのあるお酒

お酒は、古来より世界中の人々を魅了し続けている飲み物である。それだけでなく、人と神を繋ぐものとして、神事や宗教でも重要な役割を担っていることも多い。今回は、お酒と宗教との関わり合いについて見ていきたい。

日本でのホスピスやターミナルケアの原型となった「二十五三昧会」

現代に先んじること1000年前、日本におけるホスピス、ターミナルケアの原型といえる集団「二十五三昧会」(にじゅうござんまいえ)が僧侶たちによって結成された。彼らの信条・活動が病理を抱える現代社会に与えるヒントとは。



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