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墓地・葬送儀礼の簡略化・携帯化と、仏教の「携帯性」

墓・葬儀・法要の形式は簡略化の一途を歩んでいる。直葬、散骨、自然葬という言葉も珍しくなくなり、細々として儀礼儀式からよりシンプルな方向へ進んでいる。また現代は携帯化の時代でもある。パソコン、スマートフォンがあれば、かなりの割合でその「現場」に行かなくても事が足りるようになった。墓・葬儀・法要も例外ではない。一見、軽薄にも見える墓・葬儀・法要の簡略化、携帯化だが、その背景には仏教の本質を見ることも可能である。日本の葬儀のほとんどは仏式であり、世界宗教たる仏教本来の性格は「携帯性」にあったからだ。

出会いに恵まれた清水次郎長とそうではなかった金嬉老。二人の最期の違いとは

人には誰しも、心の中に憧れの人、自分にとって手本になる人、尊敬する人がいる。あるいは、反面教師という言葉通り、「ああは絶対なりたくない」という人物像や生き様がある。「昭和の大事件」ものの書籍やテレビ番組で必ずと言っていいほど頻繁に登場する「ライフル魔」「寸又峡(すまたきょう)立てこもり」の金嬉老(きん・きろうこと、キム・ヒロ。改名後、権禧老、クォン・ヒロ。1927とも、1928〜2010)の「こうありたい」という「性格」「生き様」を決めた人物とは誰だったのだろうか。


天皇陛下の墓所「天皇陵」について色々調べてみた

2019年4月30日をもって天皇陛下が退位され、上皇となって公務を皇太子さまに引き継がれる。そのため、皇室関連のニュースが連日報道されているが、1月7日、即位30年を迎えられた陛下が、昭和天皇三十年式年祭「山陵の儀」のため、東京都八王子市にある武蔵野陵を参拝されたというニュースを見て、私は、恥ずかしながら初めてこの武蔵野陵に昭和天皇が眠っている事を知った。そして、天皇の墓所や歴史についても知っているようで知らなかった事に気付き、これを機に少し調べてみた。

戦時中、自粛を強いられ禁演落語として祀られた浅草にある本法寺のはなし塚

年末年始は、普段よりもお笑い番組がテレビ各局で目白押しだ。それを「またかよ…」「ワンパターン」などと、あえて観ない人や、制作者側が「年末年始だから」といつものバラエティ番組よりも内容が過激になりがちなため、「下品!」「最悪!」と怒り出す人がいるかも知れない。しかし、かつて日本において、一部のお笑いネタが封印されたことがあった。1941(昭和16)年、東京メトロ銀座線・田原町(たわらまち)駅や、浅草国際通りにほど近い台東区寿町にある、本法寺(ほんぽうじ)内に立てられた「はなし塚」がそれである。


死者を埋めた場所に石を置くようになった理由や墓石へと発展していった歴史

2018年12月19日に、福岡県福岡市西区の「今津(いまづ)干潟」と呼ばれる海岸に注ぐ瑞梅寺川(ずいばいじがわ)の河口付近に、大量の墓石が放置されているのを、たまたま野鳥を撮影していた男性2人に発見されたことが報じられた。磨耗し、角が取れた墓石には「宝暦(1751〜1764)」、「明治」などの元号の後に日付らしきものが記されていたものもあったという。

永代供養で結局合葬されるなら最初から安価な合同墓も選択肢の一つ

最近、葬儀を実行しない直葬や海上や特定の山林原野にて遺骨を散骨すると言ったような、従来実施されていた葬儀や墓制に捕らわれない葬儀並びに墓制の有り方が注目を集め実施されている。そのような状況で、他人と同じ墓に埋葬される合葬墓、特に県や市町村が運営する公営合葬墓が高い人気で、募集時には定数の数倍の応募があり、直ぐに埋まってしまうほどであるとか。筆者も非常に興味があるため、幾つか調べてみた。今回は、合葬墓について触れてみたい。


「スピリチュアルペイン」ーー自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛へのケア

「スピリチュアル」とは、超自然的な力で、科学的な根拠とはかけ離れていると認識する人も多いだろう。しかしWHO(世界保健機関)が、憲章前文の中で健康の定義「肉体的にも精神的にも、そして社会的にも全てが満たされた状態であること」に、1998年「スピリチュアルに満たされた」という文言も加えることが提案された。結果として採択されなかったが、WHOで議論の対象になることから、スピリチュアルが科学知見から離れたものではないことがわかる。スピリチュアルに満たされるとはどういうことか。スピリチュアルケアの専門家である東北大学の谷山洋三准教授の事例研究を紹介する。

コロンビア大学のDeathLAB(デスラボ)が唱える「死の民主化」とは

近年、日本でもこれまでの伝統に捕われない自由な葬送の形が広く定着してきている。しかし、葬儀や葬送の形に関して、この先の遠い未来の世界にまで思いを馳せられる人は、そうはいないのではないだろうか。また、それが普通であると思う。欧米では、死や葬儀が死生学や社会科学という学問として定着しているが、その中でも、かなり大胆な発想を実現しようとしている人たちがいる。それがアメリカのコロンビア大学にある「DeathLAB(死の研究所)」だ。


埼玉県の毛呂山町にある「延慶(えんぎょう)の板碑」について調べてみた

埼玉県南西部の入間郡毛呂山町(もろやままち)川角(かわかど)の越辺川(おっぺがわ)南岸にはかつて、崇徳天皇(すとく、1119〜64、在位1123〜1141)を祀る寺があった。崇徳天皇といえば、勢力争いに翻弄された天皇のひとりである。父・鳥羽上皇より譲位させられた後に勃発した保元の乱(1156年)に敗れ、讃岐国(現・香川県)に流された。都への帰郷の思いも叶わぬまま、46歳の若さで悶死したと言われている。崇徳寺は、地元の人々の間では「しゅうとくじ」とも、「宗徳寺(そうとくじ)」とも呼ばれていた。

病を治すという奇跡の水が湧き出るルルドの泉の治癒率と本当の奇跡

世界最大の聖地とはどこだろうか。イスラム教のメッカ、キリスト教の聖墳墓教会など聖地と呼ばれる場所は数多い。中でもイェルサレムはイスラム、キリスト、ユダヤにまたがる世界最大の聖地といえる。しかしこの「最大」が巡礼者の数を指すならば、それは年間500万人の巡礼者が集まるフランス南部の小さな村、ルルドである。ルルドには聖母マリアが出現する奇跡が起き、万病を治癒するという有名なルルドの泉がある。医師に見放された病人や怪我人は救いを求めて聖地を目指す。しかしルルドはそうしたイメージにとどまるものではない。彼らがルルドに求める救いとは。



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