青森県は不思議な地である。イエス・キリストが眠るとされる「キリストの墓」が存在するはばかりか、イエスと並ぶ聖人、釈迦の遺骨が埋葬されていると伝わる「釈迦の墓」が存在する。
釈迦の墓
青森県の梵珠山には「釈迦の墓」と呼ばれる地がある。法相宗の僧で、玄奘三蔵法師(602〜664)の弟子、道昭(629〜700)が、唐に留学した際、師から譲り受けた仏舎利、つまり釈迦の遺骨を埋葬したものと伝わる。梵珠山では旧暦の4月8日と7月9日に釈迦の後光が下りる(御灯明)とされ、毎年8月頃に青森市が「火の玉探検ツアー」を催している。一方、青森には「キリストの墓」が存在する。こちらはキリストが来日して土着して亡くなったとされる。荒唐無稽な話であるが、今や地元新郷村の観光資源として知られている。一方、釈迦の墓は「火の玉ツアー」があるにせよ、地元民以外にはほとんど知られていない。画像を検索すればわかるが、地元の町おこしにもなっているキリストの墓に比べると、ひっそりとしている。
遺骨が埋葬された場所は確かに墓である。しかしそれが事実だとしてもあまり面白くはない。あの釈迦の遺骨が日本の山に埋まっているというのは歴史ロマンを感じさせはするが、キリスト来日に比べるとインパクトは薄い。そもそも仏舎利が埋葬されていれば釈迦の墓だというなら、日本国内には仏舎利が納められているとされる、「仏塔(ストゥーパ)」が無数存在する。これらはすべて釈迦の墓ということになり、梵珠山の墓を特別視する理由はない。その意味でも釈迦の墓は地味な存在である。
仏舎利
事実であれ創作であれ、仏舎利を埋めたのだから釈迦の墓だというのは理にかなってはいる。仏舎利とは釈迦の遺骨とされるものである。釈迦は滅後に火葬されたが、その遺骨の所有権を巡り、仏教に帰依する各部族の間で争いが起こりかねない状況となった。これを避けるために遺骨は8つに分骨された。遺骨はそれぞれの地で埋葬され塔が建てられた。これを「仏塔」と呼ぶ。仏舎利はさらに細かく分骨され、日本にも伝来されており、国内には仏塔が数多い。しかし釈迦の遺骨がそれほどあるわけはなく、ほとんどの仏塔には経典や宝石といったものが納められている。そのうち、タイ政府やインドの首相から寄贈されたものなど、公的な由来がはっきりしている、真の仏舎利とされるものは一部である。だがDNA鑑定などが行われるわけもなく、それら「真の仏舎利」が本当に釈迦の遺骨かどうかは知る由もない。キリスト教にも「聖骸布」などイエス由来の様々な遺物が伝わっている。モノの真偽よりも、そこは信仰の問題だろう。
釈迦とイエス
仏舎利が本当に埋まっているとしても、特におかしな話ではない。だが「キリストの墓」のインパクトは大きい。あのイエス・キリストが来日してこの地で生涯を閉じたというのである。イエスという人物は神の子というだけあり、やる事が何かと派手である。釈迦の死因は食中毒とされ、火葬されて分骨された。実に人間的だ。一方、イエスは死後3日後に復活し、その後は肉体ごと天に帰ったとされる。凄まじい話である。確かに人間ではない。それ故、原理的に「キリストの墓」はありえないのだが。またイエスは死者を復活させてもいる。有名な逸話はラザロの復活だろう。ヨハネ福音書によると、友人のラザロが病気と聞いて訪れたイエスは既に埋葬されていたラザロの墓の前に立ち、「ラザロ、出てきなさい」と言った。すると死んだはずのラザロが歩いてきたという。他にも病気を癒すために向かったが手遅れになった娘(マルコ福音書)、葬送の場に居合わせた際に男性(ルカ福音書)らを復活させたとのエピソードがある。
こうした奇跡に対して釈迦はどうか。キサーゴータミーの物語はよく知られている。まだ乳飲み子だった一人息子を失い、悲嘆に打ちのめされる女性ゴータミー。彼女は息子を生き返らせる薬を求めて釈迦にすがった。釈迦は一人も死人が出たことのない家から白い芥子の実をもらってくるように言う。幾件もの家を尋ね歩くゴータミーだったが、死者が出たことの家などなかった。ゴータミーは人は皆、家族の死の悲しみを受け入れて生きていること、死はどこの家にもあることに気づいた。「なぜ自分だけが」悲嘆に落ちている人はこう問う。しかし死の悲しみは自分だけではなかった。今や生きている人間より死者の方が遥かに多いのである。彼女はその後、釈迦の弟子になり尼僧となった。良い話なのだが、イエスの復活劇に比べるとやはり地味である。しかし日本人の多くは釈迦の方に心惹かれるようだ。日本はキリスト教が根付かない国として知られている。同じ青森でもカルト的人気を誇るキリストの墓と、ひっそりとした釈迦の墓の対比は二人の性格が感じられる。
聖人の墓
「釈迦の墓」を作ったとされる道昭は、日本初の火葬が行われたことで知られる。そして火葬後、その遺骨を親族や弟子が奪い合ったという。すると、つむじ風が吹き灰骨は何処ともなく飛び散ったと日本書紀は伝えている。自分の時と同じ光景に心を痛めた釈迦が起こした「奇跡」だったのかもしれない。それでも凡人は墓を建てる。聖人に寄り添い、死者に思いを馳せる。神が偶像崇拝を禁じても、仏が「空」を説いても、その心性は拭いようがない。二人の聖人の墓はそれを象徴している。青森県におもむいた際には足を運んでみたらどうだろうか。
参考資料
■新約聖書 新改訳 国際ギデオン協会
■赤松孝章「キサーゴータミー説話の系譜」『高松大学紀要34』高松大学(2000)
■拙稿 「青森県新郷村にある「キリストの墓」をめぐる歴史とその意味」