日本の宗教最大の特徴は「神仏習合」ではないだろうか。インドで生まれ中国で育った大乗仏教という外来宗教が、日本古来の神道と混じり合い、一体になっていく過程は、日本人の宗教心、信仰、習俗、死生観などがどのように形成されていったかがわかる。本稿では「神宮寺」と「神前読経」を概観して考えてみたい。
神仏習合は無節操か
お宮参りは神社、結婚式は教会、葬儀は寺院。冬場にはクリスマス、ハロウィン、バレンタインデーで大いに賑わう国、日本。さらに付け加えれば、仏壇の中心に鎮座する位牌は儒教由来のものであるし、葬儀を避ける友引などの「六曜」は中国伝来で陰陽道の影響が強い。宗教に対する他に類を見ない「無節操」ぶりは海外からはしばしば奇異の目で見られている。だがこれを宗教に対する寛容的な態度として捉えることはできないか。そしてその寛容は神仏習合の土壌故であると思われる。
「天皇、仏法を信じ、神祇を尊ぶ」日本書紀の用明天皇の段にあるこの言葉に、日本人の宗教心が集約されている。仏教伝来に際して全く軋轢がなかったわけではない。有名な蘇我・物部の崇仏論争は武力対決となり蘇我氏が朝廷の実権を握る結果となった。そもそも639年に舒明天皇が百済大寺を建立するまで、天皇による寺院建立はなかった。これは伝来から1世紀を経ている。決して無節操ではなく、それなりの時空を経て、神と仏は少しずつ距離を埋めていったのである。
神前読経
2022年、諏訪大社で150年ぶりに神前読経が行われた。近隣寺院の僧侶が「二礼、二拍手、一礼」の作法で玉串を捧げた。僧侶が柏手を打ち、神前でお経を読んだのである(1)。
神前で祝詞ならぬ仏典を読経することを「神前読経」と呼ぶ。宇佐八幡宮では天台宗の僧侶が法華経を講じる「法華三昧(ほっけざんまい)」という神前仏事が営まれている。天台宗開祖・伝教大師最澄が入唐の際に暴風雨に阻まれ、九州の地に留まざるをえない状況になり、宇佐八幡に入唐の成功を祈願した。その後、無事入唐を果たし、帰国した最澄は宇佐にお礼参りに訪れ、神前で法華経の説法を営んだ。これが「法華三昧」の始まりである(2)。僧侶が神社に人生最大の冒険の成功を祈願し、その御礼が仏教経典の王とされる法華経というのはよく考えると凄い話ではある。
神宮寺
神前読経が主に行われたのが神宮寺である。神社の境内に鎮座する寺院。神と仏が出逢う場である。宇佐八幡宮の境内にはかつて、三重塔や宝塔が立ち並ぶ巨大な神宮寺が存在したという。神宮寺は神仏習合の象徴といえるが、廃仏毀釈により甚大な被害を受けた。今に残る神宮寺としては福井県小浜市の若狭神宮寺がある。若狭神宮寺は薬師如来を本尊とする比叡山天台宗の寺院だが、本堂には神社でお馴染みの注連縄ががかっている。本堂の内陣には本尊・薬師如来坐像とその眷族十二神将。千手観音、不動明王、毘沙門天が並び、神の名が書かれた掛け軸がある。神仏習合これなりと言わんばかりの威容だ。この神宮寺では奈良の東大寺二月堂で行われる儀式「お水取り」が知られている。毎年3月2日、神宮寺境内の井戸で汲まれた水を鵜の瀬という河原に流す。これを「お香水」と言い、この水は東大寺二月堂の若狭井に届くと伝えられている。
縁起によると、東大寺は創建時に「神名帳」が読み上げられ、日本国中の神々が召喚された。その際に若狭の神が遅参してしまい、そのお詫びにと観音様にお供えする水を若狭から送ると約束したことが始まりという(3)。寺の創建に八百万の神々が呼び出され、遅れた詫びに観音菩薩へのお供えを約束するのである。神仏習合と言うが仏の方が神より偉いように思える。事実、神宮寺が創建された目的は神々を救うためであったという。
神身離脱
奈良時代に限ったことではないが、この時代は天候不順による不作や、疫病の蔓延など、社会不安が立て続けに起こり、日本古来の神々の力に疑問符が打たれた。これらの原因は神威が衰えているからではないのか。人々は不安を克服するには仏法の秘術しかないと考えた。しかし弱体化した神々を祀らなくなったとはならない。神威の衰えた神々を救い、癒すために神社の境内に寺が建てられた。それが神宮寺である。その過程で神々がその身を嘆き、解脱を願って仏法に帰依するという縁起が生まれた。そのひとつが藤原不比等の長男、藤原武智麻呂の夢告である。藤原氏の家伝「藤氏家伝」には、武智麻呂が越前・気比神宮の神より夢告を受けたとある。その内容は「自分は宿業により神となっているが、仏道に帰依し福業を積みたい。そのために寺を建て、わが願いを助けて欲しい」というものだった。これを受け武智麻呂は気比神宮の境内に寺を建立した。これが神宮寺の第一号とされる。他にも神がその身を嘆き、仏法に帰依したい旨の縁起が多く説かれた。こうして神宮寺は神が己の身を離れ仏道を歩む「神身離脱」を成就する場として、全国の神社に建てられ、僧侶たちが神々に経典を読む「神前読経」が行われた。僧侶が読経するのは神々を救うためなのである。
こうした動きは海外より伝来した仏教が神々を取り入れていくための戦略の感がある。だが従来の素朴な神祇信仰では様々な問題が解決できないのも事実だった。仏教が受け入れられた最大の要因は、生老病死を克服し国家を鎮護する呪術的効果であった。その後、神々は仏法を守護する者としての地位を与えられたり、神は仏の仮の姿だとする「本地垂迹説」などが成立し神仏習合は完成していった。そしてさらにその後には、「仏本神従」への反動として伊勢神道や復古神道などが登場し廃仏毀釈の遠因となっていくのである。
神と仏の国
廃仏毀釈、神仏分離令の大波を受けてもなお、日本人の中に神と仏は同居している。その反面、キリスト教イスラム教ら一神教が入り込む隙はほとんど無いと言って良い。一神教がほぼ根付かないのは、日本には神様仏様がみっしり詰まっているからである。かつて某元総理大臣が「日本は神の国」と言って批判されたが、一神教には理解不能な神仏習合国、日本は確かに「神と仏の国」であることは間違いない。神仏習合によって形成された日本の宗教観を無節操ではなく、寛容・多様性と捉えれば、現代の宗教問題の解決へ光を当てることができるかもしれない。
参考資料
(1)「神前読経150年ぶりに 仏像一斉公開前に上社本宮で奉告祭」信州・市民新聞グループ 2022年10月1日
(2)宇佐八幡宮ホームページ「法華三昧 奉修」
(3)東大寺ホームページ「お水取り」