お仏壇はお寺と同じ構造を持ち、仏様をお祀るする処だとのことを前回に書かせて頂きました。
もともと『壇』とは土を積み上げたところという意味で、そこを神聖な場所とし、仏様を祀って雨風をしのぐ為に屋根を付けたのが寺院の始まりだそうです。それで仏壇の『壇』は土へんが使われているのです。
白鳳時代から始まり室町時代を経て徐々に浸透
ではそんな大変なものがいつ頃から一般庶民の家にまで置かれるようになったのでしょうか。最初は白鳳時代に天武天皇が出された詔『諸国の家ごとに仏舎を作り、乃ち仏像及び教典をおきて持って礼拝供養せよ』からです。平安期の文学作品から貴族などは持仏堂を作ったり、一室を仏間として仏を祀っていたりしていたことが見てとれますが当時の大衆には無理だったでしょう。
かなり一般化したのは室町時代、浄土真宗中興の祖、蓮如が「南無阿弥陀仏」と書いた掛け軸を信徒に授け祀るように言ったことからと言われています。当時は書院造が武士階級に好まれ、床の間など飾るスペースが整っていたこともあるのでしょう。
決定的なキッカケとなったのは江戸時代の寺請制度
では本当に庶民に浸透したのはいつか、それは江戸時代だと言われています。幕府が宗教政策の一環である寺請け制度を始めました。つまり各家々が何らかの寺院を菩提寺とし、その檀家にならなければなりません。そしてその証として仏壇が設けられるようになったのです。当時は庶民の暮らしも安定し、余裕も出てきた頃だったのでしょう。
驚くのは位牌が仏壇に祀られるようになったのも江戸時代ということです。位牌とはもともと生きている人の氏名官位などを書き、神にゆだねる『儒教の祭具』として鎌倉時代に入ったもの。それを仏教が取り入れ、先祖供養の仏具として一般に用いられるようになりました。つまり仏壇に位牌が安置され、先祖を供養するのは日本独特のものなのです。
位牌が浸透したのも江戸時代だった
小泉八雲の『怪談』に「お貞(てい)の話」があります。昔、長尾という医者が死んだ婚約者の位牌を仏壇に納めそのそばに「彼女が生まれ変わったら夫婦になる」という誓紙を書いて供養したところ、「本当に生まれ変わった彼女と出会い結婚した」という話です。これを読むと江戸時代から明治にかけて、仏壇に位牌がおかれ死者との意思疎通のツールとしての位置を持っていたのが良く分かります。
現在死んだ人は千の風になって飛び回っているそうです。でもたまにはご先祖さまに休んで欲しい、傍にいて欲しい。その場所が日本独自のお仏壇ではないかと思うのです。