神道では死は穢れたものして忌避する。日本において葬儀は悩ましい問題だった。仏教が伝来して「死」を扱ってくれたが、近代になり古来の神道の死生観を復活させようとする機運が高まった。神と仏が住まう国の「死者」の行先とは。

古代日本の未確立な死後観と神道の穢れ思想
神社本庁のホームページ「神葬祭」によると、「古事記」に、アメノワカヒコという神の葬送の様子が記載されており、「八日八夜の間、歌舞をした」と、宴会を開いて弔った描写にある。これが神葬祭の起源だとしている。
古代の日本人は死後の他界観が確立されていなかった。これは死は「穢れ=ケガレ」とされ忌避されている神道の考えが根本にあるのかもしれない。そもそも神道と死、葬儀との相性は非常に悪い。6世紀に仏教が伝来すると、死後の世界観や葬儀の儀式が体系化されていった。仏式の葬儀は、持統天皇の大喪(天皇の葬儀)を転機として行われるようになり、中世以降は武士にまで広がった。さらに法然、親鸞、日蓮ら鎌倉新仏教が積極的に遺体の供養に臨むようになった。江戸時代になると、庶民は各宗派の寺院に所属する「檀家」となる「寺請制度」により、葬儀も寺院で行われることが完全に定着した。葬式仏教と揶揄されているが、その歴史は長く深いものがあったのである。
江戸期も中期になると日本古来の信仰を見直す機運が高まり、国学、復古神道と呼ばれる神道復興運動が台頭する。その代表的思想家が平田篤胤である。篤胤は祖霊信仰を日本古来の死生観として仏教から分離させ、神道による葬儀、神葬祭を提唱した。現在行われている神葬祭は篤胤以降のものである。そして江戸時代後、明治新政府は神仏分離令(1868)を出して神道と仏教を明確に分離し、国家神道を推進した。この流れの中で、神葬祭を行うことを奨励したが、葬式仏教の歴史の重みは変えることはできず、葬儀は現代に至るまで仏式が主流となっている。その一方で神葬祭も少数であるが行われている。
神葬祭の目的や流れ
神葬祭の目的は祖先崇拝、故人の霊を祖霊として家に祀るための儀式である。「仏壇」の代わりに「祖霊舎(みたまや)」を設置し、位牌に相当する「霊璽(れいじ」に死者の霊を移して祀る。墓地は「奥都城(おくつき)」と呼ばれる。なお、神社の境内では「不浄」な葬儀を行わない。流れとしてはまず「帰幽奉告」が行われる。神道では死亡することを幽世(かくりよ)へ帰るという意味から、帰幽(きゆう)といい、神に故人の帰幽を報告する。次に遺体を整えて安置する「枕直しの儀」、「納棺の儀」、仏式と同じ「通夜祭」、告別式に相当する「葬場祭 」 などが行われ、 火葬、埋葬。帰宅後に葬儀が滞りなく終了したことを、霊前に奉告する「帰家祭」を行い、一応の終了となる。その後も、仏教でいう四十九日に相当する「五十日祭」や「100日祭」などがあり、途中、故人の霊を仮御霊舎から祖先の霊をまつる御霊舎に遷す「合祀祭」が行われ、故人を祀るお祭りは50年目まで続く。詳しい流れは神社本庁ホームページを参照されたい。
平田篤胤の思想
神社本庁ホームページには触れられていないが、近代における神葬祭の確立に平田篤胤(1776–1843)は欠かせない存在である。近代における神葬祭の重要概念は篤胤の影響が大きい。篤胤なくして神葬祭、引いては神道=日本古来の死生観の見直しはなかったといってよい。篤胤は日本古来よりの祖先崇拝と、記紀に代表される神話の世界観を読み解いた。そして見出した日本古来の死生観とは「死者は近くにいる」である。篤胤によると、人は死後、魂(たましい)は「幽界(幽冥界)」に行き、祖先神(祖霊)となって子孫を守る存在になる。幽界は西方極楽浄土のような遠い場所ではなく、現世と重なって存在し、現世と変わらない仕組みを持つ。死は幽界への移行であり、「死=終わり」ではない。そ霊は決して消滅せず、現世の家族や子孫とつながりを保ち続ける。篤胤は現世のあらゆる場所に八百万の神が満ちている神道の教えを広げ、死者もまた我々の近くに満ちていると説いた。かつて流行した「わたしは墓にいません」と詠う「千の風」とは対照的な死生観である。「千の風」は綺麗な文章ではあるが、死は無であることを詩的に表現してぼやかしているように思える。私たちが会いたい「あの人」の個体はもう存在しないのだ。だが篤胤なら墓を指して「あの人はここにいる。この奥に住んでいて今もあなたとつながっている」と言うだろう。その「つながり」は仏教本来の教えには無い。仏教では無我、無霊魂、無神論を主張する、「無」「空」の宗教である。さらに輪廻転生観が存在する。そこには祖先崇拝の要素は全く無い。篤胤は仏式葬儀の矛盾を突いたのである。しかし政府主導の神葬祭は仏式葬儀を凌駕することはできなかった。
生きている死者
日本人の根本に祖先崇拝が根本にある限り、神葬祭は日本人の死生観に沿ったものだといえる。だがケガレの思想は葬儀とは相容れない。祖先崇拝とケガレの矛盾の中で、それでも死者を供養したい、死者と関わり合いたいという思いが仏式葬儀を生んだ。その仏式葬儀も形骸化しつつある。「近くにいて関わっていく死者」を説く篤胤の思想は、葬儀離れと言われる現代日本において新たな役目を帯びているといえる。
参考資料
■吉田麻子「平田篤胤 交響する死者・生者・神々」平凡社(2016)
■末木文美士「現代における浄土教の課題」 『真宗学』125号 龍谷大学真宗学会(2012)
■神社本庁ホームページ「神葬祭」