私の最初の葬儀の記憶は父方の祖母のお葬式です。初めてのことだったので、親戚が皆集まることや、ご近所の方が手伝いに来ることが、何やらお祭りのようで興奮したのを覚えています。それと同時に、忘れられないのが白い割烹着姿の叔母たちが台所で相談していた内容です。
話は祖母が使っていた茶碗について「いつ割るのが正しいのか」という相談でした。子供の私にはこんな時に何故、茶碗を割るのか不思議でした。
愛用していたお茶碗で一膳飯・枕飯を仏前に供える
後で知ったのですが、お茶碗を割るまでにも過程がありました。まずは一膳飯・枕飯といい、故人が生前愛用していたお茶碗に山盛りのご飯を供え、箸を中央に刺します。そして出棺時に故人がお弁当を持っていけるようにという願いを込め、お棺の中にご飯を入れます。そして最後に残ったお茶碗を出棺の時に割るようです。最近では霊柩車がクラクションを鳴らして出ていく際がタイミングらしいです。
ではなぜ茶碗を割るのか、それは故人が戻って来ないようにするためです。亡くなった事実をお互いに認識させるために、どこかのタイミングで線を引かなくてはなりません。しかしそれに対して、故人が何かすることはできません。だから、送る側の人たちが故人に向こうの世界へ行くように促すのです。そこで故人が愛用していた茶碗を割って、まだ近くにいる故人の霊に自分が逝かなくてはならないことを知らせ、送る側にも亡くなったことを再認識させる。そのために茶碗を割るという風習が生まれたのだといいます。
故人と悔いなく別れるための儀式
日本人らしい風習ではないでしょうか。ちなみに祖母の葬儀の際、結局茶碗を割るのは見ませんでした。しかし何故か、祖母の実際の葬儀の風景と共に茶碗を割る叔母のイメージが浮かびます。
ご存じない方には茶碗を割るという風習は変に思えるかもしれませんが、この行為には送る人たちの思いやりが込められているのです。出棺の際に声を出して「さよなら」を言う人はいませんが、その代わりが茶碗なのでしょう。