日本にはイエス・キリスト(前4〜後29頃)「キリストの墓」が存在する。荒唐無稽な話であるが、「キリストの墓」という概念には墓を求める人間の心性が込められている。
青森県新郷村にある「キリストの墓」
青森県・新郷村には「キリストの墓」が存在する。最近SNSなどで一般的に知られるようになったようだが、オカルト好きには基礎知識と言えるほど昔からの定番スポットである。
言い伝えによると、イエス・キリストはゴルゴダの丘から脱出し日本に渡来。20歳の女性と結婚して3人の娘に恵まれ106歳の天寿を全うした。ゴルゴダの丘で磔刑死したのはイエスの弟だという。
荒唐無稽な内容だが、新郷町は元々戸来村という村名で、戸来の文字が「ヘブライ」に通じること。地元に伝えられる祭唄「ナニャドラヤ」の歌詞は意味不明であるが、ヘブライ語と見立てて訳すと神を称える意味になるなど(柳田國男は否定)、多くのユダヤ文化の痕跡が指摘され一部の好事家の間で話題になった。
「キリストの墓」は竹内文書から始まった
ごく普通の視点で考察すれば、中・近世に渡来したクリスチャンが土着した話がキリシタンをめぐる歴史の中で融合し、こうした伝承となったというところだろう。ところがこの伝承は「竹内文書」なる奇書に記されているものであった。歴史学的には偽書とされているこの「竹内文書」を聖典とする宗教団体の教祖・竹内巨麿(1875?〜1965)がこの地を訪れ、盛り土を指し、文書に記載されている「キリストの墓」はここだとした。その後、考古学研究家・山根キク(1893〜1965)らが著書などを通じて紹介し全国に広まった。つまり元はといえば、新興宗教家がふらりと現れ、ここにイエスが眠っていると言っただけのことなのである。
現在は村おこしに活用されている「キリストの墓」
それでも地元では町おこしに活用されており、年一度のお祭りには数百人の観光客が集まる盛況ぶりである。普段でもお土産などが販売されたり、資料館まで完備されている。人口減少に悩む地元の人達にすれば貴重な観光資源であるし、イエスに感謝しているだろう。観光客もロマンとして楽しんでいるようである。ちなみに青森には他にも「釈迦の墓」の伝承があり、石川県には山根キクが「発見」した「モーゼの墓」が存在する。
「キリストの墓」という言葉の矛盾
本家本元のキリストの墓は諸説あるが、最も認知されているのが、ゴルゴダの丘と比定されるエルサレムの「聖墳墓教会」である。しかしキリストの遺骸は存在しない。これは当然である。キリストの墓などあるはずがない。「キリストの墓」なる概念自体が矛盾を孕んでいる。言うまでもなくイエス・キリストは死後3日後に復活したからである。
蘇ったイエス(キリスト教の特異生)
キリスト教は世界でも類を見ない特異な宗教である。ブッダ(前463?〜前383?)もムハンマド(571〜632)もゾロアスター(前18?〜前7?)も死んだ。死の際にいかなる奇跡が起きようと、とにかく死んだことは確実である。しかしイエスは一度死んだあと再び甦り、その後、(記述通りならおそらく肉体を持ったままで)天に昇ったとされる。さらに言えば聖母マリアも肉体と共に天に挙げられたとされている(「聖母マリアの被昇天」カトリックのみの教義)。
しかしイエス・キリストが神の子ではなく、人間であるなら遺骸は存在し、信者が墓を作っただろう。キリストは神の子であるとするのは公式の見解ではあるが、 イエスを人間として見る立場も存在する。
イエスを人間ではなく神の子とした(キリスト教の特異生)
イエスのもうひとつの特異な点は神が受肉、つまり肉体に宿って下界に降りた「神の子」であるということだ。非常に大胆な設定だ。ブッダもムハンマドもゾロアスターも思想家、預言者、宗教者である。人間として高みを極めてもあくまで人間である。イエスだけが人間ではなく神の子なのだ。そんなはずはないという人達も当然いた。イエスを人として崇敬する人達である。
神か人か。325年のニケーア公会議ではイエスを神の子とするアタナシウス派が公式見解となり、イエスは人間だと主張し同派と争ったアリウス派は異端と宣告されローマを追放された。この後アリウス派が盛り返すも、381年のコンスタンティノープル公会議で再びアタナシウス派が勝利した。しかし現在に至ってもユニテリアンなど、異端とされる各派は存在するし、近年では信仰としてのイエスではなく歴史的人物としての「史的イエス」の研究が盛んに行われている。
イエスが人間であるかどうかにこだわる理由と墓や遺骸を求めることの関連性
こうした歴史と現状を鑑みると、イエスが人間であるかどうかにこだわるのは、イエスの墓・遺骸を求めてのことなのかもしれない。墓や遺骸があった方が信仰しやすいからだ。イエスの思想・人生がどれほど素晴らしくても、民衆はわかりやい本尊を求めるものである。遺骸が無いなら遺品でも、イエスに由来するモノでも良いから欲しいと思うようになり、これがイエス本人や聖者たちの遺物、聖者の遺体などを崇拝する聖遺物崇拝という現象を生むことになる。
墓や遺骸を求めたのはキリスト教以外でも共通している
仏教でも同じことが起こった。ブッダは死後、その遺骨が分割された。これを「仏舎利」という。この仏舎利を信仰する現象が広まりを見せ日本にも伝えられた。蓮如(1415〜1499)が「仏法とは無我にて候」と言うように仏教は無我を説く。そもそも世界は諸行無常であり転変として窮まり無しとするのが仏教である。祖師を神格化して遺骨を崇めるなどは仏教の教えに反するといえる。しかし、遺骸や墓は信仰のモニュメントとなりうる。親鸞(1173〜1262)が自分の遺体は川に捨てて魚の餌にしろと遺言を残したにも関わらず、親鸞の遺骨は墓に納まり信仰の対象となった。
墓は時空をつなぐランドマーク
イエスが神か人かは墓の有無に関わる問題であるし、仏舎利や親鸞の墓は仏教の教えとは何の関係もない。それでもその人が確かに存在した痕跡を求めてしまう心性はこれほどに根強い。
アメリカで新型コロナによって亡くなった人達が葬られた無数の墓の映像を観たことがあるだろうか。それは生と死が交錯する風景であり、我々は永遠の問いかけを突きつけられる。例え同じ数の散骨を終えた後の、何ら変わりない広大な海の風景を見ても、この感情を抱くにはかなりの想像力が必要だろう。
過去の証人であり、我々いつか帰る終の棲家でもある墓とは、生と死、過去と現在と未来をつなぐランドマークであるといえるのではないだろうか。