日本には現代にあっても未だに継承される神秘的な祭祀、儀式が存在する。「裏の陰陽道」いざなぎ流もそのひとつである。その奥義には死んだ家族の祖霊を守り神に昇格させる秘儀があった。
裏の陰陽道?いざなぎ流
「いざなぎ流」は高知県香美市物部に脈々と伝承されてきた民間信仰である。この地域では今も太夫(たゆう)と呼ばれるいざなぎ流の祈祷師が、病気治癒や憑き物落としなどの祈祷、祭祀、神楽、占いなど、様々な宗教行事を行っている。その信仰形態は修験道、神道、密教などの諸要素が混淆し複雑きわまりない。中でも後述する「式王子」「晴明紋」など、陰陽道の要素が多く、「陰陽道 いざなぎ流」と称されることもある。民間信仰の中でもいざなぎ流は比較的知られている部類といってよいが、それは陰陽道ブームによるところが大きい。1980年代末期の荒俣宏の小説「帝都物語」をきっかけに、夢枕獏「陰陽師」がその後のメディア展開によって大ブレイクし、陰陽師・安倍晴明と陰陽道がブームとなった。そうした中、晴明の末裔で陰陽道本家となった土御門家を筆頭とする、宮中祭祀を司る正統派陰陽道に対し、いざなぎ流は異端の陰陽道、裏の陰陽道として歴史ロマンを飾ったのである。陰陽師は都の宮中だけの存在ではなく、土御門家の管理下から外れた有象無象の民間陰陽師も多くいた。仏教の僧侶にも国家から認定された官僧の他に、法然や日蓮ら野に下り民衆の為に活動した元官僧の遁世僧や、勝手に僧を名乗った私度僧がいたことと同じである。医者にかかることなどできない民衆たちにとって、病気治癒の祈祷などを行う民間の宗教家たちの存在は必要だった。彼らのような民間宗教家、祈祷者らが民衆に入り込み、土着信仰の交わって種々雑多な民間信仰形態が形成されていった。いざなぎ流もその一つである。なお、いざなぎ流の「いざなぎ」は、日本神話の「イザナギノミコト(伊邪那岐命)」でなく、「天竺いざなぎ様」なる天竺に住むいざなぎ流の太夫のこと。伝承では日本の巫女にいざなぎ流を伝えたという。
いざなぎ流の呪術
「裏の陰陽道」としてのいざなぎ流の祭事で最も興味を引くのは呪術だろう。太夫は「式王子」とを使い呪詛をかけることができるという。式王子の源流が陰陽道の「式神」であることはほぼ確実である。式神は陰陽師が駆使する使役神で、安倍晴明は式神を自在に操っていたと伝わっている。式神を使って治病や呪殺に行うことを「式を打つ」と言い、いざなぎ流でも同様である。また、いざなぎ流の祭祀には五芒星、いわゆる「安倍晴明紋」が認められる。本家である現在の陰陽道宗家・土御門神道には、少なくとも表面上は呪殺・調伏のようなおどろおどろしい響きの術は失伝している。その意味でいざなぎ流は、こうした方面に関心のある層にとっての陰陽道そのものなのである。しかし呪術はあくまでも裏の技法である。裏にも精通する必要があるというだけで、まともな太夫はまず手は出さないという。いざなぎ流本来の職能は病気治癒の祈祷や、祖霊再生の祭祀などにある。
祖霊を神に昇格させる祭祀
いざなぎ流は歴史の闇に伝わる呪術として関心を向けられた。いざなぎ流研究の第一人者、小松和彦氏がいざなぎ流の呪術的側面に着目したのも要因の一つであると思われる。しかし、いざなぎ流の祭祀で興味深いのはそれだけではない。「取り上げ神楽」という祭祀儀式がある。これは家の主人の霊を、その家の守護神として祭り上げる儀式だという。日本の一般的な民間信仰では、死者の魂はその一族の祖先霊として、田の神や山の神となり、子孫の繁栄を見守ってくれるとされている。その神は一年の初めにその年の健康や豊作を約束してくれるために子孫の家を訪ねてくる。それを歳神さまとして出迎える儀式が正月である。死者が歳神になるまでは一定の期間が必要なのだが、いざなぎ流はそれを自分たちで祭り上げる。なぜそのようなことをするのか。いざなぎ流では死後の霊はそのままでは冥府、地獄のような場所を彷徨うので、神に祭り上げなくてはならないとされている。まず、墓石の下に眠る霊を呼び戻す「塚起こし」という儀式を行う。太夫が墓地を訪れ、「荒ヒト神」として御幣に霊を宿す。この御幣を家に持ち帰り、取り上げ神楽が執り行われる。儀式では「行文(ぎょうもん)」という祭文(祝詞のようなもの)を唱え、霊を準神格化させる。これを「荒ミコ神」という。そしてさらに3、4年経った後に完全に神格化させる「迎え神楽」という儀式が行われる。こうして彷徨える祖霊は家の守護神「ミコ神」となるのだ。祖霊再生の儀式は人知では抗えない病気や不幸から守ってくれるのは、やはり家族ということなのだろうか。こうしてみるとやはり呪術的な雰囲気があるが、いかなる要素が組み込まれても、日本においては祖霊信仰が最も根強い死生観であることが伺える。
祖霊との関係
信仰とは日本においては祖霊との関係性を意味するといえるのではないか。東北の「かくし念仏」、長崎の「かくれキリシタン」などは本願寺、カトリック教会らとは交わることなく独自の信仰を貫いている。信仰の形を変えることは祖霊との関係も変わってしまうことになるからだ。多くの民間信仰と同様、いざなぎ流も減少の一途を辿っているが、これからも物部の地で眠る魂は神として復活していくのである。
参考資料
■高木啓夫「いざなぎ流御祈祷」物部村教育委員会(1979)
■松尾恒一「いざなぎ流、託宣祈祷の諸相―神霊と交感する言葉と身体」国立歴史民俗博物館研究報告142号(2008)
■小松和彦「日本の呪い」光文社(1988)
■「陰陽道の本」学研(1993)