現代でこそ僧侶といえば「坊主丸儲け」「生臭坊主」などと揶揄されることの多い存在だが、一方で俗世間から隔絶された深山幽谷で修業の日々をおくる仙人のようなイメージを持ったこともあるだろうう。そのような絵に書いたような「僧」が現代のキリスト教にいる。ギリシャ正教の聖山アトスの修道士たちである。彼らが見据えた生と死とは。

ギリシャ精神の深奥 古代から現代に繋がるキリスト教の潮流
ギリシャというと日本人がイメージするものは、神話、哲学、戯曲、芸術、またオリンピック発祥の地などをイメージするのではないだろうか。だがこれらのほとんどは古代ギリシャ文明の遺産である。古代ギリシャの文化史における人類への貢献は凄まじいものがあるが、現代に至るまでのギリシャ人の精神的支柱は実はキリスト教にある。こうした方面に関心が薄い人はギリシャとキリスト教はあまり結びつかないかもしれないが、ギリシャは「ギリシャ正教」の信者が9割を占めるキリスト教国である。ギリシャ正教、正式には東方正教会(オーソドックス)は、カトリック、プロテスタントと並ぶキリスト教3大宗派のひとつとし名を連ねている。1054年の教会大分裂以来、キリスト教は西方ラテン語系と東方ギリシャ語系に分かれた。なお、ギリシャ正教とは俗称で、ロシアの正教はロシア正教会、日本の正教は日本正教会である。 有名なニコライ堂は日本正教会最初の教会である。詳しくは拙稿を参照されたい。
■拙稿「もうひとつのキリスト教 ギリシャ正教の歴史や西方教会との違い」
■拙稿「死とどう向き合うかを説く仏教と死を拒否するキリスト教」
俗世を離れた自治共和国 聖山アトスの隔絶された生活と信仰
ギリシャ正教最大の聖地とも言われる聖山アトス。アトスは自治修道士共和国として、ギリシャ政府とは別の自治権を持つ「独立国」として約2000人にのぼる修道士たちが暮らしている。ギリシャ北部のハルキディキ半島にあるアトス半島の先端に位置する。陸路は完全に遮断されており、入山するには海から港へ入る以外にない。外部からの巡礼も受け入れてはいるが、基本的に成人男子の正教徒のみで、一般人は一日10人と決まっている。なお、アトスは女人禁制で女性は修道士になれない。巡礼も禁止である。動物すらネズミ取り用の猫の繁殖以外は雄のみという徹底ぶりだ。アトスは生神女マリア(正教での聖母マリアの呼称)を統治者としており、修道士にとってはマリアこそが「唯一無二の女性」なのである。修道士の中には60年以上女性を見たことのない者もいるという。EUが男女平等の観点から女性への開放を呼びかけているが、アトス側は跳ねつけている。これについては一方的に現代の価値観を押し付けても反感を買うだけだろう。この隔絶した地で、彼らは最低限の生活を支える自給自足の農作業などを除くとほぼ「祈り」に捧げる生活をおくる。修道士は入山すると一生外界とは交わらず、この地で今生における終焉を迎える。まさに深山幽谷の仙人のイメージそのままである。
神との一体を目指して 聖山アトスの修道士たちのストイックな求道
現代社会においてそのストイックさは指折りの存在といえるアトスの修道士たち。彼らが目指す修道の究極の目的は神との一体だといえる。ギリシャ正教には「神化」(テオーシス)という概念がある。神そのものになるわけではないが、限りなく近くなれるというものだ。具体的には祈り・瞑想による神秘体験ということになる。西方キリスト教には無い、神秘思想の色合いが強い正教独特の概念である。
彼らは神への祈りに沈殿して、やがてここで死を迎える。修道士は死後、仮の墓地に地中浅く埋葬され、約2、3年の後に掘り起こされる。そして来たるべき復活に備えて、キミティリオン(眠りの場所)と呼ばれる納骨堂に安置される。キミティリオンの写真は検索すれば出てくるが、無数の人骨が並べられている光景は圧巻だ。否が応でも「死」を意識させられるが、修道士にとってここが人生のゴールではない。
正教に限らずキリスト教は明確に「死」を否定する宗教である。この世の命は仮の命であり、死は永遠の命の始まりを意味する。これが仏教では宗派によって解釈が異なり、禅が説く生死を超えるというな、わかったようなわからないような哲学が展開されていく。キリスト教でもカトリックの煉獄のような違いはあるにせよ、イエス・キリストが復活したことにより死に勝利したという「事実」は変わらない。ギリシャ正教でも死は終わりではなく、永遠の命を賜うまでの通り道に過ぎない。キミティリオンは「復活」までの「眠りの場所」なのである。つまり修道による神秘体験といっても、空中に浮いたり、救世主を自認するわけでもない。彼らの修道は「死」に備えて魂を浄める、潔斎の日々である。神秘体験は死後の「神化」への確信を得るための手段なのだろう。こうして修道士は安らかに静謐な死を迎える。仮の人生は終わり、ここから真の人生が始まるのだ。
死は終わりではない 聖山アトスにおける生と死の超越と復活への信仰
仏教の僧侶は出家しても托鉢のために外界に出て施しを受けなければならなかった。後の大乗仏教では衆生を救うために、むしろ進んで外界に入ることを説いた。対してアトスは完全に外界とは遮断された空間で俗世と交わらずに生涯を閉じる。ある意味、自分が救われれば良しとする利己主義的なものも感じるが、現実に外界と交わった日本仏教の結果を考えれば否定できるものではない。
彼らは文字通り彼らは「死ぬまで生きる」生活をおくる。あらゆる快楽を捨てて「死」の一点を見据えて生きていく。聖人のあるべき姿のひとつではあるだろう。
参考資料
■落合仁司「地中海の無限者 東西キリスト教の神・人間論」勁草書房(1995)
■パウエル中西裕一「ギリシャ正教と聖山アトス」幻冬舎(2021)
■久松英二「ギリシャ正教 東方の智」(2012)講談社