哲学。一般の人には得体のしれない響きかもしれない。宇宙の謎、生と死の謎…などの真理を追究する高尚な学問だとする一方で、理屈を捏ねるだけの、実生活には何の役にも立たない学問の代名詞でもある。東京・中野区にはそんな哲学の世界を可視化した空間が存在する。
井上円了と哲学堂公園
東洋大学創始者で、仏教哲学者の井上円了(1858〜1919)は「哲学」を学ぶための私学校「哲学館」を創立した。これが後の東洋大学である。円了は哲学こそ学問の中心となるべきものだとした。しかし哲学にかぎらず学問というものは庶民には手の届かないエリートが学ぶものだった。哲学館は帝国大学以外でも哲学を学べる場として創立した。それでも田舎から上京して生活費を工面しながら哲学を学ぶ覚悟は必要だ。哲学堂公園は日常生活に没入する本当の意味での庶民にも、哲学の世界を体験してもらうための施設である。円了曰く「精神修養的公園」であり、園内には哲学の概念や世界観を表現した建物や池などが77ある。来園者はこれらを眺め、散策し、思索をめぐらして精神が修養されるとする。桜の名所として知られ、地元民の憩いの場として親しまれている公園だが、その本質は世界でも類を見ない「哲学のテーマパーク」なのである。
哲学堂公園
哲学を表現した77の施設「哲学堂七十七場」から代表的なものを紹介する。
・哲理門と常識門
哲学堂の正門である哲理門には天狗と幽霊の彫像が置かれている。円了は物質と精神の世界には認識不可能な「理外の理」が存在するとした。天狗は物質世界、幽霊は精神世界の「理外の理」を表している。公園にはもう一つ「常識門」がある。こちらは一般常識、日常生活を表しており、哲理の世界と日常世界の境界としている。 隣接する「髑髏庵」の髑髏は「精神上の死」を意味する。来園者はここで日常世界に生きる心を消滅させ哲理の世界へ踏み入るのである。
・六賢臺(ろっけんだい)
哲学堂公園のシンボル的存在。六人の賢者が祀られている。その六人とは、聖徳太子(仏教の保護者)、菅原道真(学問の神様)、荘子(老子と並ぶ道家の祖)、朱子(儒家の一派・朱子学の祖)、龍樹(大乗仏教の大成者)、迦毘羅仙(カピラ。インド哲学・サーンキャ学派の祖)。日本、中国、インドから2人ずつ賢者が選ばれている。
・四聖堂
哲学堂の本堂といえる建物。哲学館の創立を記念して建立され、これが哲学堂公園の始まりとなった。孔子・釈迦・カント・ソクラテスが祀られている。中国思想の王道、儒教の始祖・孔子と、世界3大宗教のひとつ仏教の開祖・釈迦。一方、古代哲学はソクラテス以前と以後、近代哲学はカント以前と以後に分別できるといってよい。東西それぞれの2大哲学者といえる。
・唯物園と唯心庭
「唯物園」は唯物論、「唯心庭」は唯心論を表している。世界は物質のみが存在するという唯物論と、心の認識のみが存在するとする唯心論は哲学の2大潮流である。このエリアには「懐疑巷」や「経験坂」「演繹坂」など、哲学を少し囓った者ならニヤリとしてしまう名称が付いており、その名が示す意味に基づいた造りになっている。
「恐死病」を克服する哲学
哲学のテーマパークを散策することで何を得られるのか。哲学の目的は真理の探究である。具体的には「人は何故生まれたのか」「何のために生きるのか」「何故死ななければならないのか」といった一般常識的な世界観では解決できない命題だ。私たちは生まれた記憶はなく、日々の生活の中で生きるための意味を考える暇はない。しかし死が近づく時、人は哲学者にならざるをえない。円了は死を恐れる心を「恐死病」と呼ぶ。これを克服するには哲学を学び、死の理(ことわり)を明らかにすることだと述べた。円了の哲学は仏教と西洋哲学の融合である。仏教が到達した言葉にできない世界を、哲学の言葉で捉えなおした。その論理的な思考で妖怪の存在や迷信の類を理論的に否定する一方で、仏教哲学の立場からの霊魂不滅論を展開している。しかし学問として体系化すると庶民には理解が難しくなる。哲学堂は表現された施設や風景を通じて、生死の謎を解く真理を理屈ではなく視覚から理解させようとする試みであった。
散歩で哲学する
哲学のテーマパークとは世界でも類を見ないユニークなコンセプトである。荘子に無窮の宇宙に遊ぶという意味の「逍遥遊」という言葉がある。逍遥とはぶらぶら歩くこと。要するに散歩、散策である。哲学堂では宇宙の謎や生死の謎を歩くだけで体験できる。難しく考えず感覚で哲学してみるのもいいのではないだろうか。
余談だが藤子不二雄Aの「まんが道」に哲学堂公園が登場する。「トキワ荘」の漫画家たちはしばしば公園を散策しアイデアを練りだしていたという。作中では寺田ヒロオが「ここは高尚なことを考える場所でまんがのアイデアは出なかった」などと冗談交じりに話している。しかし彼らの作品に哲学的洞察が見え隠れするのは、哲学堂から何らかのインスピレーションを与えられたからかもしれない。