死後に顔型をとって容貌を保存する「デスマスク」の制作はヨーロッパで広まった。現存する最古のデスマスクはサンピエトロ大聖堂の墓地から出土しているものであるという。

デスマスクとは
デスマスクは風習や風俗といわれるような生活自体に関わるものではなく、また純粋に美術作品と捉えられるものでもない。死者の表情を写し取るという行為にはオカルトとしての要素などが絡み合うため「正当な美術の歴史からは黙殺されてきた」と西洋美術史研究者の加藤磨珠枝は述べている。
しかしその嗜好性によってのみ人々がデスマスクを制作するのかといえばそうではない。そこには死者を弔うという宗教的な意味ももちろん含まれる。死者の供養のためにつくられることもあれば、所有者にとって故人の遺品であり死を悼むためにつくられることもある。
門下生の提案で遺された夏目漱石のデスマスク
明治時代の小説家・夏目漱石はデスマスクが遺されているが、これは漱石の意思ではなく門下生の提案によるものであるという。漱石には教育者としての一面もあることからか門下生が多く、芥川龍之介は漱石の葬儀に参列して『葬儀記』(1917年)を記している。デスマスクを制作する際に同席していた久米正雄もその時のことを振り返って、制作に際してはじめは不安を覚えたと記している。それでも漱石のデスマスクは完成し、複数つくられたうちの一面は夏目家にある。制作において不安な気持ちを駆り立てるものが、身近な人たちによってなぜ行われるのか。それは生前に近しくあった人々にとって必要なことだからではないか。
故人との記憶を呼び起こすデスマスク
デスマスクは作り方や素材を越えて、故人との記憶を呼び起こすいわば写真のような役割を持つものともなる。残された者が死者を懐かしみ愛しむ感情を喚起するには、その表情や大きさのような常々向かい合っていたものであることが重要なのだろう。型取りによって生まれる立体感も肖像画とは異なる。手や足の型を制作して残す場合においても、平面ではなくその存在感や陰影を含むということに意味がある。
最後に…
高村光太郎の彫刻作品『手』(1918年)がどんなに実際の人間の手のような力強さを感じさせる作品であるとしても、この彫刻はデスマスクのような「そこに生きていた誰か」を直接思わせるものではない。実在していたもの、すでにいない故人を思うための依代であることにこそデスマスクの意味がある。そこには風習や美術の枠に収まることのない、生きているものと死者とを結ぶ重要な意味が込められているのだ。
参考資料
■『名もなきものたちへの鎮魂歌―奈良美智の「肖像」論―』 2024年2月29日参照
■「手―東京国立近代美術館」 2024年2月29日参照
■芥川龍之介『葬儀記』