明治期〜大正初期くらいまで、日本では白い喪服が着用されていた。そして、もっと過去の時代の平安貴族は、喪服に「鈍色(にびいろ)」という濃い灰色を使っていた。そこから中世末〜近世の頃に、白い喪服が着られるようになった。
日本で現在のように、喪服に黒が使われるようになったのは、近代に入って西洋文化に影響を受けたことに、理由がある。
そして実は、その西洋でも、古代から一貫して喪服に黒が使われていたわけではなく、ルネサンス時代の始まりの頃に、黒い喪服が主流となってきたのであった。
西洋では「黒」はネガティブカラーだった
中世の頃まで、西洋では「黒」という色のイメージは、ネガティブなイメージが圧倒的に多かった。そのため、支配者層・庶民層を問わず、衣服の色に黒を採用することは滅多になく、せいぜい、カトリックの修道士が無漂白なので黒っぽいウールの服を着る程度であった。ここでの黒は、清貧と謙譲の意味合いもあった。
そして喪服の色としても、この時期までは、黒は好まれなかった。当時のヨーロッパで着用された喪服の色は、黄色や黄褐色、白、菫色が一般的であった。なお、黄色・黄褐色も、この時代の西洋では、余りポジティブなイメージの色とはされなかった。
こうした状況に変化が訪れたのが、14世紀の終わり頃であった。黄褐色、灰色、菫色などが、喪服に限らず、高位の人々の衣服の色として積極的に採用されるようになってきたのであった。そうした色の中に、黒もあった。
ポジティブなイメージへと変わるとともに、染色技術の発達で鮮やかな黒を作ることに成功
背景の一つには、否定的なものが大多数であったそれらの色のイメージに、肯定的なものも加えられ始めたということがある。また、毛織物・絹織物の技術が発達したため、黒の染色技術が誕生・発展し、「上流社会で通用する」より美しい色合いの黒の布地が生産されるようになったことも、大きな要因である。
こうした時代背景から、黒い喪服は誕生したのである。「美しい色としての黒」を喪服の色の一つに採用した背景には、一種の社会規範の変化もあった。それまで建前上「否定すべき感情」とされていた「悲しみ」が、大切な人を失った人々にとっては、極めて自然な感情であり、否定すべきではないとされるようになったことである。
流行も後押しした
15世紀の半ば頃に、フランスのブルゴーニュ地方を治めていた地方国の王のフィリップ3世(善良公)も、黒い喪服を積極的に着用した貴人の一人であった。彼は、父である先代ブルゴーニュ公の死を悼んで、永く喪服を着続けた。フィリップ3世が、当時の上流層の人々のファッションリーダーであったことも、黒い服は格好良いとする美意識を強めると共に、黒い喪服を普及させることに一役買った。
ただ、フランスではその後長く経った、19世紀の始め頃まで、富裕層を中心に、白と黒の縞模様や、灰色、女性用の喪服にみられる白いフリルなど、黒一色でない喪服も普通に着用されてきた。このように、国や地域によっても、黒い喪服が一般化する時期には、結構差があったといえよう。
参考文献:色で読む中世ヨーロッパ、 名画の暗号、 葬送儀礼と装いの比較文化史 装いの白と黒をめぐって