民俗学者の畑中章宏氏は「現代ビジネスプレミアム」に、2016年11月26日付で「『この世界の片隅に』は優れた“妖怪”映画だ!民俗学者はこう観た 日本人が生きてきた「残酷な現実」」というタイトルで記事をよせている。
当該記事の中に、日本の葬儀文化史を語る上でも、大変興味深いくだりがある。それはこのようなものである。(以下、引用)
記事中の引用部分
山口県周防大島出身で『忘れられた日本人』などの著作で知られる民俗学者の宮本常一は、広島を流れる川についてこんな話を綴っている。
子どものころ弟が乱暴をしたり、泣き喚いたりすると、「おまえは広島の橋の下でたらいにのせられて流れていたのを拾った子だから、かえしにいくぞ」と叔母や祖母がたしなめた。弟だけではなく、親兄弟の手に負えない粗暴な子どもは、みんなそのように脅かされたのだという。
(中略)
宮本はまた、広島というところは、「死んだ人のゆくところでもあったようだ」という。人が死ぬと「あの爺さんも広島へたばこを買いにいったげな」と噂するものがあった。ある人が、ある日ふといなくなると、このように表現したのである。宮本の故郷では、広島という土地は「一つの幻想の世界だった」というのである。(引用終わり)
広島は死者の行き先であり、新たな生命が生まれる場所
要するに、「広島は民俗的にみると、死者の行き先とされ、また子どもがこの世に誕生する地でもあるとされていた」ということである。実は、このイメージ、特に人が亡くなるということを「広島に行く(特に、何らかの品物を買いに行く)」と表現するのは、古くは西日本では広く行われていたという。周防大島に限らず、広島県廿日市市の厳島(いわゆる安芸の宮島)や島根の石見、愛媛県の複数の地域、更には九州福岡の豊前にも、この言い回しがあったという。
実際、厳島では厳島神社の神が死を「穢れ」として忌み嫌うとされ、死者が出ると島内に葬らず、対岸に遺体を運び、葬儀や埋葬をする風習があるそうである。また、出産も「穢れ」とされるため、ここに住む女性が出産する際には、矢張り対岸に渡るしきたりである。西日本の複数の地域で、広島が「死者の行き先にして生者の誕生の地」、つまり「一つの幻想の世界」としてイメージされてきたのは、こうした実際の具体的な習俗に由来する点が、少なくないように思える。
沖縄にも同じような言い回しが存在した
ちなみに、現在の広島市及び近隣自治体に当たる地域では、遅くとも近世には既に、浄土真宗の信者が多かった。浄土真宗では、他の日本仏教の宗派に比べ、死や出産を「穢れ」とはみなさない傾向がある。そうした浄土真宗の信仰も、厳島の死者や産婦を快く受け入れる気風を作り、その結果広島を「一つの幻想の世界」にした、大きな要因であろう。
なお、この例のような、人の死を「◯◯(実在する具体的な地域の名)へ行く」と表現する言い回しは、沖縄にも存在する。例えば沖縄県の名護市には、「奥武(おう)島」という名の島がある。名護では、人が亡くなることを「オウに行く」という言い回しがあり、且つ、普段は奥武島のことを話題にするのもタブーだったという。
最後に…
沖縄には、名護市の奥武島以外にも、死者に関する「一つの幻想の世界」イメージのある「奥武島」が、今では陸続きである島を含め、もう2島ある。この2島のイメージも、名護でイメージされた死者の行き先としての「オウ」と、全く無縁とは考えがたい。
北中城村奥武岬は17世紀頃までは小さな島「奥武島」であり、多くの墓が作られていた。久米島対岸にも「奥武島」があり、ここでは厳島の例のように、死を忌み嫌い、死者を対岸の久米島に葬る風習があったそうである。死者を葬る島と、逆に死をタブーとする島という正反対の違いはあるが、どちらの「奥武島」も、葬送に関する独特な習俗があった(つまり、「一つの幻想の世界」になり得た)という点では、共通している。
参考資料
■中山太郎土俗学エッセイ集成 タブーに挑む民俗学
■ケガレからカミへ
■「青」の民俗学 地名と葬制
■現代ビジネスプレミアム