1961年に、筋骨隆々の体を惜しげもなくさらした三島由紀夫を被写体とした細江英公の写真集「薔薇刑」が人々の度肝を抜いた。
それから10年後、横尾忠則の装丁・イラストによる『新輯版薔薇刑』が出版された。写真集を収めた箱の内側には、5枚でひとつの世界を形づくる、極彩色のイラストが描かれている。
ヒンドゥーの神々が天上から光を投げかける中、紅薔薇で美しく彩られた全裸の三島由紀夫が、読者の側に静かなまなざしを向けたものだ。
「俺の涅槃像だろう?」と話した三島由紀夫
この絵を見た三島は「あれは俺の涅槃像だろう?」と横尾に電話をかけて来た。それは、1970年11月25日、楯の会の若者を連れ、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺を図った3日前のことだった。
当時の横尾は、文学者としての「三島由紀夫」よりも、「マスコミのスター的存在」「カリスマ的キャラクター」という、「聖俗の落差現象」に直感的な興味を有していたという。そうした思いから、新装版の「薔薇刑」のレイアウトをやりたいと、細江英公を訪ね、了承を得た。
当然横尾は、愛国的な発言・活動を行っていた三島が割腹自殺を前提に置き、自衛隊員たちに向けて憲法改正の決起を呼びかけることを企図していたとは全く考えてもいなかった。ただひたすらに美を愛し、追求し、自ら生み出したいという、芸術家としての情動によって、一連のイラストを描いたのは言うまでもない。
涅槃像とは釈迦が今まさに亡くなろうとしている場面を描いたもの
三島が言う涅槃像、または涅槃図とは、釈迦が今まさに亡くなろうとしている場面を描いたものである。その場面は当初、ガンダーラの石造浮彫に見られたものだったが、中央アジア、敦煌、唐代の中国、朝鮮を経て、日本に伝わった。その後日本における涅槃図は、1000年以上、多様に変化しながら、厳粛な仏教儀式に用いられる「聖」の世界、そして在家の人々に崇められる「俗」の世界と混淆しながら、存続し続けてきた。
横尾忠則が描いた三島の「涅槃図」は強いて言うなら、著名人の死後、その追悼のため、釈迦に模して描かれた、「涅槃図」に分類される。しかもそれは、インドにおいて仏教よりも古くから信仰されてきたヒンドゥー教の神々と、禁教時代のキリスト教の殉教者・聖セバスチャンに扮した三島をモチーフにしており、横尾の異能・異才ぶりを遺憾なく発揮していると言えよう。
たまたま見かけた絵が、自分の死に際が描かれているかのように感じることがあってもおかしくない
自分が三島由紀夫のように、美に関する繊細な感受性を有する「天才」で、細江英公や横尾忠則のような「天才」と出会うこと、そして「天才」同士の激しい魂の衝突によって、新たなものが生み出される瞬間に立ち合うことは、世の大半の人々には無縁の世界かもしれない。
だが、たまたまどこかで、自分の死に際を描いているように「見える」絵を見つける可能性は、十分あり得る。涅槃図は、釈迦または釈迦に見立てられた偉大な人物の死を歎き悲しむ哀調や絶望感、または「死」という堪え難いさだめを受け入れることを強いる、宗教的な荘厳さのみならず、安らぎや華やかさ、明るさをたたえてさえいる。
我々が自分なりの涅槃図を見い出した後、そこに描き出された光り輝く死に際を三島のように予感し、死に向かう自分自身を心静かに、だが激烈に、そのギリギリまで命を燃やしながら「生きる」決意表明のとすることは、意義深いことではないだろうか。
参考文献:薔薇刑―細江英公写真集、知っておきたい涅槃図絵解きガイド、涅槃図の図像学―仏陀を囲む悲哀の聖と俗 千年の展開、横尾忠則 全装幀集