戦前から昭和後期に活躍した民俗学者の堀一郎は、1951年に「民間信仰」を著した。現在、堀の説は余り注目されていない。しかし、葬儀・埋葬を巡る様々な矛盾や苦悩が噴出してきている今だからこそ、再評価してもよいのではないかと思われる点も、決して少なくない。「民間信仰」も、そうした再評価が期待される著作の一つである。
同書には、戦後の日本において、火葬が少しずつ一般庶民の間に浸透し始めた頃の興味深い記録と考察が書かれている。その中には、現代の日本で「自明の常識」とされていることを、大いに揺らがせるようなことも多く書かれている。
火葬が盛んな地域は一部だった
例えば1950年11月の調査によると、当時の北海道と奄美・沖縄を除く日本列島では「火葬地帯」、つまり火葬が盛んな地域は極めて一部であった。驚いたことに、首都圏や(滋賀の一部を除く)近畿圏、名古屋など大都市部は「火葬地帯」ではなかった。そして、筆者が更に驚いた点としては、東北地方の太平洋側が、この時点では、「火葬地帯」には全く該当していなかった点が挙げられる。
2010年代の現在、東北地方太平洋側は、極めて火葬が盛んであり、(地域や宗教宗派によって多少異なるが)火葬されて初めて、故人は永遠の安らぎを得られるとする信仰が強い。そして土葬への忌避感も、決して弱くはない。しかし、この調査結果を見ると、調査が行われた1950年の時点では、こうした考え方は東北地方太平洋側では、決して一般的ではなかった可能性が極めて高い。
ということは、この「火葬されてこそ、故人は安らげる」とする信仰は、1950年代後半以降に東北地方太平洋側に起こり、その後急速に一般化していったのではないか。そう筆者は仮定している。
火葬が取り入れられていった地域とその信仰の関連性
また、堀は火葬が積極的に取り入れられている地域には、「全般的に死体に対する尊重、保存の念が薄く」、むしろ遺体を「穢れとし畏れる観念が潜在」していると指摘している。これは、極めて興味深い指摘である。
このくだりが書かれた1951年といえば、海外で戦死した兵士の遺骨へのこだわりが強化されるなど、日本で遺体・遺骨へのこだわりが強化された時期でもある。そうした時期にあって、火葬に抵抗がない地域は故人の遺体への「尊重、保存の念が薄」い傾向があるため、火葬に抵抗がないという見方が成り立っていたことは大変興味深い。
そしてこの指摘は、火葬の盛んな地域では、一方では故人への厚い弔いが「濃厚に存在」していることへの指摘に続く。その理由を堀は、「死者の肉体と霊魂は容易に分離し得るとの思想」に求めている。この一連の指摘からは、故人の遺体や遺骨へのこだわりや、故人の魂は遺体や遺骨に宿るという考え方は、戦後に至っても、必ずしも一般的ではなかったことがうかがえる。
参考文献:民間信仰