「六道銭」という言葉を、お聞きになったことがあるだろうか。これは「六文銭」という呼び名の方が一般的であり、納棺や埋葬の際に、故人の遺体と一緒に納める貨幣のことである(現在では、紙で作られたものを棺に入れることが多い)。
この「六道銭」は、死者が死後の世界へ旅するための路銀、特にこの世とあの世の境目の川「三途の川」の渡し賃とされる。なお、戦国時代に活躍した真田幸村の家紋のモチーフとしても有名であり、「決死の覚悟で戦う」意思を表示しているといわれる。
立場に関係なく広く広がった六文銭
このような、死者には死後の旅の路銀が必要だとする信仰は、本来の仏教にはなかったものであった。また、浄土真宗でも、死者は旅をせずすぐに極楽浄土に入るという信仰があるため、基本的に「六道銭」は使わない。そして日本での「六道銭」の歴史も意外と新しく、中世末期のいわゆる戦国時代頃から広まり、江戸時代に入って大いに盛んになった。
興味深いのは、大名の墓からも、この「六道銭」が多く見つかっていることである。江戸時代、将軍や大名、家老を始めとする上流武士の間ではしばしば、流通する金銭に直接関わることは、卑しいこととされた。そのため、現金の管理や必要な品物を購入する際に金を払うことも、身分の低い使用人に任せられるほどであった。しかし、生前はそれほどまでに現金をタブーとした上流武士も、矢張り「死後の旅」は不安であったらしく、副葬品の中にほぼ必ずといってよいほど、現金があったようだ。更にいえば、そうした大名の墓の副葬品の「六道銭」は、大判や小判もよく含まれており、高位の人々にとっての「六道銭」のイメージは、必ずしも「六文銭」とは限らなかったようである。
六道銭禁止令なるものが幕府から発令されていた
ところで、「六道銭禁止令」ともいうべき法律が作られたことがあることは、意外と知られてはいない。1742年、江戸幕府は町触(一般庶民への直接の命令)で、こう命じた。「六道銭」は、「無益」なのでやめるべきだ。しかし、このしきたりはすぐは止まないだろうから、各寺院は檀家の葬儀の際、こういうことは止めるようよく言うべきだ、と。しかし、この「六道銭禁止令」は結局、ほとんど守られなかったようである。
ちなみになぜ、幕府は「六道銭」禁止令を出したのだろうか。特に大きな理由としては、このしきたりは、「通貨の流通にとって有害である」と考えられたからである。
江戸時代の日本はいわゆる産業革命をまだ迎えてはおらず、且つ紙幣もまだ登場していなかったため、貴重な金属を原料とする貨幣の製造は、大変コストがかかった。そのため、例え1人の死者のための「六道銭」は小銭であっても、大勢の人々がこのしきたりを実行すると、結果として大量の貨幣が流通の場から消えることになり、貨幣経済を破綻させてしまう危険があるからであった。
同じような「六道銭禁止令」は、中央政権である幕府だけでなく、各藩でも発令されたようである。しかしこちらも、結局ほとんど守られていなかったという。
参考文献:銭の考古学