「伝統的な文化」とされている物事が、実は新しい時代になって始められたことであったということは案外多い。
同様に極めて日本的なものとされている物事が実は外国から取り入れられたものであったか、その可能性が極めて高いというケースも少なくない。
日本独自の文化とされることも多いいわゆる宮型霊柩車も、その一つである。
宮型霊柩車のような霊柩車が欧米で作られていた?!
宮型霊柩車とは、自動車の上部に神輿のような見た目のきらびやかな建物の模型を据え付けたもので、中には金閣寺や日光東照宮のような極めて装飾の多いタイプもある。
日本を訪れて初めてこの宮型霊柩車を見た外国人、特にいわゆる欧米文化圏から来た人々は、自国ではこうしたきらびやかな霊柩車はないため、しばしば大いに驚くとよく言われている。
実際、近年は日本でもよく選ばれるようになってきた洋型霊柩車は基本的に派手な装飾はせず、極めてシンプルな車体の長いリムジンカーである。
しかしこうしたタイプの霊柩車が一般的になる前の西洋、特にアメリカではきらびやかな建物模型の付いた霊柩車が多く作られ、使われていたのであった。
戦争による産物だった霊柩自動車
20世紀初頭にアメリカのフォードが自動車の大量生産のシステムを確立すると、英米を始めとする西洋諸国、そして少し後に日本や中国その他の国でも自動車が社会になくてはならないものとなった。
そしてその動きの中で、それまでは馬に引かせたり人力で引くものであった霊柩車を、自動車を取り入れることによって「霊柩自動車」にしようという動きが出てくる。
丁度その頃、第一次世界大戦の発生により多くの国で今までにないほど多くの戦死者を出したこともあり、自動車タイプの霊柩車の需要は高かった。
戦死者の弔いは特別であるべきと、霊柩車も派手なデザインになっていった
故人の中には、戦死という特殊且つ悲劇的な死を遂げた人々がかなりの高い割合でいるということは、それ以前の戦闘による戦死者よりも多くの戦死者を、(それ以前の戦死者の葬儀のように)厳かな雰囲気の中で弔うことが要求されることでもあった。
そうしたこともあって作られたのが、豪華絢爛な自動車タイプの霊柩車だった。
特にアメリカはヨーロッパ諸国に比べ国としての歴史が浅いこともあり、当時はヨーロッパの古典的な美術工芸に憧れる傾向が強かった。
実際残っている写真を見ると、古代ギリシャやローマの神殿、あるいはルネサンスやバロックのヨーロッパの貴人の墓のような厳かできらびやかな建物模型が付いている。
筆者の勝手な想像ではあるが、このタイプの華やかな霊柩車が、そのまま西洋で一般化していたら、現代日本の霊柩車にもそれをそのまま取り入れた華やかな「洋型霊柩車」ができていた可能性もある。
欧米で過去に使われていた派手な霊柩車が宮型霊柩車の起源かもしれない
これらの華やかな洋型霊柩車は、後に時代にそぐわないなどの理由で、装飾がカットされ現代風の洋型霊柩車になっていった。
しかし、この時期の霊柩車を写真あるいは渡米などで直接見た日本人がこれを日本的に解釈して考えついたのが宮型霊柩車であるという説もある。
まだ確かな証拠は見つかっていないが、その可能性は決して低くないであろう。