今年の春のお彼岸は3月18日に始まり、24日に明けます。この間の21日が中日として「春分の日」とも呼ばれ、伝統的にお墓参りや近くの寺院で彼岸会などが催されます。
ところで、「お彼岸」はもちろんですが、8月中旬にある「お盆」という仏教行事もお墓参りをします。どちらも同じような行事であるのに、こうして「お彼岸」と「お盆」とで分かれています。この違いはどこにあるのでしょうか。
そこで今回は、お盆との違いに触れながらお彼岸の意味をもう一度再確認し、普段とは少し違うお彼岸の過ごし方をご紹介しましょう。
お彼岸とお盆の決定的な違いとは?!
「お彼岸」と「お盆」を分けるキーワードは「ご先祖様」です。
端的に言えば、お盆にはご先祖様があの世から一時的に帰ってきますが、お彼岸では帰ってきません。したがって、お墓参りなど供養の意味も異なってきます。
お盆における供養の中心は帰ってくるご先祖様を「もてなす」ことにありますが、お彼岸においてはご先祖様にあやかって自分も死後は極楽浄土に行けるようにお願いすることにあります。
お盆は後付の、日本独自の行事!
実はこうした違いが出来た理由は、お盆が仏教にとって後付けの行事、すなわち日本独自の行事だったからです。その起源には諸説ありますが、一つは奈良時代にまで遡ります。
当時天災に悩まされていた天皇をはじめとする人々は、その原因を政争や疫病で亡くなった人々の霊の暴走に求め、これを鎮めるために仏式による供養を始めたとされています。なぜこの春と秋のこの時期なのかと言えば、強風や天候が荒れやすい時期だったからです。
もう一つの説として、太陽との関係が考えられています。彼岸の中日である春分・秋分の日には太陽は真西へ沈みます。仏教の世界で「西」と言えば、その最果てに極楽浄土があると考えられており、人々が極楽浄土へ行きたいと願う気持ちと太陽との関係がいつしか定式化されたと言われています。
極楽浄土へ行くための必要な6つのポイント「六波羅蜜」
ここまで「お彼岸」と「お盆」の違いに注目して分かることは、お彼岸はあくまで自分が極楽浄土に行くための供養であり、行事の主役がお盆と異なっていることです。しかし、極楽浄土への願いを他力本願にすることだけがお彼岸ではありません。仏教には人々が努力する余地が残されています。
それは「六波羅蜜」という、仏教版自己評価シートです。
六波羅蜜には以下の6つのチェック項目が設定されています。
■布施:見返りを求めない応分の施しをさせていただく事をいいます。貪欲の気持ちを抑えて、完全な恵みを施すことです。布施行は物質だけではありません。
■持戒:道徳・法律等は人が作り現在はますます複雑になっています。私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒める事が肝要です。
■忍辱:如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことが出来れば苦痛の多い現代社会において、自らが他の存在に生かされていることがわかり、全ての人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとなります。
■精進:不断の努力をいいます。我々人の生命は限りがあります。ひとときも無駄にすることなく日々誠心誠意尽くすことです。
■禅定:冷静に第三者の立場で自分自身を見つめることをいいます。
■智慧:我々は本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生をうけております。しかし、貪りや怒り愚痴によってその大切な智慧を曇らせてしまいがちです。布施・持戒・忍辱・精進・禅定の修行を実践しどちらにもかたよらない中道を歩み、此の岸から彼に岸へ・・・。
(出典:六波羅蜜時ホームページ
今週末のお墓参りには是非「六波羅蜜」を意識してみてください
これらのチェック項目は段階的に設定されており、お彼岸の一週間で1つずつクリアをしていき、最後には極楽浄土に行けるふさわしい精神を養うことができるとされています。
最後に、日常生活では「お盆」も「お彼岸」もお墓参りをする行事としてひとくくりにされがちです。しかし両者は由来に違いがあれば、お墓参りをする意味も大きく異なっているということが分かりました。
特にお彼岸の一週間は先祖供養だけでなく、「自己の内省」の期間として重要な意義を持っています。今年の春のお彼岸は、先に挙げた六波羅蜜を少し意識しながら、これまでの自分を落ち着いて見つめ直す一週間にしてはどうでしょうか。