去年の夏、義父(93歳)が亡くなりました。ご先祖様は院号のつく戒名。お葬式を執り行ってくれた葬儀屋が、「今の時代だから、どこかで区切りをつけてあげないと、ずっと院号をつけることになりますよ」と、うちの事情を察してくれたのでしょう、そっと耳打ちしてくれました。
そもそも院号とは?
院号・院殿号とは、昔は生前にお寺を建立するほど寺院に尽くすとか、社会に大きな貢献をした人に付けられたそうです。
この日本の片隅に、ささやかな家庭を持ち、サラリーマンとして定年を迎えた我が愛すべき義父に、そのような輝かしい過去があったことは聞いていませんでした。
しかし、私たちの代で、義父の身分を落として(院号をつけない)あの世に送り出すことは、義母だけでなく私たちにも抵抗があり、結局、院号を受け継いだ戒名にしました。
院号を頂くと、その後もなにかと大変・・・
さて、その戒名代、いろいろ値段が出ました。
戒名代+葬式での執り行い、四十九日までの一括で・・・万円。戒名だけで・・・万円。義母が亡くなった時にもお願いすると約束して・・・万円。宗派の違う親戚(宗派違うのに戒名って付けられるの?)がお葬式全般を執り行ってあげるから・・・万円。
穏やかに着々と進められたお葬式の陰に、実に生々しい金銭と妥協の駆け引きがありました。そして、院号をつけたら、その後の法事でもお布施の額が割増だということもわかりました。
友人が喪主になったとき、「お気持ちだけで・・・」とお坊さんに言われて、とても悩んだ話を聞いていたので、いろいろな代金を提示されたことは、選択する幅が広がり、納得のできる結論になりました。
戒名は生前にきめておくことをオススメします
あの世ににつながるありがたい戒名ですが、残された人のほとんどが、つけていただいた戒名を口にすると噛みそうになる名前です。一度は口に出して言ってみるが覚えようとはしない名前です。もちろん、愛しいあの方の名前だからと、心に刻む人もいるし、毎日唱えている人もいます。しかし、お寺と檀家の繋がりが薄くなりつつある昨今、戒名は、これからの時代に、どんな変化をみせるのでしょうか。
私たちの世代(団塊)は、自分が死んだ時のことを友人と話すとき、「散骨がいい」「あんなジメジメしたお墓に入りたくない」「知らないご先祖様がいるところは嫌だ」などと、自分の亡骸の行く末は考えますが、戒名にはとんと無頓着です。ということは、残された人の仕事になるということでしょうか。
終活を考える機会があったら、戒名について結論を出しておいてあげると遺族は助かるかもしれませんね。
これは功徳かもしれませんよ。