生まれ変わり=輪廻転生と呼ばれる現象をめぐっては様々な研究、検証がされている。仮に転生が実在するとしたら、それは未知の物理現象か、それとも何らかの意思が介在する宗教的現象なのか。転生を説く仏教と、転生を否定するキリスト教の立場から考える。
【前世の記憶】カルマか物理現象か:妻殺しの男が辿った転生
生まれ変わりの研究で著名なイアン・スティーブンソンの研究に、前世は父の弟だったという子供の報告がある。 その弟は妻を刃物で刺し殺した罪で逮捕され、翌年に絞首刑となった。処刑前、彼は兄にこう言い残していたという。
「自分は死を恐れていない。兄さんのところにまた戻ってくるよ」
この報告は細かな検証がなされ、信憑性が高いとされている。彼は死の直後「火のるつぼに落ちるような感覚があった」と語り、次に気がついた時には鳥になっていた。そして今世、人間として生まれ変わったと話している。スティーブンソンはこの事例について、「一度鳥になったこと、また手が不自由であることは、前世での妻殺しというカルマの結果であろうか」と述べている。
【仏教の因果】「罰」ではなく「構造」:歪んだ心が引き起こす来世
これが事実だとして、なぜ妻殺しが罪でどのようなメカニズムで、彼は鳥や不自由な手という罰を受けたのか。妻殺しは悪いに決まっていると言われるかもしれないが、それは人間の倫理や道徳の問題である。自然界には子殺しや共食いは日常的に起こっている。自然界には「善悪」という語彙は存在しないのだ。生まれ変わりという現象が実在し、かつそこに倫理や道徳といった人間の意味が反映されるなら、生まれ変わりは純粋な物理現象ではない。何らかの審判を下すような超越的な人格神のような存在の「意思」が介在することになる。生まれ変わりが現状の科学では証明されないというだけの物理現象なら、そこに善悪や罪と罰などの「意味」は存在しないはずである。
【仏教の矛盾】生命平等と人間中心主義:畜生道という難問
仏教、特に原始仏教や初期の大乗仏教では、輪廻転生を説き、かつ創造神などの超越的な存在を説かないことが大前提である。すべては原因が結果を生む「因果」の法則が支配する。倫理・道徳に反する悪業は、違反や犯罪ではなく、苦しみを生む原因となる心的・行為的条件である。罰のように見える結果は「神が禁じたから悪い」「倫理に反したから悪い」ではない。貪(欲望・執着)・瞋(怒り・憎悪)・痴(無知・無明)によって行われた行為が、心に苦痛をもたらす結果を生むとする。動物が子を食べるのは生存戦略であり、そこに倫理的な熟慮や自己意識はない。しかし人間の殺人は、その行為を「分かっていて」行われる。私たちも興奮状態や極度の鬱状態に陥ることがあるが、それが尋常でない精神状態であることは自明である。その状態が心に積み重なり、「業」として来世に持っていけば良い結果にはならないことは納得できる。
例えば、殺人は他人の身体を深く損傷させ死に至らせる。その結果、身体を自由に使えなくなる(不自由な手)、または人間的な社会性を持てない(鳥=動物)という存在に生まれ変わる。これらは「この罪にはこの罰」という刑法的な対応ではなく物理的な構造的対応に近い。殺人は社会秩序を壊す悪行だから悪いのではなく、心が極度に歪んだ状態で行われる行為だから悪い結果になる。それゆえ仏教では心を穏やかに澄み切った状態にするための瞑想が重視される。
だが「罰」ではなくても悪行の「結果」がなぜ「鳥」や「不自由な手」なのか。仏教では生きとし生けるものすべての命を等しいとする一方、動物は「畜生道」といい、地獄、餓鬼と並ぶ三悪道とされている。生命平等の隙間からは人間中心主義が覗く。また、四股切断の中村久子や三重苦のヘレン・ケラー、不自由な身体でありながら日々を生きている人達に対して仏教は悪行の報いだと言うつもりなのか。スティーブンソンも「カルマの結果であろうか」と疑問形で述べているが、転生を認め、超越神を否定する仏教はそうした「意味」を考えた時、居心地の悪い場所に立つ。そして後の密教や浄土教が登場するのである。
【キリスト教の視点】神の秩序と合理性:転生を否定することで解ける疑問
複雑な仏教の転生観に比べて、転生を否定するキリスト教の方はわかりやすい。まず全知全能の神が存在し、人間は「神の似姿」として動物にはない、理性・自由意志を与えられた。殺人が罪である理由は「生命を奪うから」でなく、「神の似姿を破壊する行為」だからである(動物を殺すことは許される)。生まれ変わりは無いので「鳥」「不自由な手」などの問題は存在しない。動物に生まれ変わることはないし、不自由な身体も「神がそのように創った」で説明できてしまう。キリスト教は人間を特別視し、明確なヒエラルキーを最初から認めている。仏教の中に垣間見える人間中心主義を正面から引き受けている点で、説明がスムーズである。キリスト教が正しければスティーブンソンらが検証する生まれ変わりを証拠とされる報告も、疑似記憶なり何なりの「本当の理由」があるということになる。現代医学ではもちろん生まれ変わりなど認めていない。そして現代医学やその元となった近代の自然科学は、自然界における神の意思を読み解こうとするキリスト教の試みに端を発している。キリスト教なら生まれ変わりに対する様々な疑問はすべて解消してしまうのである。
だからといってキリスト教が正しく仏教が間違っている。生まれ変わりは存在しないと結論づけるわけではない。キリスト教文化圏からは、生まれ変わりに進化論の要素を加えて再構築したエレナ・ブラヴァツキーの神智学、その流れにあるルドルフ・シュタイナーの人智学が生まれた。詳しくは拙稿を参考にして頂きたい。
【結論】死生観の探求:宗教が映し出す「論理と非合理」の意外な姿
生まれ変わりや死後の真実は自分が死んでみるほかない。だがそうした探究を通じて、論理的な哲学として評価が高い仏教の矛盾や、神の子、復活など非合理的に見えるキリスト教の意外な合理性などが見えてくるのである。
参考資料
■日蓮宗 大乗山 法音寺
■拙稿
輪廻転生は東洋と西洋でそれぞれどのように捉えられているか
シュタイナー教育で有名なルドルフ・シュタイナーの思想と転生モデル
霊魂や死後の世界、オカルト、スピリチュアルなどを生み出した神智学



























