錬金術。鉛や水銀などの卑金属から黄金を作り出すとされる、中世のヨーロッパで盛んに行われた物質変成技術である。その目的から多くの山師、詐欺師も横行したが、蓄積された知識や実験手法が、現代の化学に与えた影響は大きい。同時に神秘主義的な側面も強く、双方は密接に絡み合っていた。その究極的な目的は人間と宇宙の関係を解き明かし、不老不死へと導こうとする壮大なものだった。
実験室から生まれた現代科学の礎と「賢者の石」
西洋錬金術(alchemy)は、古代から中世・ルネサンス期にかけて発展した。アリストテレスの四元素説(土・水・空気・火)を基盤とし、すべての物質はこれらの元素の組み合わせでできており、比率を変えることで物質を変換できるとする。卑金属から黄金を作り出す。現代の常識からみれば荒唐無稽な話であるが、この時代、科学と哲学、神秘的な思想は未分化だった。錬金術も当時としては最新の「自然哲学」の流れにある。ニュートンも錬金術を研究していたことは史実だが、彼は科学者ではなく自然哲学者というべきである。金の変成を実現するには、究極の触媒とされ、ファンタジー映画などでも有名な「賢者の石」なる神秘的な物質を作り出す必要があった。賢者の石が実際に生成されたという確かな報告はないが、その過程において、蒸留、昇華、沈殿、結晶化。酸・アルコール・塩類の精製。ビーカー、フラスコなどの様々な実験器具など、現代化学の基礎技術を発展させる功績を残した。
ユングが読み解いた「心の錬金術」と自己の完成
中世後期〜ルネサンス期以降、錬金術は物質的な技術から明確に神秘主義的に象徴化される。鉛は堕落した自己・未熟な魂であり、金は完成された霊的人間といった解釈である。つまり、物質の変成は、霊的な変容の象徴であるという解釈が深まっていった。金は錆びない、燃えない。永遠性・完全性のシンボルだった。永遠性のシンボルたる金は不死の生命を意味し、そのまま神性を象徴するものになる。そして金の変性という思想は人間の変性の可能性へと進ませた。つまり完全なる存在への変性、不老不死の実現である。
錬金術を神秘的な行法として解釈したことで知られるのが心理学者・ユング(1875-1961)である。彼は無意識のイメージ(夢・幻視)が神話や宗教と酷似していることに気づき、錬金術の文献にその具体的な例が豊富にあることを発見した。そこには元型、つまり人間の普遍的な精神活動を表現する象徴的な言語が溢れていたのである。ユングは、錬金術師はもちろん本気で金を変成しようとしていたのだが、現場では無意識的に心の変容を表現していたのだする。ユングによると錬金術を単なる金作りの試みではなく、人間の無意識が投影された壮大な象徴体系であった。
パラケルススの思想:星々と人間の運命が交わる場所
西洋の神秘思想を理解するために必須の概念が、ミクロコスモス(小宇宙)とマクロコスモス(大宇宙)の照応関係である。占星術もこの理論が元になっている。マクロコスモス(星、宇宙)とミクロコスモス(人間)は照応しており、星の動きが人間に影響を与えるというより、星と人間は同調しているとみる。ニュートンも宇宙に秘められている神の設計図を読み解くことが人間に与えられた能力であり使命であると考えていた。宇宙と人間は照応していれば、人間はその謎を解けることになるからである。この思想を錬金術に導入したパラケルスス(1493-1541)である。この照応関係から考えると、卑金属が貴金属になるとはどのような意味を持つか。本当に鉄や銅を金に変えられるなら、人間もさらに上の存在に変えられることになる。金は永遠性・完全性。その生成とは、人間に照応すれば人間以上の存在、つまり不老不死の実現、または神そのものへの進化へとつながる。この発想は空海の「即身成仏」の思想にも見いだせる。弘法大師伝説の中には貴族たちの前で黄金体になったというものがある。化学技術としての錬金術はついに成功しなかったが、ヨーロッパの神秘主義に大きな影響を与えた。
挫折した技術、結実した哲学:物質を超える永遠の探究
西洋錬金術は「怪しげな疑似科学」「近代化学の母胎」、そして「神秘主義的修行体系」という三つの顔を同時に持つ。物質的技術としての錬金術は挫折したものの、その過程において化学の発展に寄与した。他方、哲学・神秘思想からは人間存在の変容をめぐる思想史として捉えることができる。人は科学が発達するほどに神秘に惹かれる傾向があるように思える。錬金術も疑似科学で終わらなかった。それは死を乗り越え、神への変成という黄金変成以上のロマンがこめられている。
参考資料
■池上英洋「錬金術の歴史 秘めたる‐秘めたるわざの思想と図像」創元社(2023)
■アレクサンダーワイルダー著/堀江聡訳「新プラトン主義と錬金術」宇宙パブリッシング(2014)



























