霊魂、死後の世界、オカルト、スピリチュアル…人は目に見えない世界に憧れを抱き続けた。それは科学時代に入っても変わらない。抗しがたい運命を克服したい願望は、様々な宗教、神秘思想を生み出した。そして近現代の神秘思想は「神智学」が大きな潮流となった。

神智学を提唱したヘレン・ペトロヴナ・ブラヴァツキー
「神智学」という言葉には古代の西洋神秘思想を指すこともあるが、近年で最も知られている、19世紀に登場した神秘思想体系としての神智学はヘレン・ペトロヴナ・ブラヴァツキー(1831〜1891)らによって創始された神秘学団体「神智学協会」が提唱した。ブラヴァツキー夫人、マダム・ブラヴァツキーとして知られるこの人物は、新プラトン主義やグノーシス主義、ユダヤ神秘主義カバラといった西洋の神秘思想に、チベット仏教やインド哲学などの東洋思想を加えた総合的神秘主義といえる「神智学」を構築した。現代神秘思想のゴッドマザーといえる存在である。神智学は現代の神秘思想に多大な影響を与え、日本でも明治時代に紹介された。また、中国を経由して伝来した仏教とは違う西洋発信の「仏教」として、革新的な僧侶や仏教研究者らにも注目された。ブラヴァツキーの評価は様々であり、ペテン師、詐欺師とも言われ糾弾されることもあった。しかし21世紀に入った辺りから神智学の再評価が精力的に研究されている。
「心霊」を否定する神智学
神智学は近代西洋のオカルトやスピリチュアルの元祖的なイメージを持たれやすい。実際、神智学は当時欧米を席巻していたスピリチュアリズム(心霊主義)の熱狂の中から生まれた。しかしここで言うスピリチュアリズムは、現代のスピリチュアリティとは趣きが異なる。スピリチュアリズムは、ウィジャ盤(西洋版コックリさん)などを用いた死者との交霊、霊を呼び出しエクトプラズムを使った物理現象などを盛んに行った。ブラヴァツキーは自身も霊媒体質ではあったが、そうした現象を見世物のように派手に喧伝する姿勢には否定的だった。現代のスピリチュアルと呼ばれる社会現象も、そうした物理現象より「癒やし」や「気づき」など、やや抽象的な世界を指向するものといえる。パワースポットを巡る今どきの人たちは開運ややヒーリング的な効果が目的であって、一部には金粉を降らせたり、空中を浮いたりする現象もあるものの、 交霊やエクトプラズムなどのおどろおどろしい現象には関心はない人がほとんどではないだろうか。神智学もあくまで宇宙や魂の真理を探究する学問として構築された。
神智学が説く身体
神智学は人間の身体が肉体だけでないこと、肉体が滅んで死を迎えてもそれが終わりではないと説く。教義では人間の身体は、肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体、ブッディ、アートマ…などに重なり合っているという(各名称や細かい階層の表現は神智学系の思想家によって異なる)。最も肉体に近いエーテル体は生命そのもの、アストラル体は感情、メンタル体は知的能力、コーザル体は霊的な世界に関わっている。エーテル体にはエーテル界、アストラル体にはアストラル界がそれぞれ対応しており、異なる次元によって幾層にもなっているという。人間は肉体の死後、意識が肉体からエーテル体、アストラル体…へと移動するなどとしている。
輪廻転生と魂の進化論
肉体が滅んだ後に霊体となった我々に待っているのは輪廻転生である。仏教やヒンドゥー教における転生は、天界から地獄、修羅(争い)、畜生(人間以外の生き物)などの世界を延々と繰り返される苦の連続である。天界はどうかというと喜びの世界ではあるが、寿命が尽きる時地獄以上の苦しみが待っている。この苦しみから逃れるために、仏教で「解脱」ヒンドゥーでは「梵我一如」などが説かれている。一方、神智学では、霊体は転生を繰り返す度に進化していく、魂の進化論(霊的進化論)が展開されている。霊体は転生する度にその人生での行いが「カルマ」(業)として蓄積され、来世の課題となる。次の世でその課題を克服し更に洗練されていく。そして最終的には進化ならぬ神化を遂げるという(物理的な欲望に溺れ、克服できない場合は動物な魂に退化する)。神智学は東洋思想とは転生の意味がまったく異なり、魂の進化のために行われるのである。
ブラヴァツキーの生きた19世紀はダーウィンの進化論が人類の歴史に革命的な衝撃を与えた。しかしダーウィン進化論は、あくまで生物の肉体にのみ適用される。ブラヴァツキーは人間には霊(魂、精神)が存在し、肉体だけでなく霊もまた進化すると考えたのである。輪廻転生を進化論的に解釈した死後モデルはとてつもなく長いスケールで、私たちが今生で直面する死などは次の生へのステップに過ぎない。これが神智学と袂を分かったルドルフ・シュタイナーの「人智学」となると、地球そのものも進化していくとする、さらなるスケールの転生進化論を唱えているのだが、葬儀コラムの範疇を超えている。神智学の死後モデルに従うなら人生は一度きりではない。今生における成功や楽しさは進化のエネルギーになり、失敗や悲しさは課題として、やはり進化の糧になる。「死」という悲劇的な現象がアクティブでダイナミックな姿に変貌するのである。
否定できないおとぎ話
神智学の理論はキリスト教の権威や現代科学の視点からはトンデモのレッテルを貼られがちである。確かに荒唐無稽なおとぎ話とも取れる。では、死んだ人間が実は神の子で復活したとか、天界で修業している未来仏が56億年後に降り立つなどとする物語は荒唐無稽ではないのか。宗教学者・大田俊寛は霊的進化論を誇大妄想だと結論づけたがその上で、科学的世界観や物質的価値観のみで社会が成り立つのかとも述べており、我々が目に見えない世界への憧憬を否定しきれていない。死を壮大なライフサイクルの一環と捉えるダイナミックな進化論はさらなる探究が求められる。
参考資料
■H・P・ブラヴァツキー著/田中恵美子訳「神智学の鍵」UTYU PUBLISHING(2018)
■土方三羊「アリス・ベイリー入門—トランス・ヒマラヤ密教とは何か」アルテ(2019)
■大田俊寛「現在オカルトの根源」ちくま新書(2013)