神仏習合の国・日本では葬儀の中にも様々な外来宗教の要素を見出すことができる。外来の信仰を受け入れる、習合という現象自体は珍しいものではない。だが他の国の「習合」と比較すると、日本が独特の展開を見せたことがわかる。

宗教の二つの分類 自然宗教と創唱宗教
宗教には自然宗教と創唱宗教という分類がある。前者は自然崇拝。天地自然に神的なものを見出し崇める信仰形態である。日本の神道がそうであるし、世界各国に伝わる冬至や夏至などを祝う民間信仰、土着信仰がこれにあたる。具体的な創始者や教義は存在せず、自然発生的に生まれた宗教的慣習を指す。後者はカリスマ的な創始者が唱え、その人物の思想を後継者が伝えたもの。仏教(釈迦)、キリスト教(イエス)、イスラム教(ムハンマド)に代表される。いわゆる世界三大宗教がいずれも創唱宗教なのは、特定の風土や民族に限定されない普遍的な教義が完備されていることが大きい。日本では後に神道と呼ばれる素朴な自然宗教が存在していたところに、仏教という創唱宗教が伝来した。一方、ヨーロッパではそれぞれの土着信仰を持つ諸民族の前に、創唱宗教・キリスト教が布教にやってきたのであった。
日本信仰の最大の特徴 神仏習合
日本の信仰形態における最大の特徴は神仏習合にあると思われる。現代では様々な「〜葬」と呼ばれる葬儀の形式が存在するが、最もオーソドックスな仏式葬儀の場には、仏教、儒教、道教、神道の要素が散りばめられているのがわかる。全体的には僧侶、読経、埋葬と、仏教による葬送儀礼が表に出ているが、位牌は儒教が由来であるし、仏滅や友引などの「七曜」は道教の影響が大きい陰陽道のものである。そして死を穢れとして忌避する神道も清め塩という慣習で登場する。
素朴な自然崇拝だった日本の信仰が仏教に飲み込れ消滅してもおかしくないのだが、むしろ理論的な仏教の影響で形式化され「神道」となった。宗教としての「神道」は仏教によって生まれたといってよい。一方、仏教側でも日本古来の宗教観と折衷し、本覚思想という汎神論的な思想が生まれることになる。さらにそうした中で儒教や道教の要素も組み込まれていった。仏教需要をめぐっては蘇我氏、物部氏の間で武力闘争に発展したが、その後は仏教が優位に立ちながらも、概ね平和的に神仏習合が進んだ。自然宗教と創唱宗教は争うことなく、神宮寺や神前読経のように、互いに原形を保ち影響を与えながら溶け込んでいったのである。
習合ではなく吸収 キリスト教布教の苛烈な侵略的手法
日本の神仏習合に比べ、創唱宗教の代表といえる キリスト教が布教するにあたり行った従来の宗教、信仰に対する手段は「習合」ではなく「吸収」ともいうべきものだった。自然崇拝、土着信仰はキリスト教の教義に再解釈され、塗り替えられたのである。まずキリスト教の宣教師は土着の神々を悪魔とみなした。例えば、地中海・中東地域で豊穣の神、女神として信仰されていたバアル、イシュタイルらの神々は、地獄の君主と言われるベルゼバブ、アスタロトなどの大悪魔に替えられた。冬至を祝うケルトの祝祭はクリスマスになった。クリスマスツリーも古代ゲルマン民族の土着信仰である樫の木信仰が元になっている。真冬でも葉が枯れない樫の木には神がいると信じられ冬至の祝祭で崇められた。キリスト教の宣教師は樫の木を切り倒し、代わりにモミの木を広めたという。そして「創世記」に基づき、人間を含め地上のものはすべてが神の被造物となった。その中で人間は、唯一神の似姿として地上の頂点に君臨し自然の上に立つ。天地自然は恵みを与え、時には畏れる存在ではなくなった。
はっきりいえば創唱宗教による自然宗教の「乗っ取り」である。または文化的侵略ともいえる。近年コロンブスの評価が「冒険者」から「侵略者」へ下落しているが、「新大陸」の「発見」とは、どの視点からの言葉なのかというところである。日本においてもキリシタンによる寺社破壊や奴隷売買など、殉教の美談に隠れた暴挙が指摘されている(参照拙稿記事)。いずれも徹底した一神教故の苛烈な現象であった。
平和的習合だけではない 日本における宗教間の軋轢
日本の神仏習合は平和的な宗教間対話であり、キリスト教の布教は侵略的であると強調したが、手離しに断言するわけではない。日本にあっても宗教間の軋轢はあり、宗教戦争といえる争いもあった。蘇我物部の崇仏闘争、室町時代に法華宗と延暦寺・一向宗が争った「天文法華の乱」。後年には国の思惑を超え庶民が暴走した「廃仏毀釈」により九州の仏教文化は壊滅的打撃を受けたのである。
他方、キリスト教の光の部分に焦点を絞れば、優れた教義、人物は数多い。何よりキリスト教の自然支配、自然操作の考えが「科学革命」を生む素地にもなった。科学の発展が負の要素も含みつつ、我々に計り知れない恩恵を与えたことは言うまでもない。文化的侵略について反省する流れもある。第264代ローマ教皇・ヨハネ・パウロ二世(1920〜2005)は十字軍や異端審問などの侵略・破壊・殺戮行為に対し謝罪した。また、ヨーロッパでは自然崇拝を見直そうとする運動もあり、キリスト教的宗教観に対する反省を呼びかけている(ネオペイガニズムなど)。
そういった面を指摘した上でなお、同じ家に神棚と仏壇がそのままの形で共存する日本の風景はやはり独特であるといえる。多様性が叫ばれる現代において見直されるべき現象ではないだろうか。
日本の神仏習合が教える「多様性」の本質
多様性の時代、葬儀ひとつ取っても様々な形が存在する。だが「多様性」を唱える人の中には一部、昔ながらの価値観、宗教観を古いものとして頭ごなしに否定する不寛容さが見受けられる。この矛盾は既成観念を打破しようとするあまり陥りやすい罠である。自分たちの思想だけが正しいではキリスト教の文化的侵略の繰り返しになるだろう。日本に伝来した仏教は土着信仰(神道)を否定せず、神道は仏教(儒教・道教など)を受け入れた。様々な見方はあるものの、総じて日本の神仏習合は多様性とは何かを学ぶべき内容に満ちているといえる。