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祭りの陽気さがない、死者供養の為だけに行われる佃島の盆踊り

「お盆と言えば、盆踊り」だったはずだが、近年、「盆踊り」のありようが大きく変わってきているようだ。例えば江戸三代祭のひとつ、「神田祭」で知られる神田明神主催の「神田明神納涼祭り」では、アニメファンの聖地・総本山とも言える「秋葉原」に近い「土地柄」ゆえに、初日の「アニソン盆踊り」が多くの話題をさらっている。今年は『ドラえもん音頭』、『サンシャインぴっかぴか音頭』(『ラブライブ!サンシャイン‼️』)『おそ松くん音頭』などのアニメソング音頭の後、今年は「召喚もの」で人気を博している『邪神ちゃんドロップキック』(2012年〜)とのコラボによる、『邪神ちゃん音頭』も披露された。しかもそれは「一部のマニア」のみが集う、ひっそりしたものではなく、外国人旅行者も加わり、盛大に盛り上がったという。

このような「いい話」ばかりではない。

祭りの陽気さがない、死者供養の為だけに行われる佃島の盆踊り

現在の盆踊り

地域によっては、たとえ「都会」であっても少子高齢化や、地域との「つながり」を忌避する傾向にある、「よそ」から移ってきた人々が増えてきたことから、古くから伝わる盆踊りの伝統を継承するべき人材が見つからない。場合によっては地域住民の間から、「音がうるさい!止めろ!」などのクレームが発生し、せっかくのお祭りに水が差される場合もある。こうしたトラブル対策のひとつに、参加者全員がイヤホンを装着し、傍目には「ギョッとする雰囲気」とはいえ、「無音」の中、盆踊りを踊るところもある。

更に2020(令和2)〜2023(令和5)年は、新型コロナウィルスの感染拡大によって、大勢の人が集まるイベントは「自粛」「中止」に追い込まれてしまった。そうした中、「オンライン盆踊り」をYouTubeやZoomで配信し、参加者を募る動きも多々見られた。その一例として、現代音頭作曲家の山中カメラ(1978〜)は2021年12月4日に、「『年末会えない人に逢う』年忘れ!アバター紙人形ボンダンス大会」を開催した。「オンライン盆踊り」に限らず、コンサートやイベントなどは「現場」「リアル」でないと「意味がない」という向きもあるだろうが、必ずしもウィルス感染や拡大予防に限らず、日本全国津々浦々はもちろんのこと、遠く離れた海外からでもリアルタイムで参加できること。また、旧来の「固定的」で「しがらみが強い」コミュニティで運営されてきたものとは異なり、時には「自分」がどこの誰で何をやっているのか…等々を一切明かさなくても、「アバター紙人形」であれば、気軽に参加できる利点もある。しかも今年の6月には「空間コンピュータ」、Apple Vision Proが発売された。こうしたデバイスの技術革新は無限に続く。そうした側面からも、「オンライン盆踊り」が廃れることはないだろう。

「盆踊り」といえば一般に、『東京音頭』などのご当地音頭や『炭坑節』。あとは「子供向け」の『ドラえもん音頭』(1979年)や『アンパンマン音頭』(1989年)…いずれも陽気で明るい音色に乗って、楽しく踊り回りながらも、「ああ、もうお盆か…時が経つのは早いなあ…」と、一抹の寂しさを感じさせるものだ。我々は長らく、「その空気感」が日本の古くからの「文化」「伝統」と思い込んできた。しかし、そのような「盆踊り」のありようは、歴史家のエリック・ホブズボウム(1917〜2012)/テレンス・レンジャー(1929〜2015)の『創られた伝統』(1983年)の一例だった。以下、詳しく「盆踊り」の歴史について眺めてみたい。

死者を供養するために生まれた盆踊り

そもそも「盆踊り」とは、「盂蘭盆会(うらぼんえ)に行われる亡魂供養のための踊り」だ。死者を供養するという、仏事における、ある意味厳粛な儀式と、陽気で明るい「踊り」とがどうして結びついてしまったのか。その起源として有力なものに、「念仏踊り」がある。室町時代(1336〜1573)の『看聞御記(かんもんぎょき)』(1416〜48年)の1431(永享3)年7月15日条に、「念仏踊りが踊られていた」と記録されている。「踊念仏(おどりねんぶつ)」、「踊躍(ゆやく)念仏」とも呼ばれる「念仏踊り」は、集団で念仏を唱えながら、時に鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らして、集団で踊り回るものだ。平安時代(794〜1185)の空也(903〜972)が始め、鎌倉時代(1185〜1333)の一遍(1239〜1289)によって大いに広まったと言われている。

また、『春日権神主師淳記(かすがごんかんぬししじんき)』(1497年)には、今日の奈良市中心部の高畑町(たかばたけちょう)で、「盆ノオドリ」が「昼は新薬師寺、夜は不空院(ふくういん)の辻で行われた」との記載がある。しかも人々は日常の身なりではなく、「風流(ふりゅう)」の装い、すなわち「人の目を驚かすことに眼目を置いた趣向」で踊っていたという。しかもこの「風流」はこの頃から、一部の貴族や芸能者にとどまらず、一般庶民の間にも広まった。しかもそれは「服装」に限らず、祇園祭の山鉾(やまほこ)の意匠、正月の松林、盂蘭盆会の囃子もの、祭礼行列などにおいても、互いに「風流」を競い合い、ますます発展していった。更にその趣向が「風流踊り」となって、人々は盂蘭盆会のみならず、雨乞い儀式、寺社の祭礼の折などに、衣装や持ち物、歌や踊りに工夫を凝らし、踊り回ることが大流行したのである。

このように、「念仏踊り」「風流踊り」が融合した「盆踊り」は、江戸期にその興隆の頂点を迎えた。

盆踊りの隆盛と衰退

しかし、全国津々浦々に広がっていった「盆踊り」だが、一時、消滅しかけた時期もあった。全国各地の農山村には、「都市」のような「娯楽」がない。それゆえに明治の頭ぐらいまでは、「若い男女が山などの聖地に集い、歌を交わし合って、互いの想いを打ち明ける」という、古代の儀式・歌垣(うたがき)さながらの、「夜通し熱狂的に騒ぎ踊る、男女の出会いの場」と化してしまっていた。明治新政府が西欧文明を積極的に受容し、「近代化」を目指し始めていた1872〜1877(明治5〜10)年の間に、盆踊りは風紀を乱すものとして、全国各地で禁止令が出されてしまったのだ。

しかし再び、「盆踊り」を含めた「日本の文化」「伝統」が見直されるようになった。こうした「機運」が日本国内で盛り上がった理由として、文筆家の大石始(1975〜)は『盆踊りの戦後史 「ふるさと」の喪失と創造』(2020年)において、以下のように記している。

1.明治初期のような、極端な近代化志向が落ち着いた

2.徹夜踊りの禁止・旧来の猥雑な唄を改良するなど、「盆踊り」を健全な農村娯楽に変える。その背景には、「健全」な農村で育ち、真面目に働く若者たちを、「兵力」を含め、国を支える重要な存在と捉える機運が高まっていた

3.1926(大正15)年、社団法人日本放送協会の設立に伴い、日本全国の「ローカル文化」がラジオ放送の「素材」「ネタ」として重要なものとなった

4.民俗学者・柳田國男(1875〜1962)による、郷土研究がブームとなる。それに伴い、日本各地に「郷土史家」が現れる。また、教育現場でも郷土教育に力を入れるようになった

5.昭和初期に「旅行ブーム」が起こる。今日の「観光コンテンツ」のように、全国各地の民謡・民話を通して「日本を発見しよう」とする機運が高まった

更に、「健全」な「新音頭」である『東京音頭』が1933(昭和8)年につくられたこともまた、当時の「文化運動」の一環だったと指摘する。

東京音頭の原曲 丸の内音頭

今日、我々が知る盆踊りの定番中の定番でもある『東京音頭』は、その前年に発売された『丸の内音頭』が原曲だった。作詞は西条八十(さいじょうやそ、1892〜1970)、作曲は中山晋平(1887〜1952)。ただそこで「新しい」とはいえ、西欧のクラシックや民衆歌などではなく、西条と中山は、「日本らしさ」「郷土色」「大衆性」を出すために各地のお座敷を訪ね歩き、芸者衆の奏でる端唄(はうた)や俗曲(ぞっきょく)に耳を傾け、作品づくりに参照していたという。

しかも当時の東京には、多くの人々の熱気に包まれる、浅草の三社祭(さんじゃまつり)のような氏神様の祭礼はあったにしても、「田舎」のような「盆踊り」がなかった。そして、1923(大正12)年の関東大震災からは復興を遂げていたとはいえ、1929(昭和4)年の世界大恐慌の暗い不況ムードが世に蔓延していた。そこで丸の内・有楽町界隈の高級飲食店経営者たちが、その「空気」を吹き飛ばそうと、「ひとつ今年から東京でも盆踊りやってみよう」と言い出したことがきっかけで、『丸の内音頭』がつくられた。その夏には日比谷公園で、実に盛大な盆踊り大会が開催された。そしてその翌年、「丸の内」から「東京」に作りかえられたのは、レコード発売元のビクターが、全国展開を目指したためだった。それが目論見だけで終わらず、大成功に終わったのは、明るく、聞き覚えがあり、「ノリがいい」曲調と歌詞。しかも当時は、日本軍の中国大陸への進出/侵略、プロレタリア作家・小林多喜二(1903〜1933)の拷問死…等々、1939(昭和14)年に勃発する第二次世界大戦に向かいつつある「不穏な空気」が蔓延していた。それらを払拭するために、「官」「民」いずれもが、陽気で楽しいイベントを欲していた。更に、櫓が組まれ、大太鼓が持ち出されることはあっても、基本「レコード」さえあれば、笛その他の囃子方(はやしかた)や歌い手を引っ張ってくる必要はない。その結果、盆踊りの開催がより簡便なものになった。それもまた、『東京音頭』が全国津々浦々の盆踊り大会に採用され続けた、大きな理由でもあった。

東京都中央区の佃島では一風変わった盆踊りが行われている

とはいえ、東京・佃島(つくだじま)では、以上述べてきたような盆踊りとは少し、毛色の異なる盆踊り(東京都指定民俗文化財)が毎年、開催されている。

佃島とは、東京都中央区佃(つくだ)に所在する。「もんじゃ焼き」で有名な東京メトロ/都営地下鉄大江戸線の月島(つきしま)駅から徒歩5分のところにある。天にそびえる高層タワーマンション群と、幸いにも第二次世界大戦(1939〜1945)時に空襲に遭わなかったことから、昔ながらの木造2階建ての民家が多く残っている。今では開発が進み、地理学者のエドワード・レルフ(1944〜)が定義した「没場所性(placelessness)」ではないが、「よくある湾岸地域の風景」だ。しかし「ここ」はかつて、まさに言葉通りの「島」だった。

佃島の氏神である住吉神社の縁起によると、徳川家康(1543〜1616)が江戸に入る前の、天正年間(1573〜92)のこと。摂津國(現・大阪府北中部と兵庫県南東部)の多田神社(現・兵庫県川西市)に参詣しようとしたとき、神崎川(かんざきがわ)に渡船がなかった。そこで田蓑島(たみのしま。現・大阪市西淀川区佃)の漁夫たちが、家康のために船を出した。そのおかげで家康は多田神社に詣でることができた。更に漁夫たちの氏神である住吉社(現・田蓑神社)にも参拝した。漁夫たちに感謝した家康は、「漁業の傍ら、田もつくれ」と命じ、村名を「佃」に変えさせた。しかし旧来の「田蓑」の名を残すため、住吉社の社名を「田蓑神社」に改めさせたという。

その後1590(天正18)年、今度は家康が江戸に入るという。家康としては彼らの先進的な漁法や土木工事の知識・経験を必要としたのだろう。佃の漁民33人、田蓑神社の神職の弟に、住吉三神の分霊とともに、江戸に下るように命じた。その後、寛永年間(1624〜1645)に彼らは幕府より隅田川西岸の鉄砲洲(てっぽうず。現・中央区入舟、湊、明石町)の向かい側に位置していた干潟を賜った。そこで正保2(1645)年に築島工事を始め、その翌年に完成した。それが「佃島」だ。また、住吉三神に加え、神功皇后、そして徳川家康をも祀る住吉神社も建てられた。しかもこの住吉神社は、佃島ならではの海運業・問屋組合の人々から尊崇を集め、今日に至っている。

死者を供養する ただただそれだけを目的とした厳粛な盆踊りが残る佃島

佃島に住み着いた漁師たちには、毎年11月〜3月まで、徳川将軍家に白魚を献上するよう命じられていた。しかし彼らは江戸湊における白魚漁の独占権を有していたため、味にうるさい江戸っ子から、「冬の白魚」の需要が高かったことから、豊かな生活を送ることができた。

江戸幕府、そして江戸という都そのものの発展を助けた「佃島」の人々はもちろん、「江戸っ子」であることは間違いないのだが、そのルーツは、日本という国そのものが成立した、645(大化)元年の大化の改新に始まる、日本最古の港湾都市・摂津國にあった。それゆえなのか、毎年新暦の7月13・14・15日の3日間、佃1丁目中央通りで催される盆踊りには、『東京音頭』『ドラえもん音頭』などが流れる盆踊りにはない、独特の哀感が漂っている。しかも、他の江戸市中の人々が、「7月の盆踊りが8月まで続けることを禁止する」(1677(延宝5)年)、「交通妨害になるため、6月の夜中に踊ること」(1709(宝永6)年)等、たびたび幕府から盆踊りに関するおふれが出ていたにもかかわらず、家康以来、「大切にされてきた」佃島においては、そのような禁令が出されることがなかった。そうしたことから、「江戸前」よりもはるかに重く深い「歴史」に満ちた「摂津國」の雰囲気、すなわち本来の、「盂蘭盆会に行われる亡魂供養のための踊り」が消えずに「残っている」のだろう。

単調な太鼓を伴奏に、男性が低い声で静かに歌う数え歌のひとつを紹介しよう。

踊れ人々 供養のためじゃ
五穀実りて 大風もなし
天のめぐみぞ 佛の音頭
恩を思えば 信心しやれ
一に一世の災難逃れ
二には日夜に気も和らぎて
三に三毒 消滅するぞ
四には自然と 家 富み栄え
五には後生の疑い晴れて 
六に六親 仲睦まじく
七に七福 その身に備え
九には九品(くぼん)の浄土に生まれ
十で十方 成仏助け
忘れまいどへ 朝夕ともに
信の一家が ただ肝要で 
座臥(ざが)に唱えよ 南無阿弥陀仏

長野県と愛知県の境にある農村に残る盆踊り

舞踊研究家で民俗学者の小寺融吉(こでらゆうきち、1895〜1945)が1931(昭和6)年に、長野県と愛知県の境にある農村で採集した、「太鼓に鉦と笛の囃子に合せて、静かに踊り廻ると、音頭取りが澁い聲」で唄ったものがある。

…間もなく七月盆がきて 親のお墓へ詣れとノウ
親のお墓へ詣るのは 左の御手に香花を
右の御手に珠數をかけ 親のお墓へ詣りては
今年の草を手でむしり むしれぬ草は鎌で刈り
むしりし草を振棄てゝ その身はそこに草まくら
きのふ生れしみどり子は 七本塔婆にとりついて 
ほろりほろりと嘆きする そこへ和尚が立ちよりて
何を嘆くよ みどり子は 親がないとて嘆きする
親がないとて嘆きすな 物のためしがあるよ聞け
清き河原の二本(ふたもと)柳は 親はなくとも子は育つ
せめて柳は二本(にほん)も揃ほが われは此世のひとりもの

この盆踊りに居合わせ、詳細な記録を残した小寺は、極めて単純な一挙一動、一進一退ではあるが、「或る真剣な、眞に迫つて、人間に肉迫する力を有している」と評した。そして、歴史に残る古典の傑作は、古人が身命を賭けて完成したものであるため、それを踊り生かす現代の人々は、その古人の意気と対抗しうるだけの意気を持たなければならない。また、後世に残るべき新作を完成しようとする場合も同じだ、と述べ、今の舞踊家たちの大部分が怠け者で、血の通わない踊りを演じて得々としている、と厳しい言葉で締めくくっていた。

両者に残る メメント・モリ

言葉や内容は異なるとはいえ、現代の佃島の盆踊りや、小寺が紹介した93年前の、長野県と愛知県の境にある村で踊られていたものはいずれも、お盆の時期に帰ってくるという死者の魂をただただ「慰める」「供養する」だけの、「法事」「仏事」の延長ではない。古代ローマ帝国以来ずっと、西欧諸国の人々に長く息づく「メメント・モリ(memento mori)(死を想え)」ではないが、今、踊りを踊っている、音頭を聞いている「自分」が生きていることのありがたさが実感できる。しかも、「今」という時間を大切にすることを静かに、穏やかに勧めてくれている「超絶的存在」、それは「神」、「先祖」、「亡くなった身内の誰か」、「今歌っているあの歌い手さん」、「祭りを継承してきた人々」を胸に強く感じさせるものだ。「地域振興/再生」「観光コンテンツ」のために催される大規模イベントと化した盆踊りが少なくない現在、佃島の盆踊りは、我々を虚飾と喧騒に満ちた日々から、我々を一旦引き離す。そして「人はいつか死ぬ」、人間の苛烈な宿命を静かに示し、「また明日から、生きよう!」と優しく背中を押してくれる貴重なひとときをもたらしてくれるものなのだ。

最後に

冒頭で紹介した「アニソン盆踊り」や「オンライン盆踊り」ではないが、日本の「伝統行事」である「盆踊り」を取り巻く社会情勢、それと共に在る人々の心や価値観の変化に伴い、「盆踊り」の音曲や開催地、踊り方、訴えかけるもの…は今後更に大きく変貌を遂げることだろう。佃島の盆踊りが今後も継承されて欲しいことは言を俟たないが、先に挙げた「変化」「変容」を否定・拒絶することなく、それもまた、「盂蘭盆会に行われる亡魂供養のための踊り」の一例として、寛容な心で受け入れて、踊りの輪に加わりたいものだ。それこそが「亡くなった人々の魂」が喜ぶことなのだから。

参考資料

■小寺融吉「日本の舞踊」中央公論社(編)『婦人公論大學 第18 演劇映畫篇』1931年(377-399頁)中央公論社
■小寺融吉『郷土舞踊と盆踊』1941年 桃蹊書房
■北原進・山本純美『<東京ふる里文庫 21> 中央区の歴史』1979年 名著出版
■本田安次「念仏踊」井筒雅風・遠藤元男・岡田章雄・柴田實・進士慶幹・高橋雅夫・鳥越憲三郎・林屋辰三郎・樋口清之・和歌森太郎(編)『日本風俗史事典』1979年(490頁)弘文堂
■本田安次「盆踊」井筒雅風・遠藤元男・岡田章雄・柴田實・進士慶幹・高橋雅夫・鳥越憲三郎・林屋辰三郎・樋口清之・和歌森太郎(編)『日本風俗史事典』1979年(601頁)弘文堂
■松平誠「盆踊り」石川弘義・津金澤聰廣・有末賢・佐藤健二・島崎征介・薗田碩哉・鷹橋信夫・田村穣生・寺出浩司・吉見俊哉(編)『大衆文化事典』1991年 (735頁)弘文堂
■エリック・ホブズボウム/テレンス・レンジャー(編著)/前川啓治・梶原景昭(訳)『文化人類学叢書 創られた伝統』1992年 紀伊國屋書店
■エドワード・レルフ(著)/高野岳彦・石山美也子・阿部隆(訳)『場所の現象学』1993年 ちくま学芸文庫
■西角井正大「盆踊り」福田アジオ・神田より子・新谷尚紀・中込睦子・湯川洋司・渡邊欣雄(編)『精選 日本民俗辞典』2006年(484-485頁)吉川弘文館
■山路興造「風流(ふりゅう)」福田アジオ・神田より子・新谷尚紀・中込睦子・湯川洋司・渡邊欣雄(編)『精選 日本民俗辞典』2006年(466-467頁)吉川弘文館
■佐藤弘「盆踊り」加藤友康・高埜利彦・山田邦明(編)『年中行事大辞典』2009年(633頁)吉川弘文館
■「佃島の盆踊 400年の伝統 住民対立で夏の風物詩ピンチ」『毎日新聞』2018年6月9日
■「佃島盆踊 新団体が主催し開幕 旧団体も来月開催」『毎日新聞』2018年7月13日
■大石始『盆踊りの戦後史 「ふるさと」の喪失と創造』2020年 筑摩書房
■「東京の原風景が残る中央区『佃島』 進む再開発で下町情緒は失われたのか?」『アーバンライフ東京』2021年3月1日 
■『現代音頭』2021年
■「コロナ禍だからこそ発展中、オンライン盆踊り史は始まったばかり」『オマツリジャパン』2022年3月14日 
■「人手不足や騒音問題…様変わりする『盆踊り』 音楽をイヤホンで聞きながら踊る異色の形式も」『zakzak』2022年8月19日
■「Newsroom: Apple Vision Proが登場 −Appleが開発した初の空間コンピュータ」『apple.com』2023年6月5日
■「『東京音頭』誕生90年、丸の内発祥で『替え歌』今なお進化…愛され続ける理由は?」『讀賣新聞オンライン』2023年8月23日
■「佃島盆踊り 2024年も例年どおり開催されました」『佃月島新聞』2024年7月
■「鈴木愛奈が歌い、邪神ちゃんとアキバ民が踊りまくる!神田明神 納涼祭りのアニソン盆踊り×『邪神ちゃんドロップキック』が熱すぎた‼️」『アキバ総研』2024年8月9日
■「令和6年 神田明神 納涼祭り」『神田明神 納涼祭り』
■『江戸総鎮守 神田明神
■「住吉神社について〜由緒」『住吉神社』
■「佃島の盆踊」『東京 中央区観光ガイド』2024年
■「佃島の歴史 1 〜家康と佃村〜」『日本人の忘れもの 和のたしな美塾』
■「佃島の歴史 2 〜『佃島』の誕生〜」『日本人の忘れもの 和のたしな美塾』
■『佃島の盆踊
■「佃島盆踊り」『全国盆踊りガイド』
■「佃島MAP」『水産庁』
■『盆踊りの世界

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