神は存在するのか。神が存在するなら人間は死んで終わりではない可能性が高くなる。西洋思想の世界では、神の存在証明をめぐる議論が21世紀の現代にまで続いている。その中で「人間は考える葦である」で有名な17世紀の思想家パスカルは、神を信じて生きていく方が「得」であるという論理を展開していた。
パスカルの賭け
ブレーズ・パスカル(1623〜1662)。フランスの科学者・数学者であり哲学者・神学者でもある。科学者としては「パスカルの原理」の発見、哲学者としては「人間は考える葦である」の名言で知られる。彼が主著「パンセ」で展開した「パスカルの賭け」という議論がある。
パスカルは神の存在証明は不可能との立場を取った。人間はこの世に生きている限り、神の存在を知ることはできず、神の不在を証明することもできない。全能の神が存在するとしたら人間との差は、人間とアリ以上だろう。神と人間の間には無限に深い溝がある。結局は神を信じるか信じないか、信仰・信条の問題ということになる。存在証明はできないが神を信じたい。理性で神を信じるにはどうすればよいか。それは損得で考えることである。つまり人間は神がいるか、いないかの賭けをするのだ。
どちらが得か
人間は生きる上において「神は存在する」「神は存在しない」のどちらかに賭けることになる。「存在する」に賭けた人は特定の宗教を信じなくても、それなりの倫理のようなものを守っていく生き方となる。「存在しない」に賭けた人はルールなど気にせず自由に生きることができる。そして賭けの結果が出るのは死んだ後である。賭けなので当然払い戻しが支払われる。
結果が「存在する」なら、パスカルによると「無限に幸福な無限の生命」が得られる。神を信じて敬虔な生き方をして、本当に神がいるのならそれくらいの価値はありそうだ。莫大な払い戻しである。一方、「存在しない」が勝った場合、金額はさしたるものではない。「いないとは思ってたが、やっぱりいなかった」というだけである。賭けに勝った場合のメリットは「存在する」の方が遥かに大きい。
では、負けた場合のことを考えてみる。「存在する」に賭けて負けた場合は「がっかりする」である。せっかく清く正しく生きてきたのに神はいなかった。残念なことだ。だが余程の禁欲生活を送った人でもない限り、清い生き方が苦しいとは思えない。むしろ欲望のまま醜い生き方をせずに済んだことに誇りを持つ人もいるかもしれない。肩透かしは食らったものの、多くの人にとっては許容範囲といえる。問題は「存在しない」に賭けて負けた場合である。つまり神なんかいないと自由気ままに生きてたものの、死んだら実は神様はいたという結果である。パスカルはキリスト教なので特にそうだが、神様の不信心者への罰は厳しい。下手をすれば地獄行きである。笑って地獄の業火に放り投げられる人もいるかもしれないが、死んだ後なので苦しみは永遠に続いてしまう。
哲学者・上枝美典によると
哲学者・上枝美典(慶応大学)の例を拝借すると次のようになる。
「存在する」
勝ち・1億円プラス/負け・1万円マイナス
「存在しない」
勝ち・1万円プラス/負け・1億円マイナス
これで「存在しない」に賭ける人がいるだろうか。上枝は「見通しの悪い交差点を減速しないで通過すること」にも例えている。通行車両がなければ何秒かの時間と数滴のガソリンの節約になるが、鉢合わせになれば命の危険と莫大な損害を背負い込むことになる。パスカルの賭けでは「神は存在しない」に賭けるのは愚かすぎる。「神は存在する」に賭けた方が、つまり信仰を持って生きる方が得になるという結論になった。
反論
これでめでたしというわけにはいかない。パスカルの賭けは相当な穴がある。神が存在するからといって信仰の対価が永遠の生命である保証はなく、不信心者を地獄に堕とすとは限らない。そもそも神とはそれほど狭量なのか。神を信じない人にも様々な理由があるはずだ。あまりの不条理に神などいるものかと血の涙を流した人もいる。不信心者の全員が自由気ままに生きているわけではない。そのような人に神は手を差し伸べないのだろうか。少なくとも神など信じられないほどに追い込まれた人に対して不信心の罰を下すのは不寛容にすぎる。
また、純粋な信仰者からは損得で信仰していいのかとの反論もある。確かに信じた方が得だから信じるでは信仰も何もあったものではない。そんな形だけの信仰を神は認めるだろうか。このようにパスカルは賭けの内容に独断的な前提が盛り込まれている。とはいえパスカル自身この「賭け」の例えが最善とは思っていないようで、この例えは何を言っても納得しない無神論者への方便である要素が強い。
どちらに賭けるか
いずれにしても死後どうなるかがわからない以上、パスカルの賭けに戻ることになる。神を信じるか、信じないか。どちらに賭ければこの世を生きやすくなるのか。それが積極的な理由なら無神論でも唯物論でも、その人なりの確固たる「信仰」である。諸兄はこの世を生き抜く支えとしてどちらに賭けるだろうか。
参考資料
■上枝美典「『神』という謎−宗教哲学入門−」世界思想社(2000)
■パスカル著/前田陽一・由木康訳「パンセ」中央公論新社(2018)