日本古来の信仰形態、神道には様々な謎がある。その中でも「十種の神宝(十種神宝/とくさのかんだから)は最大の謎とされている。この神宝を手に取り、揺らしながら、秘伝の祝詞を唱える秘儀を行うと、病や傷が癒え、死者を復活させることすらできるという。
ニギハヤヒと鎮魂祭
記紀(古事記・日本書紀)によれば、天界・高天原(たかまがはら)の最高神、天照大御神は地上・葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めるため、孫にあたる神、邇邇芸命(ニニギノミコト)を派遣する。邇邇芸命は天照から授かった「三種の神器」を携え、九州の高千穂の峰に降臨した。これがよく知られている天孫降臨神話で、ニニギの曾孫が初代天皇・神武天皇であるとされる。だがそれ以前に、大和国に天孫が降臨していたという伝承がある。この天孫・饒速日命(ニギハヤヒ)は物部氏の祖神とされている。ニギハヤヒは謎の多い神で、記紀をはじめ様々な伝承によって記述が異なっている。ニニギの兄神ともされており、降臨する際に天照大神ら高天原の天津神(あまつかみ)から授かった神宝が十種神宝だった。その後ニギハヤヒは、東征を行い進軍してきた神武天皇に帰属した。
「先代旧事本紀」にはその子、宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が十種神宝と神法を父から受け継ぎ、神武帝と皇后に神宝を捧げ、鎮魂(たまふり)の神法を行い、長久長寿を祈ったとある。これが新嘗祭の前日、11月22日に行われる「鎮魂祭」の始まりとされている。鎮魂祭は天皇が11月23日に五穀豊穣を願って行う「新嘗祭(にいなめさい)」の前日に、天皇の鎮魂を行う儀式である。石上神宮や物部神社などでも行われており、石上神宮では十種神宝の実物を描いたとされる秘図を用いる。石上神宮の説明によると、生命力が衰微し枯渇する状態を克服するために、鎮魂(たまふり)がなされ、振り起された生命力に新たな力が宿るための神事だという。
死者をも生き返らせる神宝
十種神宝とは一種の剣、二種の鏡、四種の玉、三種の比礼で構成されている。このうち鏡、剣、玉は「三種の神器」と同じ構成で、古来より祭祀に使われていた。聞き慣れない「比礼」は、女性が肩にかけた薄い布のことで、やんごとなき身分の女性がこれを振ると災いを祓う力があるとされた。十種神宝を振るわせ、神宝と共に伝わる祓詞(はらえことば)を唱えると、万病や重傷は治癒し、死者を甦らえらせることができるという。おそらく、この中にある「死返玉(まかるかえしのたま)」なるものがその効果を担っていると思われる。
十種神宝の祓詞は「ふるべ、ゆらゆらと ふるべ」という言葉で結ばれる。祓詞といい所作といい、十種神宝は「揺らす」「震わす」など「振動」が重要な要素である。鎮魂祭では天皇の衣を左右に10回振る、魂振(たまふり)の儀が行われる。元々祝詞や真言、呪文などには独特の振動が含まれるとされている。ヨガでは「オウム」が聖音として尊ばれており、震わすように唱えることでチャクラが振動し活性化するという。また密教に伝わる瞑想、阿字観は「阿(ア)」を「ァァァ… 」と響くように唱え、数息観という瞑想では「ひい、ふう、みぃ…」と、数をやはり震わすように唱える。数息観と十種神宝の祓詞は似ているように思えて興味深い。なお、民間療法には「ぷるぷる気功」「ぷるぷる体操」などと呼ばれるものがある。身体を震わすことで心身が活性化するとされており、それなりの効果が報告されている。科学的な根拠は乏しいが、「振動 」が十種神宝の謎を解く鍵であることは間違いないようだ。
実物なき十種神宝
現在、十種神宝は石上神宮(奈良県天理市布留町)に祀られている。だが神宝そのものではなく、その霊力が「布留御霊大神(ふるのみたまのおおかみ)」として神格化されたものだ。なお、石上神宮には神剣として名高い「天羽々斬(あめのははきり)」の神格化「布留御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)」も祀られている。名称が似ていてややこしいが、天羽々斬はRPGやファンタジー小説などにも度々登場するのでご存知の向きも多いだろう。
十種神宝の実物が存在したとの明確な見解はない。その意味は天皇すら見ることができないという三種の神器も実在を証明することはできない。それでも「八咫鏡(やたのかがみ)」は伊勢神宮、「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は熱田神宮に御神体として鎮座しており、「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」は皇居の「剣璽の間」に納められていることが「事実」として認められている。これに対して十種神宝の実物は伝承のみで確認されたことはない。そもそも十種神宝が具体的に紹介されている「先代旧事本紀」が正統な学術界からは「偽書」と断定されており、記紀にも神宝らしき箇所があると指摘されているのみである。その一方で、十種神宝そのもの、または由来のものだとされる祓具などが祀られていると伝わる神社もいくつか存在する。
殯と蘇生
このように神秘的な十種神宝だが、かつては実在し、行法によって死者が蘇生したことがあった可能性はある。当時の医療技術では仮死状態を死と判定したであろうし、実際に蘇生した例もあったはずである。古代の日本には「殯(もがり)」という葬送儀礼があった。遺体を本葬までに安置して祀る儀式で、期間は一週間程度から~数カ月。長期化する場合は数年にも及んだという。人々は遺体が朽ち果てていく様を見せつけられ、次第に死を受け入れていったに違いない。その最中に十種の神法が行われ、死者が「生き返った」現象が起きたとしたら、それが伝説の原型になってもおかしくはない。
「死反(まかるかえし)」というロマン
死者の復活は最上位の霊験である。天皇が継承する三種の神器ですら、そのような霊力の伝承はない。日本の神話・伝説・伝承は膨大であるが、十種神宝と「死反」の秘儀ほど神秘的な響きを持つものはない。それは愛する人を失った者の切なる願いの象徴である。
参考資料
■安本美典監修/志村裕子訳「先代旧事本紀 現代語訳」批評社(2013)
■中村啓信「新版古事記 現代語訳付き」角川ソフィア文庫(2014)
■宇治谷孟「日本書紀(上)全現代語訳」講談社学術文庫(1988)
■森田一彦「生駒の天孫 ニギハヤヒと稲蔵神社」和の国出版(2019)
■石上神宮ホームページ