17世紀のイギリスは実証や実験を重んじる、科学的唯物論が席巻しつつあった。その中にあって、反唯物論を掲げ、神的、霊的存在を探究する道を守ろうとした学派、「ケンブリッジ・プラトン学派」が存在した。
霊的存在の有無を認めるか否かで争ってきた哲学や思想
物質と精神、科学と宗教、唯物論と唯心論。哲学・思想の歴史は神的・霊的存在の有無をめぐる対立の歴史だったともいえる。17世紀、2つの大きな思想の流れが生まれた。ルネ・デカルト(1596〜1650)を祖とするヨーロッパ大陸の合理論と、フランシス・ベーコン(1561〜1626)に始まるイギリス経験論である。その違いの代表的な論点は生得観念、つまり人間の意識にあらかじめ備わっている理性・知性の有無である。合理論は生得観念の存在を認め、対して経験論は、生得観念を否定し知覚による経験による蓄積が意識を構築していくと考えた。
ケンブリッジ・プラトン学派 誕生の経緯
ジョン・ロック(1632〜1704)は人間が生まれた時は「タブラ・ラサ(白紙)」であるとした。人間の意識は生まれた時ときには白紙のようなもので、後天的な学習や経験によってその人なりの知性が刻まれていくという考えである。感覚的な知覚を通したもの以外認めない、つまり自分の視覚や触覚で感じた物資的なもののみが存在するということである。経験論では精神や魂などと言われるようなものは、経験や知覚の集合体に過ぎない。後に経験論を大成したヒュームは精神とは「知覚の束」と表現した。ベーコンは実験による科学的な実証の重要性を説き、トマス・ホッブズ(1588〜1679)は唯物論的機械的な自然観を唱えた。これにより精神的なもの、霊的な体験は否定される。世は科学革命の時代である。そうした状況にあって、キリスト教とプラトン主義を折衷した立場から、イギリス経験論に反発した宗教思想集団があった。ケンブリッジ・プラトン学派である。
ケンブリッジ・プラトン学派とは
彼らの多くはケンブリッジ大学でプラトン,プロティノス、及びその流れをくむ哲学者たちの思想を学んだキリスト者である。その後もケンブリッジに留まり、研究・教育、説教・講話を行った。そんな彼らは「ケンブリッジ・プラトニスト」と呼ばれた。ベンジャミン・ウィチカット(1609-1683)、ヘンリー・モア(1614-87)、ラルフ・カドワース(1617-88)らにより、ケンブリッジ・プラトニズムは一時期、最盛期を迎えた。
なぜキリスト教とプラトンかというと、中世からルネサンスにかけて、キリスト教とプラトン哲学を折衷した神秘思想が隆盛していた。知覚経験では得られない普遍的な真理があり、その真理は理性で捉えることができるとするプラトン哲学を援用して、キリスト教を理論的に補完したのである。このプラトン主義的キリスト教は正確にはプラトン哲学を内包する、新プラトン主義キリスト教といえる。新プラトン主義は真理そのものに近づけるとする神秘思想の元祖のような存在である。ケンブリッジ学派でもプラトンと新プラトン主義の祖、プロティノスの著書が、聖書に並ぶほど引用されている。ケンブリッジ学派はこれらの思想を基に、当時最新の知識を動員して経験論から発している無神論・唯物論に対抗した。
ケンブリッジ学派の戦い
経験論が唯物論・無神論的であるといっても、まだ17世紀である。キリスト教を全面的に否定するわけにはいかない。地動説を唱えたガリレオの末路はよく知られている。ベーコンは宗教的なものを否定するのではなく、信仰と理性を切り離し、宗教的世界、神的・霊的存在については理性の及ばない領域であるとした。科学と宗教の分離である。だが、その理屈をケンブリッジ学派は受け入れなかった。「プラトン」の名を冠するこの学派は理性的なものと霊的なものに境界線は引かない。ウィチカットは「霊的なものとはもっとも理性的なものである」と述べている。ケンブリッジ学派の思想は信仰と理性は一致するということだった。
一方、ケンブリッジ学派も経験論の科学的思考を全面的に否定したわけではない。経験には宗教的・霊的経験もあるという立場から、「経験」の概念を感覚的・身体的な経験のみに特化することに対して異を唱えたのである。プロティノスはプラトンが思考と論理で見出した観念的な存在であるイデアそれ自体を、直接経験できるとする神秘思想を唱えた。ケンブリッジ学派も人間の魂には独自の「感覚」があり、神的・霊的世界に近づける「経験」が可能であると主張し、神的・霊的実在を論証しようとしたのだった。しかしケンブリッジ学派はその後、カント、ヘーゲルらのビッグネームに埋もれ、哲学史の1ページに残るのみとなっている。そして自然科学はさらなる発展を遂げ、キリスト教の権威は失墜していった。
時代に抗った人たち
ケンブリッジ・プラトン学派は現代ではほぼ忘れられた学派である。哲学史のテキストでもそれなりの分量がなくては、まず触れられることはない。だが彼らはイギリス経験論という強力な唯物思想を前に時代の流れに抗った。私たちは科学では割りきれない世界、現実を超えた世界を求めざるをえない。彼らはそうした世界を探究する道筋を現代まで繋ぐ一端を担った。こんな人たちがいたくらいには覚えておいてほしい。
参考資料
■エルンスト・カッシーラー著/花田圭介監修/三井礼子訳「英国のプラトン・ルネサンス」工作舎(1993)
■三上章「ケンブリッジ・プラトニストの宗教の哲学的霊性」『ギリシャ哲学セミナー論集』16号 ギリシャ哲学セミナー(2019)