死後の国を表す言葉は、「あの世」「黄泉の国」など文脈やその言葉が生まれた地域によって異なるものが多くある。沖縄の方言「ニライカナイ」もそのひとつだ。沖縄やその周辺での死生観も表すこの言葉は、現在では書籍のタイトルに用いられるなど地域を越えて知られている。

様々な意味をもつニライカナイ
しかし、小説のタイトルなどに使われる「ニライカナイ」には違和感を感じるものもある。死の国というイメージを除外し、「とても遠いところ」「手の届かない場所」「どこまでも続く美しい場所」のような意味で使われている場合が非常に多いのだ。写真集のタイトルであれば単に景色の美しさの表現となっていることもある。言葉の意味は時代によって変わっていくものもあり、それ自体は悪いことではない。ただ、ニライカナイは沖縄方言を話さないわたしたちにとって解釈することが難しい意味を含んでいる、地域特有の言葉であることも確かなのだ。
ニライカナイは沖縄の死生観を表す
ニライカナイは本来、沖縄の死生観を表す言葉である。「海の向こうに死者の国があり、死者の魂は死後その国へ行く。この世界に生まれる魂もそこから来る。」という、死後にわたしたちはどうなるのかという疑問に答えるもののひとつである。
このような考えが生まれた背景には、沖縄周辺を海が囲み、ニライカナイという言葉の生まれた時代においては海を簡単に渡ることができなかったということもあるだろう。また、海での死者の魂を弔う意味を込めた言葉であったかもしれない。
そして、ここで想像するより確実なこととして、この地域の人々にとって海そのものは「行ったことのない場所ではない」、「知らない場所ではない」ということだ。島が多い地域において海はそこにあるものである。身近なものに対して、人は名前をつける。また、名前をつけることで自らの一部として考えるようになる。そこに、海を「死者の国」「魂の国」としてニライカナイという言葉で呼ぶようになった理由の一端がありそうだ。
沖縄と海とニライカナイ
たとえば、身近な人の死に際して、その魂がまったく知らない場所に行くのだと考えることは悲しみを深くさせるかもしれない。魂がいつも自分たちのそばにいて、またそこから新しい魂がやってくると考えるならば、その悲しみは和らぐかもしれない。過去に「新しい魂」であった自分たちの魂は、いずれまた同じところに還る。そう考えることで、死の国はより安心感をもった身近なところになる。
最後に…
ニライカナイは、ただの遠い場所ではない。ましてや手の届かない場所では決してない。沖縄とその周辺の人々にとっては、実際にはどのような場所か知らなかったとしても郷愁を感じるような、懐かしみを覚えるような、過去も未来もすべてを包み込む意味を持つ、身近で死後の安心感を含む言葉であるはずなのだ。