世界中で親しまれている中国武術「太極拳」。健康運動として身体に様々な効果をもたらすとされている。また宗教的な神秘思想を根幹とした瞑想技法、動く禅「動禅」としても優れている。太極拳を深めることで見えてくる世界とは。
気功的武術・太極拳
太極拳はヨガと並ぶ健康運動として知られており、公園などでよく見ることができる。本来は武術であるが、気功的な効果が強く老若男女問わず、あるいは障害者、重度の患者でも無理なくおこなえる健康体操として世界に普及している。特徴としては呼吸と動作を一致させ、他の武術と異なり非常にゆっくり静かに動く。これは「気」の感覚「気感」を養い、全身に気を通す(行気)ためのものである。気の感覚は極めて細微なもので身体を激しく動かしては感じられない。「気」なるものの正体が、神秘的な何かにしろ、体温の変化や静電気のようなものであるにしろ、微妙な感覚であることには違いない。それを感じるには空間を泳ぐようにゆっくり動き、指先まで意識を流すことが重要である。こうして心身に静寂をもたらし、気感を味わうことで意識が深まり、「入静」という深い瞑想状態に入ることができる。こうした瞑想に近い効果は動く禅「動禅」と言ってもいい。
なお、本格的な武術としての太極拳には周囲が驚くほどの激しい動きが随所にある。情報が限られていた時代には、年を取っても強さは衰えず、気の一撃を使って触れただけで倒す神秘の武術などと喧伝されていた。
太極拳は西洋のスポーツと違いウェイトトレーニングなどのハードな鍛え方はしないが、全体的に片足立ちなどが多く姿勢が低い。第2の心臓とも言われる下半身が強化され、血液の循環がよくなり老化の大きな原因である転倒による骨折のリスクも軽減できる。内科的な効果もよく知られており、がん患者が寛解したという話もよく聞かれる。また、うつ病や認知予防にも効果があるとされ、リハビリなどにヨガや太極拳を取り入れている病院も多い。
内家拳の神秘思想
中国武術の中でも特に太極拳・形意拳・八卦掌の三派は「内家拳」と呼ばれ内功(気の鍛錬)を重視する。これに対し少林拳や螳螂拳など「外家拳」と呼ばれる派は外功(筋力の鍛錬)を重視すると分類されることがある。内家拳は老荘思想、「易経」、道教の神秘思想などが理論として構築されている。そのひとつ「形意拳」は陰陽五行説に基づいて構成されている。基本技の「五行拳」という5種の技術にはそれぞれ「金・水・木・火・土」の「五行」の性質が組み込まれており、一つの技術を鍛錬することで他の技術も深まる相乗効果がある。これは「金」が「水」を生むといった五行説に基づく。また「八卦掌」の「八卦」も易経から生まれた概念で、円周を回る有名な歩法は道教の「転天尊」という行法が源流だとする説がある。
そして太極拳の「太極」は「易経」にある宇宙の根源を意味する。有名な「太極図」は陰陽が合わさる象徴で、ここから陰と陽の二元的な世界が生まれるとされた。ここからは「八卦」も生まれる。太極拳の套路(とうろ/一連の型)は宇宙創生を表現しているといい、人間を自然の大宇宙に呼応する小宇宙と見立てる。太極拳を修練することで宇宙の根源に迫り宇宙の一体になることができるという。
こうした話をこじつけだと嫌う武術家もいる。外家拳と内家拳を分類することについても、外家拳にも内功はあり、内家拳も筋力増強や物を打つ鍛錬もするとの論もある。しかしそれらは武術としての鍛錬の話であり、気功・瞑想としての太極拳がテーマの本稿では関係ない。気功・瞑想として太極拳を捉えた場合、そこに理論付けられている内家拳の「易経」「陰陽五行」などの思想は興味深いものがある。
生死の境を勢いよく飛び超える「動禅」
太極拳は老化防止に良く、場合によって末期状態の患者にも好転をもたらすことがある。しかし老化と死は自然の法則であり、これに抵抗するのは宇宙を表現する太極拳の精神に反するといえる。「宇宙と一体になる」とは、深い瞑想状態に入り生と死の境を超える境地にたどり着くことだと思われる。つまり禅的な「悟り」の境地でまさに「動禅」である。
太極拳を医療体系に取り入れている帯津良一氏はいわゆるアンチエイジングから、老化と死を受け容れながらなお、生命のエネルギーを勝ち取っていく「ナイスエイジング」への転換を提唱している。また人間は死後「虚空」に還ると考えていて、生きているうちにその「虚空」に「勢いよく」飛び込んでいくためにエネルギーを貯めておくべきだと語っている。このエネルギーとは「気」のことである。太極拳は寝たきりの人でも行うことができ、気を感じさせ活力を与えてくれる。そのエネルギーが病気を治すこともあれば、生死の境を超える悟りに導くこともある。帯津氏の「勢いよく」という表現は実に良い。病気と死の雰囲気に暗くなりがちな空間を明るく元気なものにしてくれる。汗をかき活力をもたらしながら悟りに近づくことができる太極拳は明るい空間作りの一助になるだろう。
太極拳をやってみよう
太極拳を健康体操として楽しむだけでも良いが、深い思想に触れ、瞑想技法として知っておくとより得るものがある。ただひたすら座る坐禅よりも健康運動として、やっていて楽しい「動禅」、太極拳こそ現代の我々の生活に合っているのではないか。太極拳はほとんどの地域で行われている。もし関心を持ったなら、それは宇宙からの導きかもしれない。