フランスの作曲家、ガブリエル・フォーレの楽曲『レクイエム』(1890年)は、発表された当時のカトリック司祭たちによって「異教徒的」であるとされた。フォーレが異教徒であったということではなく、自身もカトリックのクリスチャンであり、音楽を学んだ環境もその生活も当時の宗教的価値観から外れたものではなかったと言われている。ただ、その曲の構成は当時のカトリック的なレクイエムの形式とは異なることも事実であり、後世の「レクイエム」という音楽に大きく影響をあたえるものでもあった。
そもそもレクイエムとは
「死者のためのミサ」とも訳されるレクイエムは教会で演奏され歌われる。クリスチャンにとっては儀式や教義を表すための音楽であった。多くの作曲家が亡くなった者のために聖歌としてレクイエムを書き、曲は死者の安息を願う「入祭唱」から始まり、死者が天国と地獄のどちらへいくかを決める最後の審判、神への感謝、許しへの祈り、を主題として構成されるのが一般的である。モーツァルト、ヴェルディ、フォーレの「レクイエム」は三大レクイエムとして有名である。
ガブリエル・フォーレのレクイエムの特徴
しかし、フォーレの『レクイエム』には「最後の審判」にあたる部分がなく、それが当時としては異端であったのだ。レクイエムの構成における最後の審判は、死への恐れを描いて音楽として最も盛り上がる部分である。カトリック教会としても、死の恐怖と神からの許しがあることで宗教的威厳となる。しかしフォーレは死後の恐怖、審判、という主題を削り、「永遠の至福の喜びに満ちた解放感」と死後の平和をたたえる曲として『レクイエム』を書いた。
ガブリエル・フォーレの死生観
『レクイエム』の完成前に父母を続いて亡くしたフォーレであるが、この曲は特定の誰かのために作ったのではないと語り、後世においても作曲者の死生観が反映されたものであるとして研究されてきた。たしかに死後に神からの許しを経ず天国に至ることは教会的な考えに即したものではない。しかし、宗教や死生観といった形式や思想よりもっとプリミティブに「死者の平穏を望む」という感覚は広く存在している。そうでなければ死者に対してだけでなく生きている者にとっても、必ず訪れる死への恐怖が足枷となる。フォーレはクリスチャンとしての思想とはまた別なものとして、亡くなった父母含め自らや万人に死というものが平穏であることを望んでいたのだろう。
最後に…
「死者のためのミサ」とされたレクイエムはフォーレによって「安息の死を迎える死者のため」という解釈を与えられた。それは誰かのために作ったのではないという言葉によって、すべての人々のための聖歌になる。宗教曲としての側面とはまた別に、平和な死というテーマに即して「鑑賞」することができる楽曲として円熟したレクイエムになったのである。
参考資料
■『G・フォーレの生涯』(1998).「横浜合唱協会第43回定期演奏会」(2024年3月6日参照)
■小林敬子『「レクイエム」再考 ―ガブリエル・フォーレの『レクイエム』を中心に―』(2011年)「日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.12」(2024年3月6日参照)
■渡辺裕『フォーレの《レクイエム》と「天国」の表象』(2010年)「死生学 DALSニューズレターNo.25」(2024年3月6日参照)
■佐々木勉「特集 レクイエムの系譜」.読売日本交響楽団(2024年3月6日参照)
■『【徹底解説】レクイエムってどんな音楽?』(2022年).PHONIM MUSIC(2024年3月6日参照)