事件事故など非業の死を遂げた人たちのために、慰霊碑が建立されることがある。死者の魂に安らいでもらうには祀る人、祀るモノが必要である。「祀る」という行為はその人が生きていた、存在していたという証だからだ。しかし慰霊碑そのものの存在すら忘れられていることがある。

碧血碑

北海道の函館山には戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争で散った、新選組の土方歳三ら旧幕府軍の戦死者約800人を供養するための慰霊碑「碧血碑」がある。碧血とは中国の故事で、忠義を貫いて死んだ武人の血は、3年経てば地中で碧玉という宝石になるという伝説にちなむ。当時「賊軍」として「討伐」された旧幕府軍の戦士の遺体を懇ろに葬ることは、戦争の勝者となった新政府軍から禁じられていた。新政府軍の中心派閥である薩摩と長州は徳川幕府とは歴史的な因縁がある上に、幕末の動乱で幕府と激しく衝突した。その恨みは凄まじく、旧幕府軍の戦死者の遺体は死んだままで放置されていたという。あまりの扱いに箱館の侠客、柳川熊吉は遺体を回収、埋葬した。柳川は捕らえられたが、その人物の器を惜しむ声があり釈放された。後に彼の功績を称えた碑が碧血碑のそばに建立されている。碧血碑は静寂な山林の奥に鎮まっており、メジャーな観光名所とはいえない。かつては賊軍扱いされていた旧幕臣たちの物語も、石碑には薩長に遠慮してか簡素な説明のみが記されている。現代は箱館五稜郭祭に際して碑の前で慰霊祭が行われ、地元の人たちが集まり彼らの魂を祀り安らいでいる。
巣鴨プリズン跡慰霊碑

賊軍扱いされた旧幕臣たちも、現代は白虎隊や新選組などは歴史ファンから愛されており、毎年縁の地などで慰霊祭が行われる。一方でほとんどその存在すら知られていない慰霊碑がある。池袋のサンシャインシティ近くの公園の一画に、その影に隠れるように佇んでいるのは巣鴨プリズン跡慰霊碑である。かつてこの地には、太平洋戦争のいわゆるA級〜C級戦犯とされた人たちを収監する「巣鴨プリズン」があった。そしてここで東条英機、広田弘毅らA級戦犯7名が処刑された。碑には「永久平和を願って」と刻まれている。山林を抜けると6メートルの威容を見せる碧血碑と違い、園内でも奥まった目立たない場所にこじんまりと置いてある。都心の憩いの場にあるにもかかわらず、道行く人たちの何人が存在に気づくだろうか。公園の案内図には「碑」とだけ書いてある。その下が「便所」とあるのは偶然だろうが、何か引っかからないこともない。靖国神社からの分祀を求める声すらある「いわゆるA級戦犯」。その最期の地で慰霊祭など行われるはずもない。彼らを捌いた東京裁判の是非をめぐる議論は絶えず、彼らの評価はこれからも二分していくだろう。靖国神社には常に多くの人が参拝に訪れているが、いわゆるA級戦犯のみを祀るこの慰霊碑は限られた一部の人たちの間で語り継がれていくのだろう。それが彼らの魂を「祀る」ことになる。
伊藤野枝の「墓」
慰霊碑ではないが、ある意味で慰霊碑的な存在といえるのが、戦犯とは真逆に位置する女性、伊藤野枝の「墓」である。平塚らいてうが有名な雑誌「青鞜」で編集長を務め、女性の地位向上、結婚制度の反対などを謳った作家・思想家。自由恋愛など当時の女性としては奔放な人生を送った「新しい女性」だが、その最期は帝国陸軍大尉・甘粕正彦に、愛人であるアナーキズム(無政府主義)の代表的思想家、大杉栄と共に絞殺されたとされる。世にいう「甘粕事件」の真相は完全には解明されておらず、本当に甘粕が手を下したのか云々など様々な説があるが、関与した者が伊藤や大杉らを「国賊」と見なしたことは確かである。その「墓」は出生地・福岡県今宿の鬱蒼とした歩くのもやや難である山林の奥にある。墓石というものではなく、大きめの岩が置いてあるだけで名も刻まれていない。「国賊」の墓は破壊されたりして転々とした果ての場所だそうである。地元の人たちも「国賊」とは関わりたくなかったようだ。実は伊藤の遺骨はここにはなく正式な墓は静岡にあり、大杉らと共に葬られている。この「墓」は正確には「墓跡」であるが、郷里にある元々の墓であり、諸事情で捨てられることなく移されたなどの要素で今もひっそりと存在する。ある意味、伊藤の慰霊碑としての存在といえるかもしれない。しかし都会の風に吹かれて颯爽と生きた伊藤の魂を祀るにはあまりに侘しい。伊藤野枝は現代ではほぼ忘れられた人物だが、近年は再評価の動きが高まり、没後100年となる2023年には静岡の霊園で墓前祭が行われた。それでも伊藤の「墓」は埋もれたままである。この「墓」の存在はこれからも一部の人たちに語り継がれていくだろう。巣鴨プリズン跡慰霊碑と同じく、それが伊藤の魂を「祀る」ことになる。
知ることで祀る
慰霊碑は非業の死を遂げた人たちへの、現世の我々が祈る鎮魂の証であり、同じ過ちを犯すまいと約束した証である。その中で存在すら知られていないものがあることは知っておくべきではないか。記念碑、墓碑などを意味する「モニュメント」の語源には「気付かせる」「想起させる」の意味がある。知ることで彼らの存在を忘れないこと。それも「祀り」のひとつである。
参考資料
■「箱館戦争ゆかりの地、碧血碑前で慰霊祭」函館市公式観光サイト「はこぶら」2012年06月27日配信
■「没後100年 いま伊藤野枝を考える」NHK福岡 2023年09月20日配信