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大田区大森の海苔業発展に貢献したとされる北村石見守という謎の人物

連日、耳目を騒がせるニュースが続く中、多くの人々は忘れ去ってしまっているだろうが、去年の2月、静岡・伊豆のリゾートホテル内に建てられていた「BTS神社」すなわち、韓国の人気アイドルグループ「BTS(防弾少年団)」を祀っているかのように、メンバーひとりひとりの全身を大写しした写真を飾っていたことで大問題となった騒動があった。この「神社」の場合、ホテル内の極めて私的かつ限定的なものだったということだが、B T S個々人や彼らの所属する芸能事務所には無許可で飾っていたこと。そして彼らの世界的な人気に便乗したのではないかと、大問題になった。

確かに神社には、『古事記』や『日本書紀』に登場する神々や、「学問の神様」菅原道真(845〜903)や陰陽師・安倍晴明(921〜1005)、そして近代であれば明治天皇(1852〜1912)を祀る、東京・原宿の明治神宮、軍人の乃木希典(1849〜1912)や東郷平八郎(1848〜1934)などが祀られている。そうした中、昨年7月8日、「宗教2世」による苦悩の日々を送っていたという当時41歳の男性に銃撃され、亡くなった安倍晋三(享年67歳)元首相を祀る神社が長野県に建設されているという。

大田区大森の海苔業発展に貢献したとされる北村石見守という謎の人物

減少傾向にある神社仏閣の苦肉の策

減少傾向にある神社仏閣の苦肉の策

その一方で現行法の間隙を縫って、後継者がいなくなってしまったお寺や神社の売買を取り持つ、いわゆる「宗教法人ブローカー」が暗躍しているともと伝えられている。

そして今年7月には、「ほとんどの神社が縮小傾向にあって、毎年1000社を超える神社が消滅しているのが現実です。時代に合わせて打つ手を考えなくては、歴史を継ぐことができなくなっている状況です」と語る宮司・山内圭司さんの考えにより、福岡市中央区今川(いまがわ)に所在する、神功(じんぐう)皇后(169〜269)ゆかりの古社・鳥飼(とりかい)八幡宮が、世界四大会計事務所のひとつであるEY (Ernst & Young)の日本法人であるEY Japan株式会社(千代田区有楽町)による日本初の「メタバース神社」を構築した。これらの事例に限らず、変動に満ちた今を生きる人々にとって、神社そのもの、そして「祀られる人」はどのような意味を持つのであろうか。

北村神社の石碑に記された北村石見守と海苔業との関係

東京都大田区大森中(おおもりなか)3丁目に、堀之内三輪(ほりのうちみわ)神社という小さな神社がある。この地で海苔業が盛んだった頃は毎年、豊作祈願や収穫感謝のための神事が執り行われていた。室町時代の享徳年間(1452〜1456)、または江戸時代の寛永年間(1624〜1643)の創建と伝えられ、「デイロク様」こと、大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀る第六天社と呼ばれていた。大正4(1915)年に近在の貴船神社、天祖神社を合祀して、堀之内の鎮守になったという。そして現在の社殿は、昭和61(1986)年に建て替えられたものだ。

その本殿の右側には、「北村神社」という小さな神社がある。神社のすぐそばに立つ、昭和42(1967)年に建立された石碑によると、この神社は、海苔養殖業に功績があった北村石見守(いわみのかみ)を祀り、近在の海苔業者の崇敬を集めているものだという。以下、そこに記された歴史的事象を検証していく。

天和2(1682)年、この大森村字堀之内(ほりのうち、現・大田区大森中3丁目近辺)の百姓総代(そうだい)で、今日我々がよく知る、四角の薄い干し海苔の考案者である初代・野口六郎左衛門(1592〜1682)が有志たちと共に幕府から海苔篊(ひび。養殖海苔を付着・生育させる資材。木・竹・網など)建(たて)の免許を得た。その後文政3(1820)年9月22日、養殖業者同士の境界紛争によって海苔篊の建場(たてば)を改めるという最悪の事態に陥った。この危機に際し、北村石見守は大森村の窮状を理解し、海苔養殖業継続を決断したという。そのことから、彼は地域住民に崇敬されるようになった。時を経て、石見守を長く祀ろうという気運が高まり、第2次世界大戦(1939〜1945)中に消失した、石見守の烏帽子(えぼし)を貰い受け、神社を建立したのが起源だという。また戦時中には石見守の烏帽子のみならず、本殿そのものも焼け落ちてしまったため、戦後、昭和37(1962)年に再建された。

海苔業に頻発した問題の殆どが境界線争いだった

当時の海苔生産は、一定の海面を区切り、そこに篊を立てて、晩秋から冬にかけて、海苔の生育を待つ養殖業だった。そうした中、勃発していた紛争の大半は、海面使用権の許諾、利用海面の広さや場所、そしてもともと海苔業を営んでいた地域と、後発地域との境界線争いだった。碑文の「養殖業者同士の境界戦争」とは、宝暦3(1753)年に近隣の糀(麹)谷(こうじや)村(現・大田区西糀谷/東糀谷)が海苔漁場の分配を代官所に求めた際、もともと海苔業を行なってきた大森村がその阻止に動いたことに始まる。しかし翌年には糀谷村に幕府からの許可が下り、更にその2年後の宝暦6(1756)年には、江戸期を通して変更不可とされた境界線が定められた。

しかしこの紛争は再び、再燃することになった。文化7(1810)年、大森村が無許可で海苔を採取すべく、糀谷村の採取場の前面に設置していた横柵(よこさく)の撤去を求め、糀谷村が幕府へ訴え出た。大森村は、海苔の採取が終えた翌年3月期に、撤去に同意した。とはいえそれは現場の人間にとっては、到底了承できるものではなかった。江戸城本丸(現・千代田区皇居外苑)や寛永寺(現・台東区上野桜木)に献上する最上品の「御膳(ごぜん)海苔」の生育にも大いに差し支えてしまう。それゆえ大森村は、代官所を飛び越え、勘定奉行所に駆け込み訴訟を行い、横柵の復活を申し出た。 

北村石見守の海苔業への貢献

この訴えは退けられてしまったが、今度は碑文に刻まれた「大森村字堀之内の百姓総代だった(初代から数えて六代目の)野口六郎左衛門(1769?〜1855?)」が、駆け込み訴訟を行った。しかし再び、退けられる。またまた代官所に訴える。そうこうしている間に、騒動はますますこじれてしまった。浅草茶屋町(ちゃやまち、現・台東区雷門2丁目)で幕府や寛永寺に御膳海苔を納めていた大店(おおだな)の、永楽屋(えいらくや)庄右衛門(生没年不明)が、大森村が保持していた御膳海苔上納の義務を、大森村にとっては敵方の糀谷村に移そうと画策していたことも露見してしまう。

長らく続いた揉め事は、最終的に碑文に記された文政3(1820)年の9月22日に決着がついた。幕府は大森村・糀谷村共に、文化9(1812)年に定められていた元来の採取場に立ち戻るように命じられた。しかも大森村、糀谷村、そして永楽屋はいずれも「不届(ふとどき)」であるとして、大森村の六郎右衛門と糀谷村の総代を追放。また、共に騒擾に参加した漁民およそ1400人への罰金を課した。更に永楽屋には手鎖(てぐさり、手錠のこと)の刑(手鎖をつけた状態で、一定期間自宅で謹慎させる刑)を下し、営業停止を命じた。また、現場の担当役人も、一連の責任を取らせるために左遷した。

この混乱或いは絶望的な状況の中で、堀之内三輪神社内に祀られた「北村石見守」が登場する。9月は、海苔を育てるための篊を立てる時期だ。このような状況で、今年はどうなるのかと不安を覚えていた村人たちに対し、彼が海苔業継続にお墨つきを与えたという。それが村人たちを鼓舞し、最終的に昭和37(1962)年12月の漁業権放棄まで存続した、大森村における海苔業の興隆発展につながったとされている。

しかし大田区史によると北村石見守は実在しないという

とはいえこの「北村石見守」とは『大田区史(資料編)』(1983年)によると、実在の人物ではないのだという。江戸三町年寄(まちどしより。町奉行の下に置かれた、町役人を束ねる立場の者。3名存在した)の1人であった喜多村(きたむら)氏の可能性もあるというが、『大森漁業史』(1973年)では、町年寄の支配範囲は御府内(ごふない。江戸市域のこと。江戸城から4里までの範囲。南限は上大崎村(現・品川区上大崎1〜4丁目、東五反田5丁目)・南品川(現・品川区南品川、京浜急行・青物横丁駅近辺)だった)に限られていたことから、そこからかなり距離がある、今日で言う品川・大森の湾岸地域にまで職掌が及んだとは思えないと指摘している。

或いは、堀之内の海苔業者たちが彼らの守護神として、海苔業が本格的に行われるようになった享保期(1716〜1736)に活躍した町奉行・大岡越前守(えちぜんのかみ)こと大岡忠相(ただすけ。1677〜1752)を想起させる架空の幕臣を祀り上げたのか。それとも、石見守のものとされる烏帽子が現存していたということから、「北村石見守」という名前ではなかったとしても、モデルとなる侍が実在していたのかも知れない。

大森漁業史に残る六郎右衛門の面白いエピソード

謎に満ちたその人物について、先に挙げた『大森漁業史』では、追放となった六郎右衛門と絡めた、面白い説を述べている。

野口家の菩提寺は、大森中2丁目に所在する真言宗の密乗院(みつじょういん)だ。そこに「林暁禅定門」と刻まれた六代目六郎右衛門のものと思しき墓碑がある。追放後の当時51歳だった六郎右衛門について、現在の大森や蒲田、馬込などでは、以下の言い伝えが残っていた。例えば、彼は生活に窮し、貧しい身なりで近在を彷徨していた。それゆえ、知己のあった代官所のある役人が調布村(現・大田区鵜の木(うのき)や沼部(ぬまべ)など、大田区西部)近辺で彼を見かけたが、あまりにも哀れだったので、見て見ぬふりをした。また、六郎右衛門は常に旅支度をして、富士講など、神社仏閣を巡拝して歩いていた。または、大森村の海苔業のため、新たな篊を立てるべく、あちこちを奔走していたとも伝えられている。しかも彼は、見継ぎ物(みつぎもの。旅費や、旅に必要な物のこと)を求め、自分に同情を寄せる村人の家などを訪問して回っている際も、旅姿のままで、いつでも出かけられるように、草鞋を内側ではなく、外側に向けて並べていた…

いずれにせよ六郎右衛門は、不遇のうちに亡くなったようだ。そのような彼の死を悼んだ村人たちは、三輪神社の境内に小さな祠を建てて、六郎右衛門の冥福、または海苔業が無事に行われるよう祈っていた。とはいえ六郎右衛門は「罪人」のままだ。公に彼を祀るわけにはいかない。そこで「北村様」「北村神社」と呼ぶようになった。ここで言う「北村」とは、彼が住んでいたのが北大森村(現・大田区大森西2丁目)で、村人たちは当時「北大森村」「東大森村」「西大森村」をそれぞれ「北村」「東村」「西村」と略して呼んでいたことから来ている。そしてそれが後に、「北村様」は大森村の海苔業を守るために矢面に立ち、一身にその罰を受け、「罪人」のまま亡くなった、名主の六代目六郎右衛門ではなく、大岡越前のような庶民のヒーロー的な「お侍」として崇敬の対象となったのではないかというものだ。

北村石見守の石碑文に残された句

碑文の最後には、「行く水や何にとどまる海苔の味」(1690年)という、江戸時代前期の俳諧師・宝井其角(たからいきかく、1661〜1707)の句が刻まれている。鎌倉時代の名随筆、鴨長明(1155〜1216)の『方丈記』(1212年)の有名な冒頭文「ゆく川のながれは絶へずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし」が根底に流れている句であることは間違いない。

当時の人達にとっての海苔とは

海苔そのものは、例えば寛永期(1624〜43年)の料理をまとめた料理書『料理物語』(著者不明、1643年)に、「浅草のり ひや汁 あぶりさかな」という記載があり、当時の人々は海苔をすまし汁にしたり、乾燥した海苔を火であぶって食べていたことがわかる。しかも当時の浅草海苔は「いろ あかし」。つまり天正18(1590)年の、徳川家康(1543〜1616)の江戸入府以前の大森・品川沖近辺は淡水の影響を受けることが全くなかったため、海苔は赤かったという。それゆえ其角は「浅草」ではなく、「大森」で海苔が本格的に生産されるようになったとされる宝永元(1704)年以前の「海苔の味」について詠んでいる可能性が大きい。流れ行く水がどこかにとどまることはない。「生々流転(しょうじょうるてん)であるにせよ、其角が着目したように、移ろいゆく水の中で生まれ、育まれた海苔の味は人の舌に、心にいつまでもとどまるということもまた、真実である。

最後に…

大森での海苔業そのものが絶えて久しい現在、堀之内三輪神社、そして北村神社に往時の面影を求めるのは酷なことかもしれない。今は決してそんなことはないにせよ、後50年、100年後、冒頭で紹介した「宗教法人ブローカー」の毒牙にかかる可能性も否定できない。仮にそれを逃れられたとしても、「地域おこし」や「活性化」、「再生」などと銘打って、現在の「BTS」や「安倍晋三」のように、その時代に人気を博している「アイドル」「政治家」などの、新しい神様が祀り上げられているかもしれない。しかもそれが現実の鳥居や狛犬、そして本殿を構えた神社においてではなく、古式ゆかしい建物を仮想空間で正確かつ派手に再現した「メタバース神社」であれば、なおさら話題性に富んだ人物がいともたやすく、「気軽」に「神様」になり得るだろう。しかし、其角の句ではないが、「海苔の味」はもちろんのこと、大森村における海苔業の歴史、そして海苔の生産・収穫・出荷…などに忙しく行き交った人々の面影は、我々の舌に、心に、目に、耳に残り続けると信じたい。

参考資料

■東京市大森區役所(編)『大森區史』1939年 東京市大森區役所(刊)
■「【東京のノリ白書】8  百年戦争・大森ノリ場をめぐり」『朝日新聞 東京版南部』1964年5月13日 朝刊 (16頁)
■大森漁業史刊行会(編)『大森漁業史』1973年 大森漁業協同組合・富士信用組合・富士ユニオン株式会社(刊)
■飯田正一「榎本其角」國史大辞典編集委員会(編)『國史大辞典』第2巻 1980年(352頁)吉川弘文館
■田中弥次右衛門「大森名産海苔」西田秀雄・大田区史編さん委員会(編)『大田の史話』1981年(159-164頁) 東京都大田区(刊)
■北村正治『江戸名物浅草海苔私考』1982年 眺風社
■北村敏「オシャモジ様その他」亀山慶一・平野榮次・宮田登(編)『大田区史 (資料編)民俗』1983年(373-375頁)東京都大田区(刊)
■新倉善之『東京史跡ガイド 11 大田区史跡散歩』1992年 学生社
■新倉善之・大田区史編さん委員会(編)『大田区史 中巻』1992年 東京都大田区
■大田区立郷土資料館(編)『大田区 海苔物語』1993年 大田区立郷土資料館(刊)
■三木紀人(校注)『新潮日本古典集成 第5回 方丈記 発心集』1976/1993年 新潮社
■北村敏「ノリ」福田アジオ・新谷尚紀・湯川洋司・神田より子・中込睦子・渡邊欣雄(編)『日本民俗大辞典 下』2000年(330-331頁)吉川弘文館
■石川八朗「其角」下中弘(編)『日本史大辞典』第2巻 1993年(627頁)平凡社
■大田区立郷土博物館(編)『重要有形民俗文化財 大森及び周辺地域の海苔生産用具』1995年 大田区立郷土博物館
■下村直人(編)『日本歴史地名大系 第13巻 東京都の地名』2002年 平凡社
■田中善信『日本の作家 52 元禄の奇才 宝井其角』2002年 新典社
■半藤一利『其角俳句と江戸の春』2006年 平凡社
■元・大森海苔漁業養殖業者+編集委員会(編集)須佐知行(編)『海苔のこと 大森のこと <海光文庫>』2010年 ノンブル社
■藤井美保子「去来・其角・許六それぞれの不易流行 −芭蕉没後の俳論のゆくえ「答許子問難弁」まで−」『成蹊國文』第45号 2012年(136-145頁)成蹊大学文学部日本文学科
■小山文大「海苔養殖の歴史を伝えることで未来を拓く 〜大森 海苔のふるさと館の活動〜」『海洋政策研究所 笹川平和財団:Ocean Newsletter』第420号 2018年2月5日
■「乾燥海苔のルーツは紙にあり。『冷やかし』の語源にもなった浅草紙とは?」『Japaaan』2018年3月3日 
■坂上正一『発掘写真で訪ねる 大田区古地図散歩 〜明治・大正・昭和の街角〜』2019年 (株)フォト・パブリッシング
■河野博『江戸前の海の物語 魚類学者が語る東京湾の歴史と未来』2022年 原書房
■「物議の「BTS神社」閉鎖 代表者「非常に反省」鳥居の看板とオブジェは撤去 “便乗商法”は否定」『スポニチ Sponichi Annex』2022年2月24日
■「寺や神社が高値で“売り”に出されている!? 宗教法人の税制優遇などが背景に 『外国人でもO K』ブローカーに“裏事情”聞く 『母の墓』勝手に移設された檀家の“怒り”」『カンテレ』2023年6月24日
■「『安倍元首相を神として祭りたい』 世界遺産の宮司が語る神社建立計画」『デイリー新潮』2023年6月25日 
■「新しい参拝の形になるか?! 1800年の歴史を持つ鳥飼八幡宮が『メタバース神社』を築いた理由」『@DIME』2023年7月23日 
■「大森海苔養殖の歴史」『守半海苔店』
■「海苔が出来るまで」『海苔JAPAN』
■「いつから海苔を食べていた?」『株式会社ヤマコ』 
■『大森 海苔のふるさと館
■「海苔 養殖業発祥の地」『発祥の地コレクション』

ライター

鳥飼かおる(掲載日:2023/08/16)

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