人間は死後も生き続ける。死後の世界は存在し、現世と同じような生活が待っているという。神秘思想家 スウェーデン・ボルグは単なる比喩や深い哲学的な表現ではなく、リアルにシンプルに霊魂と霊界の存在を説いた。
科学者 スウェーデン・ボルグ
エマニュエル・スウェーデンボルグ(1688〜1772/近年ではスウェーデン・ボリ)は、死後の世界を見た人物としてオカルト好きには定番の人物である。だが彼の前半生は天才と称されるほどの高名な科学者だった。化学、地質学、天文学、解剖学など、様々な分野で先駆的な業績を残している。その天才科学者が神秘思想家に転身したのは50代も半ばに差しかかってのことだった。彼は科学者であり敬虔なルター派クリスチャンでもあった。信仰と科学は必ずしも相反しない。信仰を持つ科学者は多い。その一部には科学的探究によって神や霊の存在に迫ろうとする者たちもいる。しかし、観察、推論、再現可能性といった科学的探究方法は、神や霊を物理的な存在として捉えない限り、カテゴリーエラーが生じる。気象学者と詩人・文学者が見る空の風景は同じ空でも見方が異なる。スウェーデンボルグは、神秘の世界は自然科学的方法論では到達できないと結論づけた。
霊への目覚め
スウェーデン・ボルグは50代から幻視体験をするようになり、霊との会話や霊界探訪の記録を残した。幻視体験は強烈なものだった。綱島梁川(1873〜1907)は自らの神秘体験を「到底筆舌の尽くし得る所にあらず」と書いているが、スウェーデンボルグの幻視も絶対者イエス・キリストの顕現にまで達した。そしてイエスとされる霊的な存在に、霊的真実を伝える役目を命じられ、霊界探訪の日々が始まった。
科学者ならではのアプローチ
スウェーデンボルグは科学者らしく、神・霊魂は、よくわからない超越的な何かであってはいけないとしている。そして霊魂は大脳皮質に存在しているなどとも話している。大脳皮質論の先駆性が高く評価されている彼ならではの知見だろう。
彼の言う霊界とは天や宇宙などの遥か彼方の異世界ではない。霊界とは我々自身の内的世界のことであるという。それは深層意識などの比喩ではなく、人間の精神は霊界に属しており、天使や霊は人間の精神と結びついている。霊界は肉体以外のすべてが現界と変わらない。そして自分の内的世界がそのまま具現化されるという。それが天国と地獄へ行く自由意志による選択肢へとつながる。
自分で決める天国と地獄
スウェーデン・ボルグによると、宇宙は天国界、中有界、現界、地獄界という階層になっている。死後はまず中有界に行く。これは四十九日やチベット仏教のバルドに似ている。正確には死と生の境目である。そのあとは天国か地獄へ行くのだが、どちらへ行くのも死者の自由なのだという。地獄へ行きたい者などいるはずがないと思われるだろうが、内的世界がそのまま具現化されるので、自分にとって相応の世界に行くことになる。類は友を呼ぶ状態になり、思考ら嗜好が似た者が集まって暮らす世界が存在する。極楽浄土もイスラム教が解く死後のハーレムも存在することになる。しかしそのような世界が存在するなら、美しい世界もおぞましい世界もあることになる。前者は天国、後者が地獄に割り当てられる。地獄といえども本人が好きでいるため、そこが地獄とは気づかない。スウェーデン・ボルグは天国と地獄の具体的な様相も記してはいるが、どちらへ行くのも自由意志だというのは興味深い。「ドラゴンボール」に登場する、魔界の王ダーブラは死後、閻魔大王により天国に送られた。理由は「地獄じゃ喜んでしまうから」であった。スウェーデン・ボルクの霊界説は天国と地獄を明確に分けながらも、単純に天国が良いとはならないのは考えさせるところである。
賛否両論だった
荒唐無稽のように思われるスウェーデンボルグの思想は当然ながら、キリスト教教会からは異端として扱われている。一方で彼を支持する人も多く、様々な分野に影響を与えている。禅を世界に広めた鈴木大拙は、一時期スウェーデン・ボルグに傾倒した。スウェーデン・ボルグの具体的な霊界論と「無」を解く禅の世界は単純には結びつかないが、物質主義、経済性重視の時代風潮に対する危機感だった。ヘレン・ケラーは最も有名な信奉者かもしれない。彼女は盲・唖・聾の三重苦を背負っていたことで知られる。世界を認識することが一切できない闇の中で、スウェーデンボルグの幻視体験と内的宇宙の提示は大きな福音になった。それは五感を超えた世界の提示だった。物質的な光が射さない内的世界に真実の光が差し込んだのである。
「光が見えた」「使命を帯びた」などと言う人物とは基本的には関わらない方が懸命だが、綱島梁川やルドルフ・シュタイナーらと同様、スウェーデン・ボルクは「幻視者」としては「マトモ」な人格であることが大きい。
あの世を語ってこそ宗教
最近は宗教もカルト事件や「葬式仏教」批判などに対する防衛策なのか、宗教は生きている人のためのもの、生きるための智慧、などの立場を取ったりもする。しかし宗教が霊魂や死後の世界の実在を断言しなくてどうするのか。それなら哲学や倫理で十分である。死んだらどうなるのか、死んだ家族に会いたい…宗教はそれらの答えを明確にするべきだ。スウェーデン・ボルクの神秘思想は現代においても傾聴に値すると思われる。もちろんおとぎ話だと笑い飛ばすのも、その人の「自由意志」である。
参考資料
■高橋和夫「スウェーデンボルグの思想」講談社現代新書(1995)
■エマニュエル・スウェデンボルグ/今村光一妙訳・編「スウェデンボルグの霊界からの手記 正・続」経済界(2002)