私たちは人の死を確定し受容するために、魂・霊魂という存在や死後の世界、各宗教ごとの定義、様々な儀礼、といった装置を作り出してきた。その装置の一つに死者に着せる衣服がある。つまり、死者に着せる衣服には、我々が死というものをどのように捉えて来たか、が現れている。それを歴史的、民族的に見ていこう。
死を承認するために設けられた各種儀礼
かつては死の判定は医師ではなく自分たちの手で行ってきた。しかし身体的な死の状況を見てすぐに死者として扱う文化は世界的に見ても少なく、いくつかの手続きを経て死者とみなし、火葬あるいは埋葬された。
生死の境や死の直後には、大声で名前を呼ぶタマヨバイ、ヨビカエシなどの儀礼が知られている。死亡したと思われた死者の枕元で、あるいは屋根に登って、または井戸や海に向かって死者の名前を呼び、霊魂を呼び戻そうとしたのだ。これは死者の蘇生を願うと共に、その死を確認し、受け止め、愛惜する儀礼と考えられる。
また、今も行われている通夜は、「一晩中起きている」「灯明を消さない」「線香を絶やさない」「水を何度も取り替える」ものとされてきた。これは親族が死者に添い寝する形で再生を願ったものであり、死者を、生と死の中間的状況にあると見なしていることの表れである。
そして、死人になるのは「湯灌を済ませてから」とされた。湯灌は宗教や宗派の有無に関係なく、世界各地でも日本でも当たり前に行われて来た儀式である。死者の霊魂を浄化するために行なったとされ、作業中は読経または念仏が唱えられたこともあるが、棺に納棺する前の死体硬直を解く実用的効果もあったようだ。とにかくそのようにして清められたのちに、ようやく死者と見なされ身支度が施されるということになる。
死者の衣服と身支度
日本の昔のしきたりでは死者は僧の姿になぞらえて、白木綿に経文を記した着物を着せた。あの世には「旅立つ」という認識であったため、草履や頭巾、笠や杖も用意された。しかし、それぞれの地域によって全て旅支度の形をとったわけではない。ただし広く共通しているのは、着物を左前に着せる、裏返しに着せる、帯を立結びにする、足袋や草履を左右逆に履かせるなどの生前と着方を変えることである。
また、死者に着せる着物は死後急いで縫われる物であった。生前の着物の中から一番良い着物を着せるところもあるが、その場合は一部を解いたり、逆さにして掛けるだけにするなど、生前との差異化がはかられた。縫われる場合、広く見られたのが、(1)糸じりを結ばない(2)返し縫いをしない(3)引っ張り縫いをする(4)一本糸で縫う(5)鋏を使わず裂いて断つ、などがある。糸に結び玉を作ると死者の魂がこの世に残ってしまうとか、返し針をすると、死者が魔物になって帰ってくるなど言われた。
ところで、日本の幽霊といえば頭に三角の布をつけている映像が浮かぶだろう。あれは、「天冠」と言う死装束の一つであり、閻魔大王に失礼のないよう付ける正装であるとか、個人の顔にかぶせる白い布が変形したのではないかなどと考えられている。明治時代までの日本では土葬が主流で、ご遺体を体育座りの状態で納める「座棺(ざかん)」が用いられていた。座った状態では布がずれるので、三角巾になっていたのであろう。
しかし仏教の一派である浄土真宗では、死装束は必要ないとされていて、当然三角頭巾もつけることもない。死装束の代わりに白服(白い着物)を着せ、顔には白布をかける。神衣を着せる「神道」でも三角頭巾はつけない。そして実際のところ、幽霊のイメージが浸透しすぎたため、宗教問わず天冠を装着することは少なくなっており、用意はされても遺体の横に添えたり、編笠に巻きつけたり、頭陀袋(三途の川の渡し銭である六文銭を入れるための袋)に入れてしまうことが殆どのようだ。
海外の死装束
ヨーロッパでは、亡くなった人にはスーツやドレスを着せるのが通例である。キリスト教では現世から解放されて神の元に旅立つことは、この上ない幸福だからである。木製のロザリオを持たせることもある。
ヨーロッパで死装束といえば、バレエのジゼルを思い出される方も多いだろう。ロマンティックバレエの代表作であるジゼルの最大の特徴は主人公が死装束で踊ることである。真っ白な何枚もの薄布を重ねた柔らかい長いスカートで踊る主人公の姿は大変幻想的だ。
また、お隣韓国では、死は「生の終わり」ではなく「新しい生の始まり」と捉えられており、また、死装束を生前に用意しておくと長生き出来るという言い伝えがあるため、60歳を過ぎた頃、麻布で作った「寿衣(スイ)」と呼ばれる死装束を子供たちがプレゼントしたりすることが見られる。これは死を喜ばしいことと捉えている、というお国柄が出ている話である。
中国でも死装束は「寿衣」または「老衣」と呼ばれており、同じように生前に用意される。男性用には濃い青、深い紫、深緑が用いられ、女性には、こげ茶、藍色が用いられることが多い。しかし中国の方はいまだに死は大いなる禁忌事項であり、タクシーが葬儀場に行くことを拒むケースまである。これは儒教と道教の思想が背景にあると思われる。儒教では死者はただ記録として残るもの、という無機的な捉え方をしているし、道教では更に、死者は鬼になり地獄に行くとされてきたからだ。このような無意識下に根付いた思想により、建物に四階がないなど、中国では死を連想するものは避ける文化が日本以上にある。
イスラム圏では故人の遺体を洗ったあと、白のモスリンの布で遺体を包む。この布で故人の顔と手を覆わないようにして、遺体を完全に覆う。イスラムの教えでは、死後全ての人が神様に審判され、現世での行いの全てが秤にかけられ、天国行きか地獄行きかが決まるとされていて、ここはキリスト教と共通なのだが、死後こそが本当の世界であり、現世は死後の世界の行き先を決めるための試験の場とされているのだ。終末の日に全ての死者が復活させられ、審判を受けるため、肉体をなくすような火葬はせず、簡易的な土葬ですませている場合が多い。イスラム教徒にとって死は最後の日ではなく、一時的な別れに過ぎないのだ。
死者の衣服の現在
日々暮らしていて、死者の衣服が私たちの目に触れる機会は殆どない。どなたかが亡くなられた場合も、病院で或いは葬儀屋の手で、清拭と呼ばれる湯灌と着替えが行われ通夜を経ることもなく棺に収められることも多い。ここでは「死者になる」ための時間や手続きは短縮され省略される。そして、死者の衣服は葬儀屋が用意する既製品が殆どとなった。白い単衣の着物に手甲脚絆、足袋、草履、肩掛け袋という旅支度スタイルがその殆どを占める。日常の衣服の殆どが洋服である現代において、変わっていないのが不思議ですらある。それだけ死は人々に避けられてきた話題であるがために、変化させづらかった、ということだ。故に葬儀に関することを前もって用意することを忌む傾向もまだまだ強く、死者の衣服は巷に流通しづらく既製品として売られていない唯一の衣料といえる。
そんな中、最近は死んだ時の衣服を自ら選んで用意する人も増えてきている。いわゆる死装束ビジネスもあちこちで興っており、呼び方もエンディングドレス、ラスティングドレスなど、軽やかな名称が付けられ、形としてはネグリジェのような着心地が良さそうで見る人にも安心感が与えられるようなものが多く選ばれている。生前のその人が好んで着ていたような衣服を親族が選ぶケースも見られ、葬儀自体に、その人らしさ、が求められ始めてきた結果といえよう。
「自分らしい最期」のために
葬儀や死装束について、あらかじめ周囲と相談しておくことへの抵抗は、未だあるだろうが、いざ自分や自分の大切な人が亡くなった時、あっという間に機械的、事務的に処理されてしまって、後になってから、「あれで良かったのだろうか?」と思い起こすことにならないよう〜無論、自分が亡くなった後はそんなことを思う機会も無いのだろうが〜事前に備えておく、ということも大事だと思えた。その日は、どんな人にも必ず訪れ、それはいつ起こるか誰にも分からないことだから、だ。
参考資料
■『よそおいの民俗誌 化粧・着物・死装束』国立歴史民族博物館/編