日本の宗教といえば神道と仏教が筆頭である。他にも儒教や道教、陰陽道など様々な要素が含まれているがやはりベースとなるのは神と仏ということになるだろう。そして神社と寺院、神棚と仏壇はそれぞれ役割を持った宗教施設として常に身近にあった。

寺で柏手を打つ人たち
パワースポットブームも相まって神社仏閣巡りも趣味として定着した感がある。テレビ番組では定期的に特集が組まれ、仏像を愛でるアイドルも少なくない。その割に神社と寺院の違いを知らない人が意外に多い。今どきの若い人は、と言いたいところだが、年齢を重ねた人なら明確に違いを説明できるかと言えばそうでもないようだ。違いを認識しているのは、特定の信仰を持っている人やそうしたことに関心がある人、昔ながらの地域で生まれ育った人などで、日本人なら誰でも知っている一般常識かといえば実はそうでもないようである。
筆者は寺院で柏手を打つ人を何度も見ている。その多くはご年配だった。若い世代は柏手自体知らないこともありうるが。寺院は仏教の施設だが神社はと聞くと「神道」と答えられる人はどれほどいるだろうか。「神道」という言葉自体かなり曖昧で、歴史的にはそこまで古い言葉でもない。ちなみに筆者は高校生まで「神道」を「しんどう」と呼んでいた。正しくは「しんとう」である。妻は読み方以前に「神道」なる単語の存在すら怪しかった。当然神社仏閣の違いなどわかっているはずもない。彼女の両親は地方から上京してきた人で、彼女は都会の核家族の2世である。神棚も仏壇も古くからの慣習もない環境で育った。現代の東京ではかなりの割合を占めるタイプと思われる。
生と死の分担
公と私の分担
神社は主に「公」、寺院は「私」の役割を担ってきた。湯浅泰雄は「神棚はムラの信仰を象徴し、仏壇はイエの信仰を象徴している」と述べている。神社はその地域、共同体の中心に存在していた。村の中心には鎮守の森があり神社なり社があり、そこには地元を守護する産土神が鎮座していた。いわゆる「八百万の神」は自然の恩恵と脅威への畏敬の念に由来する。地域のたちは神に五穀豊穣を祈り、収穫物をお供えし感謝の念を捧げた。逆に地震洪水干魃など自然の脅威に晒された時は、神に怒りを鎮めて頂くよう必死に祈った。これが祭りの起源である。どちらにせよ村の祭りは地域の結束、連帯機能の維持、強化につながった。祭りの日に男女の秘事が行われる慣習を伝え聞くことがあるが、これも地域の存続に欠かせない行為である。神道の総本山、伊勢神宮(正式名は「神宮」)では個人的な願い事をしていけないとされている。「公」としての神社の総元締めならではの教えである。
これに対して寺院は基本的な関わりが葬式ということで「私」との関わりが深い。檀家制度が定着して以来、寺は死んだ家族や祖先と自分をつなぐ存在となった。そして自分もいつか檀那寺の墓に行くことになるはずで、これ以上個人的な関係もない。仏教には宗派がありその家々によって信仰形態が異なるのも特徴的である。また僧侶は個人的な悩みや相談事にのってくれるカウンセラー的な存在であり、現代でもその役割は受け継がれている。
最近は少なくなってきたが、家に神棚と仏壇があるのは珍しくなかった。仏壇には位牌があり遺影がある。仏壇は亡くなった家族や祖先の家である。一方、一般家庭の神棚には伊勢神宮の御札「神宮大麻」がよく祀られているが、これは毎年地域の氏子の総代から家庭に配られていた。こういったところにも神と仏が「公」と「私」を分担していたのがわかる。とはいえ、実際はほとんどの神社では個人の願望成就やご利益を謳っているし、仏教には「講」と呼ばれる共同体などが存在する。まさに神仏が同居する国なのである。
神と仏が住まう国
日本は神と仏が同居し複雑に同化していった歴史がある。近年はその影響力も薄くなっていく一方だが、科学や論理では割り切れないこともたくさんあるのはほとんどの人が身にしみているはずだ。不合理ゆえに我信ずという言葉がある。私たちがAIでない限り、神や仏が消えることはない。細かい違いなどにこだわる必要はないが、神仏の違いくらいは知っておいて損はない。
参考資料
湯浅泰雄「日本人の宗教意識―習俗と信仰の底を流れるもの」講談社学術文庫(1999)