母の元同僚が亡くなったときのことである。
彼女は運転好きが高じてタクシーの運転手に転職した。
その日彼女は仕事終わりに飲食店で夕食をとった。そしてどうやらその場で居眠りをしてしまい、そのまま息を引き取ったようである。店の座席で、2時間近く変わらない体勢のまま動かない客(元同僚)を気にした店員が声を掛けたところ、その客は息をしておらず、ようやく眠っているのではないことに気付いたそうである。
家族以外が多く参列した彼女の葬儀
彼女には私も面識があり、母共々親しくしていた。当然葬儀には私も参加した。その葬儀ではタクシー会社の同僚や先輩がまるで親族のように泣いていた。彼女が、生前会社でどのような人物であったかがなんとなく感じられた。
葬儀で親族のように泣いていた人々は他にもいた。その人たちはボランティアグループの人々だったらしい。彼女は生前ボランティアグループに所属していた。あとで母からきいたところによると、ボランティアグループのなかには通夜から駆けつけた人もいたそうだ。突然の葬儀に、しかも通夜のときから同じボランティアグループの人々が駆け付けたのだ。これは故人がよほど熱心にボランティアに参加していたことの証だろう。また、周囲から好かれる人物であったのだろう。多方面で他人と良い関係を築くのが上手だったのかもしれない。
母によると、たしかに彼女は自身がボランティア活動を行ってはいたが、母をボランティアに参加するよう誘ってきたりもせず、その話自体をほとんどしなかったそうである。そういえば私も、彼女からボランティアへの勧誘を受けたことはなかった。彼女が休日にボランティア活動に参加した話をたまに聞いたくらいだ。彼女は、ボランティアをしていない私たちと会うときは、ボランティア以外の共通の話題で楽しもうとしたのかもしれない。おそらく母は彼女のそのあたりの人柄を信頼し、親しくしていたのだろう。葬儀のときには故人の多方面での人柄がしのばれるものなのだなと思った。
家族以外で参列していただくような方がいない場合は家族葬
家族葬を選んだ私の父方の祖母の葬儀のときには、祖母の多方面での人柄はわからなかった。家族葬には文字通り家族しか来ないからだ。そして祖母は亡くなった当時、既に社会とあまり関わりを持っていなかった。よって葬儀の際は祖母と親族のことだけ考えていればよかった。私は祖母の葬儀に参列しなかったのだが、葬儀のときの親族間での会話は、生前の祖母との思い出話や集まった親族の近況報告だけだったそうで、特別な話題は何もなかったそうだ。これならば家族葬にして正解だ。
確かに親族を重視したら家族葬がぴったりだと思う。しかし彼女の場合は、違った。通夜、告別式ともに、親族以外に訪れる人が多かった。会社の関係者、ボランティア活動の関係者、友人・知人が訪れた。
この葬儀は、故人がそれほど高齢でない場合、特にまだ社会と関わりを持っていたなら、通夜も告別式もきちんと日程が組まれている葬儀がよいと思った一件である。葬儀は故人の生前の人間関係を考慮して行った方がよいと思った。彼女は地位も名誉もほぼない状態だったが、斎場に訪れる人数は多かった。会場をもっと広めにしてもよかったのではないかと思ったくらいだ。
故人のそれまでの人生で葬儀のスタイルを選ぶのもいいかもしれません
彼女は、最終的に「好き」を仕事にし、良い人間関係を築いた、良い一生を生きたのだと感じた。そして葬儀には、故人の人生の特徴的な部分が集約されて表れる気がした。
彼女の場合は、その集約されて表れた人生が、良いものだったのだ。これはそのような人物を送った、参列してよかったと思える葬儀だった。このような葬儀もあるのだなと思った