年末に行う大掃除は、新年を司る年神様を迎える前に家中を清めるために行う行事である。我が家も例年通り大掃除を行い、ここ数年着なかった服、用が無くなってしまった物、読んでしまった本等々、不要な物を処分した。購入したときは心をときめかせて購入したわけだが、捨てるときには「場所ばかりとって実に邪魔!」と言わんばかりに捨ててしまう。捨てられる物のほうからすれば、人間の身勝手さが感じられる瞬間かもしれない。平安時代のその昔、そのような想いにかられて成仏できない物たちは、もののけとなって異形の姿でこの世に復活し、京の貴族たちを震え上がらせた。いわゆる百鬼夜行である。
平安時代のもののけ 百鬼夜行
もののけは物の怪とも書く。平安時代、物の怪たちは、夜になると平安京の一条大通りを練り歩いた。それが百鬼夜行である。見た者の命を縮めるといわれており、当時の貴族たちは本気で恐れていた。
室町時代に描かれた「百鬼夜行絵巻」には、彼ら物の怪たちのさまざまな異形の姿が描かれている。破損した茶碗や傘などが、年の瀬に捨てられ、獣や鬼などに変身したものたちだ。器物は長い年月を経ると命を持ち、物の怪になる。彼らは、陰陽が逆転する節分の夜に、船岡山の長坂に向って大移動する。そして山を新天地とした古道具たちは、人間たちに捨てられた怨みを晴らすかのように、京都に出没しては悪事を働いたのである。
もちろん現実にそのようなことが起きることはなく、陰陽師によるフィクションがこのようなファンタジーを作りだしたのは想像に難くないが、そのフィクションが受け入れられる下地が当時の世相にあったのであろう。
不安定だった平安時代
平安時代は華麗な宮廷文化が花開いた時代ではあったが、疫病の流行、飢饉の続発、群盗の横行によって特徴づけられる貧富の差が極限に達している時代でもあった。路上に餓死者や病死した者の死体が溢れ、京の都の大通りの側溝は死体で埋まっていたほどであった。続発した群盗の中には、無職無頼のあぶれ者や地方から流入してきた窮民ばかりではなく、ちゃんとした官吏や、貴族の従者や、本来は盗賊の取り締まりにあたるべき検非違使の手下まで加わっていたという。要は官庁の汚職腐敗がその極に達し、政治の規律がまったく乱れきっていたのだ。そのような時代に百鬼夜行、物の怪大行進は生まれたのである。
現代版もののけ百鬼夜行とは
人間が作りだしたものが悪さを始め、結局人間たち自身の首を締め上げることになる。物の怪をそのように定義をすれば、近代日本がたどってきた公害問題、昨今の環境問題にも通ずるものを感じないであろうか。
物の怪となって人を苦しめるか、有害な毒となって人を苦しめるか、温暖化による環境変化となって人を苦しめるかの違いだけで、根本は人間が作りだしたものを適切に処分(埋葬)する方法まで考慮に入れていなかったために起きたことなのだ。人が進歩とか成長という言葉のもと、エゴを垂れ流してきたことにより、物の怪たちが公害、温暖化という姿で現れてきたまでのことである。
最近、温暖化をストップさせるためのエコ活動が盛んになり、SDGs(持続可能社会)という言葉が出てきて、生産活動の拠点である企業は真剣に取り組むようになった。作ったものがどのような影響を及ぼすのか、しっかり見据えて物を作っていこうという現れである。これにより現代の物の怪が弔われるのか、さらなる物の怪を生むことになるのか、注視が必要であろう。