日本漢字能力検定協会主催の全国公募で、1年を振り返り、世相を表す漢字として2021年は「金」が選ばれた。それはコロナ禍での開催だったことから、国際的祭典における熱狂が叶わなかった東京オリンピック・パラリンピックだったにもかかわらず、多くのアスリートたちの活躍で、日本が「金」メダルを27個獲得したこと。また、メジャーリーグの大谷翔平やプロゴルファーの松山英樹による、日本人初の大快挙。将棋の藤井聡太の四冠達成など、輝かしい「金」字塔を達成したこと。更にコロナ関連の「支援金」「給付金」から、多くの人々が例年になく「金」という漢字に着目したということらしい。
夢という一字を遺して亡くなった沢庵和尚
2021年の「金」に限らず、人それぞれ、人生の節目節目に、「気になる」「こだわりたい」漢字があるのは言うまでもない。その一例として、かつて、自身が死ぬ前に「夢」の一文字を遺した人物がいる。江戸時代前期の禅僧・沢庵宗彭(たくあんそうほう、1573〜1645)だ。
たくあん漬けを作った沢庵和尚の一本気な人生
但馬(たじま)国出石(いずし、現・兵庫県豊岡市)で生まれた沢庵だが、「沢庵」と言えば、我々の食生活に欠かせない大根の漬物・たくあん漬、またはたくわん漬が連想される。乾燥させた大根・食塩・米ぬかを、ふたのついた容器に入れ、その上から重石を乗せて、漬け込んだものだ。たくあんは地域によって製法が若干異なるものの、大きく分けると、自然な生成り〜薄茶色のものと、クチナシなどで鮮やかな黄色に着色したものがある。この漬物が「沢庵」と呼ばれていることについては、沢庵が寛永6(1629)年、京都の臨済宗大徳寺派本山・大徳寺(だいとくじ、現・京都市北区)の人事問題に絡み、幕府と対立した、いわゆる「紫衣(しえ)事件」によって、出羽(でわ)国上山(かみのやま、現・山形県上山市)に流罪となった際、自ら考案し、食していた。それから3年後に許され、江戸に戻って世に広めた。そしてそれを、沢庵に絶大な信頼を寄せていた3代将軍・徳川家光(1604〜1651)が「沢庵漬け」と命名したため。または、後に茶人で建築家の小堀遠州(こぼりえんしゅう、1579〜1647)が設計したとされる、現在、東京都品川区北品川にある、家光が寛永16(1639)年に、沢庵のために建てた東海寺(とうかいじ)の大山(おおやま)墓地内の、直径約1m、高さ0.5mの楕円形の自然石でできた墓石が、漬物石に見えることから「沢庵」と呼ばれるようになったとも言われている。
死の直前に門徒に九つの戒めを遺した沢庵和尚
禅や仏教ばかりでなく、書・和歌・茶道・剣道・兵法・医学など、さまざまな知識を有し、なおかつ先に述べた紫衣事件ではないが、自ら正しいと信じたことは、幕府に対しても臆せず異議申し立てを行う沢庵は、家光をはじめとして、茶人の千宗旦(せんのそうたん、1578〜1658)、剣術家の柳生宗矩(やぎゅうむねのり、1571〜1646)など、多くの著名人と親交を結んでいた。しかし、正保2(1645)年11月29日、沢庵は病に倒れた。そこで自らの死を前に、門弟たちに以下の戒めを遺している。
1.遺体を寺の裏山に埋めて、ただ土で覆ってくれ。
2.(追悼のため、特別に)お経を上げないでくれ。
3.仏事用の食事の場を設けないでくれ。
4.出家者からも在家の者からも、弔いのためのお金を受け取らないでくれ。
5.在家の者も僧侶たちも、着物や食事は普段のようにせよ。
6.(私のために)塔を建てたり、像を安置したりしないでくれ。
7.著名人に送られる特別な名前・諡号(しごう)を求めないでくれ。
8.木の位牌を、本山・大徳寺の祖堂(そどう、祖師を祀った堂)に納めないでくれ。
9.(私を顕彰するための)年譜や行状を作成しないでくれ。
「夢」という一字を遺した、その添え書きに何が書かれていたか
そして12月11日の臨終間際には、門弟たちが辞世の偈(げ、韻文体の詩句)を求められた際も、手を振って何も言わず、ただ、「夢」と書いた。その添え書きには以下のように記されていた。
百年三万六千日
弥勒観音 幾(いく)ばくの是非
是(ぜ)も亦、夢 非も亦、夢 弥勒も夢 観音も亦、夢
仏云(いわ)く 応(まさ)に是(か)くの如き観(かん)を作(な)すべし
仏教で重んじられてきた「無」「空」と重ね合わせているのか、人の人生は夢のように儚いものである、ということか。これらを書き終えた後、沢庵は筆を投げうって、亡くなった。73歳だった。
最後に…
2021年の漢字では、2位が「輪」、3位が「楽」、4位が「変」、5位が「新」…と続くが、10位の「病」まで、漢字の「夢」は選ばれていない。「夢」という漢字には、もちろん、いい意味ばかりがあるわけではない。「悪夢」だったり、「夢ばかり見ていて、地に足がついていない」、など、幼稚、呑気、ぼんやりしている、現実逃避…など、マイナスの意味もある。とはいえ、沢庵が死の間際に「夢」を選んだのは、「未来への希望」を持て、ということなのか。それとも、たった3日で辞したとはいえ、慶長14(1609)年、37歳の時に大徳寺の153世住職に出世するなど、めざましい偉業を達成しても、時の大きな流れの中では、それらは一夜の夢のように、一瞬で消え去っていくものでしかない。「無(む)」と「夢(む)」を掛けたものなのか。
いずれにせよ、2022年の漢字には、虚しい意味ではない、明るくキラキラした未来に想いを馳せる「夢」が選ばれることを祈るばかりである。
参考資料
■樋口紅陽『すねもの奇人変人』1921年 日本書院
■羽場愚道『沢庵珍話』1921年 酒井出版部
■伊藤康安(編解)『新釈沢庵和尚法語』1934年 昭和書房
■伊藤康安『沢庵』1943年 雄山閣
■「偈」総合佛教大辞典編集委員会(編)『総合佛教大辞典 下』1987/1988年(308-309頁) 法藏館
■「沢庵」総合佛教大辞典編集委員会(編)『総合佛教大辞典 下』1987/1988年(962頁) 法藏館
■品川区教育委員会『しながわの史跡めぐり』1988/1997/2005年 品川区教育委員会
■葉貫磨哉「沢庵宗彭」竹内誠・深井雅海(編)『日本近世人名辞典』2005年(563−564頁)吉川弘文館
■福澤徹三「沢庵(漬物)」木村茂光・安田常雄・白川部達夫・宮瀧交二(編)『日本生活史辞典』2016年(412頁)吉川弘文館
■かみゆ歴史編集部&柏書房編集部(編)『英雄の最期と墓所の事典』2016年 柏書房
■「東海寺と沢庵」『品川歴史館解説シート』2019年3月 品川区立品川歴史館
■「今年の漢字 2021年は『金』」『ReseMom』2021年12月13日
■「東海寺大山墓地 沢庵和尚、国学者 賀茂真淵、鉄道の父 井上勝らが眠る」『しながわ観光協会』