新型コロナウィルスの緊急事態宣言が解除され、修善寺温泉に初めて訪れてみた。修善寺の街は、こじんまりとした山間の集落で、昔ながらの品格がある調和が取れた街並みと感じた。その街の中心に「独鈷の湯」がある。独鈷の湯とは、弘法大師が修善寺を訪れた時に、近く流れる桂川で、少年が病気を患っている父の身体を洗っている姿を見て、「川の水では冷たかろう」と、持っていた独鈷杵という仏具で川の岩を打ち砕き、効験のある温泉、霊泉を噴出させた。その効力を弘法大師は親子に伝え、父は温泉にて病気が平癒したそう。なぜ弘法大師は病父をお経を唱えて平癒するのではなく、霊泉を沸かしたのか。
風呂は仏教とともに日本に伝来
かの聖徳太子は道後温泉を訪れた時、人々は温泉に入浴し難病を治していると体感されその事象について文章を残していると伝えられている。さらに時代が進む平安初期、ちょうど弘法大師が修験寺を訪れたとされる頃は、湯治の風習として風呂が身体に良いとされ徐々に公家、僧侶、武家の階層で広まっていた。また東大寺では、施浴と呼ばれる貧困層、病人や囚人らに浴室を開放して入浴をしていた。
仏教では、入浴は病を退けて福を招来するものとして奨励されている。禅宗が日本に広まると同時に、各地を行き来する禅僧は各地で源泉を開拓し湯治を行うようになっていった。弘法大師はその先駆けかもしれない。
仏に仕える人は汚れを落とす事は大切な業
主要の寺には浴堂と呼ばれる「体を洗い清める」お堂が寺院に作られていた。斎戒沐浴、仏へのお勤めの前に沐浴する事で、行動や飲食という行為を慎む事も目的とされていた。東大寺には建物が現存している。
また沐浴の功徳を説いた「温室教」という経典があり、「七病を除去し、七福が得られる」との教えが記されている。七福とは、「垢をさり、見た目を良くし、歯を強くし。目を明らかになし、口中に潤いがあり、気を晴らし、カゼをのぞくなり」と後の時代に解説されている。現代にも通じる非常に納得する教えである。
湯灌
故人を入浴させて綺麗にする儀式を湯灌という。人生というお役目が終わり、最後この世を去る前に、汚れを落とし洗い清める思いやりの儀式である。
湯灌においては、普段は頭から水を浴びるが、ご遺体に対しては水を流すのは逆さ水と呼ばれ、足元から胸元に向かって水をかける。逆から行う事により、普段の動作とは違うと改めて実感する事で、死を受け入れていくという考えから来ている。
お風呂は極楽、極楽
お風呂というものは、きっと生人も故人も誰しも湯船に浸かった瞬間、「極楽、極楽」とついつい言うのだろう。
昔ながらの銭湯は、寺社建築のような外観が多く、実際宮大工が建てたもののようだ。湯屋には神様住むと言われていたようで、もしかすると、極楽浄土そのものかもしれない。確かに久しぶりの温泉は極楽であった。また機会を作り温泉に赴き、鬱々とした現代病を斎戒沐浴、湯治したいと思う。