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噛まれた金メダル 穢れた金メダル 日本人独特の心性「穢れ」

日本人の心性には「穢れ」が横たわっている。科学的世界観、論理的思考が浸透した現代においても穢れは深く根付いている。その穢れの心性を刺激する出来事が最近起こった。


とある市長の愚行

先日名古屋市の市長が表敬訪問に訪れた東京オリンピック金メダリストのメダルを噛んだことが話題になった。市長は選手にメダルをかけてもらうと、おもむろにメダリストがよくやるように噛むという行為に及んだ。これが大騒動になった。当然である。他人のものを許可なく口に入れる行為だけでも非常識だが、それに加えコロナ禍の現在においては衛生上の観点からも看過できない問題である。ましてこの人物は市長という責任ある立場なのだ。当然世間からの非難は凄まじく、選手を支援するトヨタ自動車も怒りを隠せず市長を批判した。新しいメダルと交換してやってほしいとの嘆願も多く寄せられたようでIOCも了承したそうである(2021年8月12日現在)。しかし、このメダルはその選手が仲間と共に晴れの舞台で手にした唯一無二のメダルである。どのメダルもない、このメダルにこそ価値があるのであって、新品のメダルはただのメダルに過ぎない。中には「ただの金属」「除菌すればいい」との声もあるが一部である。多くの人たちはそれでは済まない価値があることを知っている。


2つの価値観と聖遺物

1993年のドラマ「ひとつ屋根の下」のワンシーン。主人公・達也(江口洋介)が、荒んだ生活をしていた弟・和也(いしだ壱成)に、汗にまみれて稼いだ金は美しい、ワイロもらってる政治家なんかよりキレイで純粋な金だと諭し。しかし和也は一笑に付す。

「金にキレイも汚いもあんのか?貧乏人の強がりだろうが。日本銀行で刷られる福沢諭吉に不細工も二枚目もあるもんか」

記憶に任せているが大体このような内容だったと思う。これと対照的なのが1987年のドラマ「北の国から''''87初恋」の有名なエピソード「泥の付いた一万円札」である。上京のため故郷を離れる純(吉岡達也)を乗せて走る無愛想な運転手(古尾谷雅人)。彼は純に目の前の封筒を開けてみろという。純の父・五郎(田中邦衛)から手間賃として渡されたもので、泥がついた一万円札が入っているらしい。彼は言う。

「お前のおやじの手についてた泥だろう。オレは受取れん。お前の宝にしろ」

果たして純が開けると泥がついたばかりとおぼしき一万円札が入っていた。父が楽ではない生活の中で精一杯集めたことが伝わる。件の市長には泥のついた一万円札の価値はわからなかったようだが、「福沢諭吉」論に同意するかのような向きがいるのも事実である。そのような向きでも家族や友人が遺した形見であればどうだろうか。表彰式で授与されたメダルは、その人のぬくもりが残る形見と同じ意味がある。これらは科学や論理では割り切れない「聖遺物」に近い価値を帯びているといえる。この件は海外にも報じられ冷ややかな反応を受けているが、特に日本人は清浄であるべき聖遺物を穢されたような嫌悪感を感じたのではないか。


穢れの心性

日本人は清潔な民族と言われる。江戸時代のパリやロンドンの路上が糞尿だらけで不潔きわまりなかったとの話をよく聞くが、江戸は世界で最も衛生対策が発達した都市だったという。その根底には穢れを厭う心性があったと思われる。穢れにはいくつかの種類がある。日本古来の信仰形態である神道の教えでは、死そのものや葬儀の穢れを「黒不浄」、女性の月経の穢れを「赤不浄」、出産の穢れを「白不浄」と呼ぶ。穢れに触れると、身体だけでなく魂に付着するという。葬儀から帰宅する際に塩をまく「清め塩」の風習はこの穢れを浄めるためのものである。神道式の葬儀、神葬祭も神社で行われることはなく、外部のホールなどで営まれる。また多くの日本人が仏式の葬儀を行うが、自宅で行う際には神棚を半紙で覆って穢れを防ぐ風習が残っている。神道の穢れを厭うことは徹底しているのだ。
日本人が他人に使われた箸や茶碗を禁忌するのにも穢れの思想が横たわっている。たとえその箸を完全に洗浄しても、目の前に割り箸があればそちらを使うだろう。スプーンやフォークにはそこまでの嫌悪感は持たないが、箸や茶碗は基本的に自分専用のものを使う。いわば自身の分身であり、他人がそれを侵し穢れを付着させることは許されない。同様にこのメダルを最新の技術で洗浄したとしても、メダルについた穢れを拭うのは難しい。この愚行は世界でも報じられ冷ややかな反応が寄せられているが、特に穢れを嫌う日本人には許されざる行為なのである(注)。

注:もっとも動画を観ればわかるが、件の市長は音がはっきり聞こえる程の勢いで、しかも紐の一部ごと口に入れている。このあと平然と持ち主に返す品性は信じがたい。この一件に限定するなら、日本人や穢れ以前の問題である。


穢れと浄め

穢れは差別意識につながる要素もあり、日本人の心性に根付くネガティブな感覚といえる。しかし同時に必要な要素でもあると考えられる。たとえば新生児は赤不浄に塗れて生まれ(現在は病院によって異なる)直後に洗われた。これは国生みの神・イザナギが黄泉の国の穢れを川で洗い落とすと、清められた目や鼻から、三貴子(みはしらのうずのみこと。アマテラス、スサノウ、ツクヨミ)が生まれたという神話が想起される。ここには生と死の連環が見て取れる。禊や祓い、浄めには、穢れが必要であり、穢れあってこその浄めである。


人間の証明

自治体の指導的立場らしからぬ行為であったが、改めて日本人の心性が浮き彫りになることにもなった。21世紀になっても我々は穢れと共に生きていくことになるだろう。弊害もあるが合理的思考だけでは収まらない、AIに非ざる人間の証明でもある。


ライター 渡邉 昇

記事掲載日:2021/08/19

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