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浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)と日本の三大宗祖

浄土系仏教では「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」を三大経典としており「浄土三部経」と呼ばれる。そして日本の浄土仏教には3つの巨峰がそびえている。浄土宗宗祖・法然(1133〜1212)、浄土真宗宗祖・親鸞(1173〜1262)、時宗宗祖・一遍(1234〜89)である。彼らはそれぞれ「三部経」の中でも異なる経典を重視し教義の中心に据え、各宗派も公式に根本経典としている。


法然の発見と「観無量寿経」

法然は浄土宗宗祖であり日本浄土系仏教の開祖である。それは日本初のオリジナル宗派でもあった。日本に渡来した最初の仏教はいわゆる南都六宗(法相・華厳・律・三論・倶舎・成実宗)と呼ばれた学問色の強い仏教である。次いで天台・真言宗が登場した。いずれも国家鎮護のための仏教である。もちろん地に這う民衆には何の関係もない。

そうした中で空也(903〜972)は民の中で念仏と極楽往生を説いた。民衆のための仏教という宿題が提出されたのだ。この宿題を受け止めたのが法然である。世は乱れ人心は地に落ちた。法然自らも幼い頃目の前で父親を殺され一時は仇討ちを誓ったという。法然は救いの法を求め、仏教経典大全・一切経を5度読み返した。すべての答えは仏典のどこかにあるはずだ。「智慧第一 法然房」と呼ばれた秀才は仏典を信頼すること揺るぎない。そして善導(613〜681)が著した「観経」の注釈書「観無量寿経疏」に目を止め「称名念仏」にたどり着いた。この時の法然の感激は「落涙千行なりき」というほどであった。
「観経」には極楽往生するための具体的な観想念仏の方法が記されており、それができない「下品下生」の者に対しては口で唱える称名念仏を説いている。善導はむしろ称名念仏こそ最上の行であると説いた。法然は善導の「観経」解釈に導かれ「選択本願念仏集」を著した。法然がその原点「観経」を所依の経典としたのは当然といえるだろう。


親鸞の深みと「無量寿経」

法然の念仏をさらに深く追究したのが親鸞だと言われている。しかし法然が親鸞より浅いということではない。親鸞の深みとはより下品外凡の民としての絶望の深みである。法然は人格的に完成しておりその思想は高邁にして慈悲に溢れている。それ故に法然自身は教え導く人であった。対して親鸞は自ら苦しみ、下品なる者と同等の目線にいた。つまり念仏を唱えることすらできない者たちである。そんな親鸞は仏を観るための方法論である「観無量寿経」にはむしろやや批判的だった。念仏すら唱えられない最底辺の人はどうするのか。親鸞は「三部経」の筆頭といえる「無量寿経」に帰った。「無量寿経」阿弥陀仏の物語である。法蔵という人物が万人を救うための仏になるために誓いを立て阿弥陀仏になったことが記されている。

親鸞ほど深い絶望と自己否定に喘いだ宗教者はいない。法然の絶望は宗教者としての使命故だった。親鸞はそれ以前の人間存在に対する絶望であった。親鸞は「半僧半俗の愚禿」を名乗り、仏教者としてあるまじき妻帯肉食の戒を破った。本来なら地獄行きである。しかし地獄に行かない人間などいるのか。それこそ法然のような一部の優れた人間だけだろう(親鸞は法然に騙されて地獄に落ちても構わないというくらい尊敬していた)。多くの人間は心正しく生きたくてもできない悲しい存在である。これを悪人という。悪人は阿弥陀仏にすがる以外救いの道はない。親鸞はさらにそもそも阿弥陀仏は絶対者である。すべては阿弥陀仏の掌の上であったらどうか。それなら安心して阿弥陀仏に任せてしまえばよいのではないか。妻帯肉食に走った親鸞は阿弥陀仏にすべてを任せることを自ら示したのである。浄土各派の中で最も広がったのは真宗である。市井の人々に受け入れられた結果であろう。市井の人といっても現代の一般大衆とはわけが違う。文盲無学の民である。そんな彼らにも阿弥陀仏の広大な慈悲は届いているはずだ。親鸞はその真理を説くため「三部経」の中でも阿弥陀仏の慈悲そのものを語る物語「無量寿経」を教義に据えたのだった。


一遍の極みと「阿弥陀経」

一遍の念仏は「極み」である。法然の念仏は阿弥陀仏「へ」救いを求める念仏。親鸞の念仏は阿弥陀仏「が」救ってくれる念仏。一遍の念仏は阿弥陀仏「と」一体になる念仏であるといえる。一遍には有名な逸話がある。臨済宗の法燈国師(心地覚心 1207〜98)に参禅した際に一首を詠んだ。

「となふれば 仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏の声ばかりして」

国師はこれを「未徹在」つまり不徹底であると評し、一遍はすぐさまこう呼んだ。

「となふれば 仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」

もはや念仏を唱える自分すらいない。私が念仏するのではない。「念仏が念仏する」というのである。念仏が極まることで「無我」に至るのである。ここまで来れば迷いも苦しみもない。その境地に民を導くため、一遍は称名念仏に踊りを加えた。唱え、踊り、悩み苦しむ我を開放させる。一切の執着は消えてなくなる。あとは極楽浄土へ行くだけである。
一遍が「三部経」で重視したのは「阿弥陀経」であった。「阿弥陀経」は極楽浄土の情景が描かれおり、念仏による往生を説いている。「念仏が念仏する」ことで阿弥陀仏そのものになった一遍の前に広がるのは極楽浄土のみであった。一遍の念仏は自ら体験しなければ理解は困難である。虚心坦懐に「阿弥陀経」に展開される極楽の描写を味わうことで、その一端に触れることができるかもしれない。


慈悲の心が作った流れ

浄土系仏教の三大宗祖がそれぞれ異なる「三部経」を選んだことで、日本仏教に浄土教という巨大な流れが完成した。偶然ともいえるし歴史の必然ともいえる。確実なことは法然、親鸞、一遍に共通した、迷い・苦しみから民を救いたいという願いが結実したことだ。それは阿弥陀仏の慈悲そのものであった。


参考資料

■中村元・紀野一義・早島鏡正「浄土三部経〈上〉無量寿経 改訳版」 岩波文庫(1990)
■中村元・紀野一義・早島鏡正「浄土三部経〈下〉観無量寿経・阿弥陀経」岩波文庫(1990)
■法然著/阿満利麿訳・解説「選択本願念仏集」角川文庫(2007)
■柳宗悦「南無阿弥陀仏」岩波書店(1986)
■聖戒「一遍聖絵」岩波書店(2000)
■栗田勇「一遍上人」新潮社(2000)


ライター 渡邉 昇

記事掲載日:2021/07/20

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