各温泉地には、武将や動物による温泉発見伝説が多く残されているが、なかでもよく聞くのが僧侶である行基にまつわる伝説である。あくまでも言い伝えではあるが、彼が開湯に関わったとされるなかでも、有名な温泉の開湯伝説を紹介する。
有馬温泉、源泉の発見と行基による開湯
3羽の傷ついたカラスが水浴びしているところ、その傷が数日で治っている事に大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が気が付いたことから始まる。カラスが水浴びをしていたその水たまりこそが有馬温泉の源泉だった。以降、各時代の要人に愛されていた有馬温泉も、繁栄は長く続くことはなく、衰退していく。
そして西暦700年ごろ、湯治を皆に広めるために有馬温泉に向かっていた行基は、道中で病で弱っていた男に出会う。男に頼まれ新鮮な魚を与え、膿んだ傷を舌で舐めて蛆を取ってやると、突如男の体が金色に輝き薬師如来へと姿を変え、有馬温泉の復興をするよう伝えると紫雲に乗り飛び去ったという。行基はその言葉に応えるため、有馬温泉につくと仏像を作り、寺を建て、温泉への道を作ったとされる。
行基はどのような人物であったのか
出家後の行基は民間人・僧侶が混ざった宗教団体を作り、寺や温泉だけでなく、橋を整備し、治水工事などを行っていた。次第にその規模は大きくなっていき、続日本紀では「行基菩薩」と記されるほど民衆からの支持を得る。
聖武天皇が奈良の大仏を作る際には実質的責任者として任されるなど、国家的なプロジェクトを任されるようにもなっていた。
仏教における入浴の意義
もともと入浴自体は僧侶の修業の一つであるとされ、仏教経典の温室洗浴衆僧経によると以下のとおりで、これらの七物を入浴時に整えることで「七つの病を避け、七つの福が得られる」と記されている。
(1)燃火(火・薪)
(2)浄水(水)
(3)澡豆(洗い粉)
(4)蘇膏(芳香剤)
(5)淳灰(洗剤)
(6)楊枝(ようじ)
(7)内衣(入浴中着る衣服・浴後使うタオル)
その後、修業の一環として民衆の入浴を僧侶が手伝う「功徳湯」が始まり、自身だけではなく他人の汚れをも落とすことは、仏に仕える者にとって大切な仕事となった。
開湯伝説に関しては言い伝えではあるが、行基にこれまで多くの開湯に関する伝説が残されているのには、他人の垢を落とすことが自身の垢を落とすとされた功徳湯が、民衆のために行基が行った社会事業が持つ、「利他行の精神」と結びつきやすいものだったからなのかもしれない。