古くからある日本のカステラよりも、ふわふわした食感が楽しめるという「台湾カステラ」が今年に入ってから、若者世代を中心にブームになりつつあるという。そもそも日本からの最短距離はおよそ108kmである台湾、または中華民国は1895(明治28)年から存在していることから、「台湾カステラ」も明治〜大正〜昭和〜平成の間のいずれかに日本に紹介され、ブームはもちろんのこと、「ラーメン、餃子、春巻、豚の角煮、ウーロン茶」などのように、我々の食生活の一部に深く浸透していてもおかしくはないのだが、何故、令和の今、脚光を浴びているのだろう。
中国や朝鮮半島から多大な影響を受けてきた日本
日本は中国や朝鮮半島から近く、漢字や仏教はもちろんのこと、長きに渡り、様々な文化や叡智の影響を受けてきたが、実はこのようなことは、珍しくない現象だという。
例えば、「亀趺(きふ)」。これは石碑の台座に亀があしらわれたもののことだが、中国の南北朝時代(439〜589年)に始まり、朝鮮半島にも伝わっているが、古墳時代〜飛鳥時代以降の日本には、どういうわけか流入していないのだ。
亀趺にあしらわれている亀
青龍・朱雀・白虎と並ぶ中国の「四神」の玄武、そして霊力、瑞兆や長寿を象徴するものとする「亀」の捉え方は、漢字などと同様に日本に流入し、なおかつ、硬い甲羅を持ち、海中や水場のそばで暮らし、なおかつ普通の野生動物とは異なり、人間に対しての警戒感から、敏捷に逃げ去ることなく、静止したままだったり、緩慢な動きをなす「亀」そのものを古代人が「海の神の使者」と信じていたことと結びつき、亀の背中に乗って龍宮城に行くという、浦島太郎伝説では欠かせない存在となったり、「鶴は千年、亀は万年」という言葉と共に「縁起がいいもの」として祝い事の飾りに用いられ、今日に至っている。
上野の寛永寺に残っている亀趺
ところで、日本においては数少ない「亀趺」だが、例えば、東京・上野の寛永寺(かんえいじ)根本中堂(こんぽんちゅうどう)内に残っている。
もともとの設置時期や場所、移設時期などの詳細は不明だというが、江戸時代前期の黄檗(おうばく)宗の僧侶・了翁(りょうおう)禅師(1630〜1707)を顕彰するための石碑だ。了翁の坐像のそばに据えられている。了翁はもともと、出羽国雄勝郡(現・秋田県湯沢市)に生まれた。仏門に入ってから、中国・福建省出身の来日僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき、1592〜1673)に師事した後、諸国を経巡る中、霊薬「錦袋円(きんたいえん)」の処方を夢に見、それを不忍池付近の薬屋で販売する。そしてその利益を難民救済に充てたり、寛永寺内に勧学寮(今日の図書館)を設置したりした名僧だったという。
過去、偉大な業績をなした人物の顕彰碑建立は決して「珍しいもの」ではないが、台座に亀があしらわれているのが疑問に残る。しかしそれは、江戸初期、元和・寛永期の1615〜1644年頃、日本唯一の外国との窓口であった長崎に、明朝末期の動乱を避けて来日していた僧侶たちによって黄檗宗がもたらされ、それが全国的に展開したことと、深い関わりがある。そうした人物のひとりである隠元が1661(寛文元)年に開山した、京都府宇治市の萬福寺には、隠元を顕彰する「隠元禅師塔碑」があり、碑文には、1673(延宝元)年に後水尾天皇(ごみずのおてんのう、1596〜1680)から隠元に贈られた「特賜大光普照國師塔銘」の文字が刻まれている。この亀趺が、日本に散在する亀趺のもとになったと考えられている。
一般化しなかった亀趺
「漢字」などの「中国文化」そして「仏教」が日本に入ってきたのは、大体6世紀。いわゆる「大昔」のことであるため、17世紀を生きていた人々にとっては、それらは既に「日本」文化の一部になっており、いわゆる「中国らしさ」、或いは「本物らしさ」を失った、ある意味「旧態依然」のものでしかなかった。しかし黄檗宗が、徳川家康(1543〜1616)によって天下統一がなされた「時代の転換期」にもたらされたことで、「古くて新しい」中国文化並びに仏教として、また、新たな「宗教的権威」を必要としていた江戸幕府を中心とした当時の支配層に広く受け入れられた。しかし亀趺は皮肉にも、「仏教」や「中国文化」そのものがもともと、日本に深く広く浸透していたことから、「おめでたいもの」「長寿」のシンボルとしての「亀」と結びつく形で、亡くなった著名人の供養や顕彰を目的とした石碑造営に当たり、大規模なブームまたは規範となって今日に至るほどの勢いを持つことはなかった。
さて台湾カステラは一般化するのだろうか
「台湾カステラ」がコロナ禍の現在から今後、どのような運命を辿るのかはわからない。一過性のものとして、すぐに忘れ去られてしまうのか。それとも「ラーメン、餃子…」などのように、我々の生活に「当たり前のもの」として定着し、場合によっては旧来の「日本のカステラ」を駆逐するほどのものになるのか。
また、近くて遠い中国だが、「亀趺」や「台湾カステラ」のように今後も、大昔から存在していた文化並びに文物が「今ごろになって」、新たに紹介される可能性も大いにある。中国は日本の比ではないほどの歴史ある大国であるだけに、大いに期待されるところである。
参考資料
■財団法人全日本仏教会・寺院名鑑刊行会(編)『<改定第三版>全国寺院名鑑 −北海道・東北・関東篇−』1969/1970/1973年 史学センター
■藤井直正「亀趺をもつ石碑の系譜」大手前女子大学(編)『大手前女子大学論集』25巻 1991年(29−64頁)大手前女子大学
■川崎晃稔「亀」下中弘(編)『日本史大事典 2』1993年(391頁)平凡社
■吉田正高「寛永寺」加藤貴(編)『江戸を知る事典』2004年(223−225頁)東京堂出版
■下中直人(編)『世界大百科事典 6』1988/2005/2007/2011年 平凡社
■「今年の本命トレンドスイーツ!東京で『台湾カステラ』がおすすめの店4選」『macaroni』2021年2月16日
■林晃平「蓑亀は動物なのか −亀を視点とした浦島伝説の展開」『全国大学国語国文学会 第123回大会』2021年6月5日
■東叡山寛永寺 教科部(編)『東叡山寛永寺』(刊行年不明)東叡山寛永寺 教科部(刊)
■『東叡山寛永寺』
■「了翁禅師塔碑」『TAITOおでかけナビ』
■「了翁禅師塔碑」『東京都文化財情報データベース』
■「萬福寺」『京都風光』