オーストリアのウィーンには、死者を追悼する儀式である「葬儀」をテーマとした博物館、「葬儀ミュージアム(Bestattungsmuseum)がある。そこには、葬儀にまつわるさまざまな文物がおよそ250点も展示されているという。
博物館という「場所」で、文化人類学や歴史学、宗教学などのアカデミックな観点、または「異文化」への物珍しさから見た「死」、そして「葬儀」は、必ずしも恐ろしいものには見えないかもしれない。しかし現実生活においては、「死」にまつわる恐ろしい、不思議な話は数多く存在する。
例えば『都(みやこ)新聞』が大正9(1920)年3月25、26日に報じた、東京・浅草で起こった謎の殺人事件、そしてその法事にまつわる噂話がある。
上野・寛永寺の僧侶がおでん屋に大金を預け去っていった
当時の浅草界隈で、豪勢な酒屋として知られていたK家だが、明治維新(1867〜8年)以前は、浅草寺の門前で参拝客や夜警の人々を相手にした、小商いのおでん屋だった。
ある夏のこと、おでん屋に汚い身なりの僧侶が飛び込んできた。僧侶は大きな風呂敷包みを示し、「自分が戻ってくるまで、これを預かって欲しい」と言い捨て、そのまま風のようにどこかへ去って行った。包みを開くと1000両余りの大金が入っていた。後からわかったことだが、その僧侶は上野・寛永寺の僧侶だった。
ちょうどその頃、上野戦争(1868年)が勃発し、彰義隊の落ち武者や、彼らを追尾する官軍の兵隊が入り乱れ、上野や浅草一帯は荒廃・混乱を極めていた。そうした状況から、たとえ大寺の寛永寺であっても、まとまった大金を持ち出し、一時的にどこかに隠す必要があったのだろう。
金を使い込んだおでん屋
維新の動乱が鎮まってからも、なかなか持ち主は現れない。たとえ「自分のものではない」「預かりもの」とはいえ、目の前にいつでも手をつけられる大金が手に入ったK家では、「ちょっとぐらい…」と、その金を「拝借」し、手狭なおでん屋を広くした。副業も始めた。それに飽き足らず、とうとう思い切って商売替えをし、酒屋を開くことにした。商売は順調で、2年後には酒屋は立派な店構えとなった。
戻ってきた僧侶は白を切られて身投げした
そこに突然、あの時同様、みすぼらしい僧侶が店先に現れ、「預けた金を受け取りに参りました」と言う。K家の主人が素直に金を返せばよかったのだが、この僧侶があの時の僧侶かどうか、判然としない。それゆえ、「そんなものは知らない。預かった覚えもない」と言い張った。僧侶はうらめしそうに店をにらみつけながら立ち去ったものの、店の前にあった井戸にいきなり身投げしてしまった。
おでん屋のおばあさんが不可解な死を遂げた
その後、やはり夏の夜のことだった。かつて細々とおでん屋を営んでいたものの、花川戸(はなかわど)で隠居の身となっていたおばあさんが、贅沢な寝具にくるまって、蚊帳の中で眠っていた。翌朝、寝具や蚊帳には、破れや乱れはない。しかも、何者かが出入りした形跡がなかったにもかかわらず、血まみれのおばあさんが発見された…。
警察の懸命の捜査にもかかわらず、犯人が何の手がかりも残していなかったことから、事件は迷宮入りになってしまった。それから50年の時が経過し、世間の人々からは忘れ去られてしまってはいたものの、地域の人々の間には、おばあさんはお金を預けた僧侶の祟りで殺されたのではないか…という怪談だけが残っていた。
僧侶の祟りではないかと噂が広がった
しかも「僧侶の祟り」の噂話はそれにとどまらなかった。毎年K家ではおばあさんの命日に、僧侶の怨念を鎮めるため、そしておばあさんの供養のため、親類縁者や旧知の人々が集う盛大な法要が営まれていた。その法事に美しく着飾った女性が参列すると、その最中には誰も気づかないのだが、女性が自宅に戻ると、帯が12〜15cmほど切り裂かれているか、或いは締めることができなくなってしまうという変事が起こる。このことも、あの時の僧侶の祟りではないか…とささやかれているという。
最後に・・・
ウィーンの葬儀ミュージアムの広報、ザーラ・ヒーアハッカーは去年の11月に、コロナ禍の今だからこそ、人は死が人生にどのような意味を持つのか、どのように埋葬されたいのかを考えていると思うと述べていた。しかし、そんなことを考える暇もなく、突発的に自殺した僧侶、そして突然何者かによって命を絶たれたK家のおばあさんは、どのような「死に方」、そして「葬儀」を望んでいたのだろうか。「死に方」はコロナ禍の今、「選ぶ」ことは極めて難しいが、できることなら、葬儀の段取りを含め、今生に恨みや未練を残すことなく死にたいものだ。
参考資料
■湯本豪一(編)『大正期 怪異妖怪記事資料集成 (上)』2014年 国書刊行会
■「葬儀ミュージアム、死に魅了された都市ウィーンに再オープン」2014年10月31日『AFP BB News』
■「コロナ禍で『死』を再考…ウィーンの葬儀ミュージアム」2020年11月21日『AFP BB News』