お酒は、古来より世界中の人々を魅了し続けている飲み物である。それだけでなく、人と神を繋ぐものとして、神事や宗教でも重要な役割を担っていることも多い。今回は、お酒と宗教との関わり合いについて見ていきたい。
「酒の神様」は世界各地の神話に登場する
世界の神話にはたびたび「酒の神様」が登場する。最も有名なのが、ギリシア神話のディオニュソス(ローマ神話におけるバッカス)だろう。ディオニュソスは、豊穣とワインと酩酊の神とされている。ディオニュソスは、ブドウ栽培やワインの製造技術を考え、各国を放浪してその技術を伝えながら信者を獲得していったとされる。
アステカ神話にも、プルケ(酒)の神としてパテカトルという神が登場する。アステカ神話には、多くのプルケの神がおり、まとめて「400匹のウサギ」と呼ばれている。
お酒とキリスト教
最後の晩餐において、キリストがパンとワインを自分の身体と血として口にするように命じたとされる。このことから、キリスト教において、ワインとパンは重要な位置づけとなっている。また、ビールはパンと同じく麦を原料とすることから、「液体のパン」とされた。中世ヨーロッパでは、労働の一環として原料のブドウや麦を栽培したり、ワインやビールを作ったりする修道院も多く、技術も発達していった。当時の衛生環境からも、生水を飲むよりもアルコールを飲む方が安全だったため、ワインやビールは広まっていった。ワインの一種であるシャンパンは、フランスの修道士ドン・ペリニヨンの名に由来している。ベルギーを中心に、現在でもビールを生産・販売している修道院もある。
お酒と神道
神事において、神に捧げるお酒は御神酒とよばれ、重要視されてきた。日本には「八百万の神々」が存在するとされ、酒神も多く存在し、全国各地に祀られている。「古事記」「日本書紀」においてもお酒が登場する。スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治するときに、酒を飲ませたという逸話は有名である。正月のお屠蘇や、結婚式の三々九度など、生活の中でも儀式的にお酒を飲む習慣が残っている。
しかし多くの宗教が飲み過ぎを良くないこととしている
しかし、お酒は飲みすぎれば健康被害をもたらす。仏教の戒律では、食肉とともに飲酒は禁じられている。イスラム教においては、コーランの中で「酒は心を乱す悪魔の飲み物であるから避けるべき」と明確に禁止されている。ワインが重要視されているキリスト教だが、聖書にはお酒で失敗する人物も登場しており、酩酊は罪とされている。
参考資料
■「酒の起源」パトリック・E・マクガヴァン 著、藤原多伽夫 訳(白揚社)
■「ビールの歴史 キリンビール大学」キリン
■「お酒おつきあい読本 お酒を語る」宝酒造