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日本でのホスピスやターミナルケアの原型となった「二十五三昧会」

現代に先んじること1000年前、日本におけるホスピス、ターミナルケアの原型といえる集団「二十五三昧会」(にじゅうござんまいえ)が僧侶たちによって結成された。彼らの信条・活動が病理を抱える現代社会に与えるヒントとは。


「二十五三昧会」(にじゅうござんまいえ)とは

「二十五三昧会」(にじゅうござんまいえ)は、986年比叡山・横川の首楞厳院において、恵心僧都源信(942~1017)、慶滋保胤(?〜1002)ら25人の僧によって結成された念仏結社である。恵心僧都源信は今に伝わる地獄・極楽図を描いた「往生要集」の著者。慶滋保胤は極楽往生の物語を集めた「日本往生極楽記」の撰者として著名である。この結社は極楽往生を希求する集まりで、月ごとに僧衆25名が集結して念仏を修め往生を願った。


「二十五三昧会」が定めた規則とは

彼等の「発願文」には、互いに善友の契りを結び、臨終の際には相互に扶助して念仏することなどが記されている。結社の規則は以下の通りである。

・毎月15日の夜に念仏三昧を修する。
・毎月15日に正午以降、念仏三昧の前に法華経を講ずる。
・15日の夜は仏前に灯明を供える。
・メンバー(結集)を葬送する時に用いる土砂に光明真言を唱えて加持をしておく。
・メンバーは永く父母兄弟であると思うこと。
・入会後は三業(身・口・意)の行いを慎み善行に励む。
・メンバーが病気になったら、お互いそのことを告げ、臨終に備える。
・メンバーが病気になったら、持ち回りで看護し、常にそばに寄り添う。
・阿弥陀仏が鎮座する「往生院」を建て、病人を移して臨終に備える。
・あらかじめ土地を選び、そこを「安養廟」と呼んでメンバーの墓地とする。
・メンバーが死んだときは皆で葬儀を行う。皆は安養廟に集まり念仏を唱え極楽往生を願う。
・メンバーは規律を厳守し、違反した者は脱退させ、新メンバーを補充する。


「二十五三昧会」はホスピスやターミナルケア、看取りを目的としていた

往生院は現代でいうホスピスである。結社では病んだメンバーを往生院に移し、2人1組となって昼夜問わず傍に寄り添い1人が看病。もう1人が念仏を唱えた。臨終後も定められた墓地が用意され、その後も定期的に永代供養のような形で念仏会が行われる。死後も続けられる念仏会は往生したメンバーとの縁を絶やさないためのものであった。そこには現代社会が抱える孤独死や、無縁社会などの問題に対応する機能が含まれているように思える。二十五三昧会は出家して家族や世間との縁が途切れた僧侶たちによる、看取り・ホスピス機能を有した相互扶助共同体的な結社であった。


そもそも念仏結社とは何なのか

念仏結社の歴史は古い。402年、浄土仏教の祖とされる中国・東晋の高僧 慧遠(334〜416)が念仏結社「白蓮社」を主宰し、同志と共に念仏三昧の日々を送った。しかしその目的は、あくまで自分たちの往生、悟りのためであり、大乗仏教が強調する利他性に欠けていた。白蓮社の思想自体は興味深いものだが、後の浄土仏教とは直接つながっていない。法然(1133〜1212)、親鸞(1173〜1262)らに連なる大乗浄土仏教とは別物であると考えた方がよい。また、二十五三昧会の少し前に保胤が比叡山の僧らと「勧学会」という集まりを主宰していた。こちらは詩を作るなど趣味のサークル的な意味合いが強い。
これらの組織に比べると二十五三昧会が「慈悲」の精神をもって他者の救いを説く大乗仏教の精神に基づく集団であることがわかる。彼らは積極的にメンバーの葬儀を行ったことにも注意されたい。この当時死体は最大の穢れ「死穢」とされていた。穢れを超える浄土と念仏の教えは後の法然に受け継がれ、鎌倉新仏教の大きな潮流を生むのである。


鳴り響く光の念仏

五感の中で最後まで機能するのは聴覚だという。そうであるなら臨終を迎えるメンバー=往生人は息を引き取る寸前まで同志たちの念仏に包まれることになる。「南無阿弥陀仏」の念仏は阿弥陀仏に南無=帰依するの意で、「聖なる光の言葉」と言い換えてもよい。聴覚を通じて薄れゆく意識に念仏が届くとするならば、往生人の意識に阿弥陀仏=光のイメージが浮かび上がり、聖なる光に包まれて穏やかな臨終を迎えることができる可能性がある。そうだとしたら臨終の際に阿弥陀仏が迎えに来る様を描いた「来迎図」はそのような光の映像を描いたものなのかもしれない。死後の世界が存在するか否かは筆者にはわからない。例え死が意識の消滅であるにせよ、縁を結んだ同志たちの光の念仏と光のイメージに包まれながら、光に溶けこんでいけるのだと考えられれば、穏やかな気持ちで死を受け入れられるのではないか。現代のホスピスやターミナルケアの現場においても参考になるはずである。


死ねない時代

現代は“死ねない”時代である。医学の進歩は日進月歩であるが、未だ原因不明の病気は数多く、新型コロナウイルスの収束の目処はついていない。日本人の2人に1人はガンで死亡すると聞く。しかし医学の延命技術は中々我々を楽にしてくれない。これは「往生要集」が描く「等活地獄」そのものである。地獄の亡者は獄卒によって肉を切り刻まれ骨を粉々に砕かれる。しかし涼しい風が吹くと生き返り元の姿に戻る。そしてまた責め苦を受けるのである。等活地獄の「等活」とは「等しく活る(よみがえる)」の意である。死ぬに死ねず生きるに生きられぬ状態は、まさに地獄だ。1999年の「東海村JCO臨界事故」で放射線被爆した作業員男性は、2ヶ月近く苦痛に喘いだあげく心停止したが、心臓マッサージにより蘇生。心肺停止の影響でさらなる苦痛に数ヶ月苛まれ死亡したという。医師の使命は理解できるが果たしてそれは正しかったのか。


個の時代

また、現代は「個」の時代でもある。個性と自由が重視され、組織に埋没せず、古い慣習に縛られず、自分らしい生き方を探す時代である。一方で人間関係の希薄さ、他者への無関心、伝統的家族構成や地域コミュニティの崩壊など、負の側面も進行している。これらが孤独死、無縁社会といった問題の一要因であることは間違いない。「個」の果てが「独りで死ぬこと」で終わるのはある意味当然である。


現代に通じる「二十五三昧会」

二十五三昧会を現代に復活させようという動きもある。兵庫県の「観瀧山 岡本寺」は曹洞宗の寺院で念仏は行わないが、「メンバーの誰かが倒れた時に、介護し看取りまで行う」「看取りの共同体」的な部分に着目し、毎月1回福祉・介護・医療などの勉強会と、「お互いの『看取り』まで出来るような信頼関係」を築くための交流会を行っているとのことである。

毎月の集会で同志と絆を結び、念仏三昧の時間を共有して後顧の憂いをなくす。そして病んだ時は同志が寄り添い、手厚く看護・介護をし、臨終の際には極楽往生を願う念仏が鳴り響き、往生後も念仏会によって縁は保たれる。「死ねない」時代、「個」の時代を迎えて、念仏結社・二十五三昧会は現代社会の病理に有効なヒントを与えてくれるのではないだろうか。


参考資料

■源信・著/石田瑞麿・訳注「往生要集」(上・下)岩波書店(2003)
■池見澄隆「看取りの精神ー現代と中世の交響ー」『佛教文化研究』第34号 浄土宗教学院(1990)
■梯實圓「日本人の死生観の一側面 ー浄土教徒の場合ー」『心理学評論』第37号 心理学評論刊行会(1994)
■観瀧山 岡本寺 ホームページ


ライター 渡邉 昇

記事掲載日:2021/04/09

結衆・結社の日本史

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