かつて「筑豊三都」の一角を占め、石炭産業で興隆を極めた、福岡県直方(のおがた)市上境(かみざかい)の須賀(すが)神社の裏手に、「建武(けんむ)の板碑」と呼ばれる、古い石造物が祀られている。
板碑とは、鎌倉時代に多くつくられた、死者の供養のために立てる塔婆の一種だ。頂上を山形に整え、その下に二段の切り込みと額部をつくり、広く設けられた身部には、供養の対象となる本尊を仏像や梵字を刻む。そしてその下に造立の願文・願主名・年紀を記す。大きさや高さそのものは巨大なものが少なくないが、厚みが薄く、板のように見えるため、「板碑」と呼ばれている。特に埼玉県・秩父産の緑泥片岩(りょくでいへんがん)製の「関東型」と呼ばれているものが有名だ。
「建武の板碑」の建立時期
これは砂岩製の高さ136cm、幅60cm、厚さ12cmの、摩耗が著しい石碑だが、大きく胎蔵界大日如来の種字(しゅじ、梵字)「アーンク」が読み取れる。銘文に、「帰命十方佛/念発弘願 建武三年」とあることから、南朝延元元年または建武3年(1336年)に立てられたことがわかる。
「建武の板碑」に残る二つの言説
この板碑のいわれには、2つの説がある。ひとつ目は、1336年、京都で敗れた北朝の足利尊氏(1305〜1358)が再起を図るために九州に下った。そこで南朝側の武将・菊池武敏(?〜1341?)が率いる軍勢と多々良(たたら)浜(現・福岡市東区)で激戦となった。最終的に尊氏側の勝利に終わったこの合戦だが、敵味方共に夥しい戦死者が出た。
そこで尊氏は京都・建仁寺(けんにんじ)や博多・聖福寺(しょうふくじ)の住持(じゅうじ)を務めた高僧、明窓宗鑑(みょうそう/めいそうそうかん、1234〜1318)に依頼して、死者の供養をさせ、この板碑を立てたという。この説は、摩耗した板碑の7行目に「明窓」という文字が読み取れることを根拠としている。しかしこれは、合戦が起こった時と、明窓宗鑑の生没年が合致しない問題がある。
もう一つの言説
そしてもうひとつは、かつてこの地に存在した荘園・粥田荘(かゆたのしょう。現在の直方市・飯塚市北部・鞍手郡小竹町・宮若市)の有力者が、亡父の供養のために立てたというものだ。更にその有力者として、近在の英彦山(ひこさん)修験道との関わりを指摘するものもある。
衣食住の貪欲を断って、英彦山から福智山(ふくちやま)まで、往復およそ80kmの距離を渉猟する厳しい修行である秋の峰入り(みねいり)において、須賀神社がそのルートに入っていた。それゆえ、建武元(1334)年に記された「祇園社(須賀神社のこと)大宮司職補任(ふにん)状」に、大宮司職の「不慮横死」を受けて、養子の彦房丸の相続を惣政所(そうまんどころ、土地の統治者)が補任したと記されていること。また、江戸後期の国学者・伊藤常足(つねたり、1775〜1858)の著した『太宰管内志』(1841年)では、先の彦房丸の末裔が、須賀神社の祖であると述べていることから、時期を勘案すると、板碑は須賀神社の大宮司を供養するために造立されたとする説だ。
これら2つの説のどれが正しいのか、今となっては何とも言えない。ただ、室町幕府の礎を築いた足利尊氏の手によると考える最初の説の方が、「歴史のロマン」が際立つのは言うまでもない。しかし、誰を祀ったものであったとしても、700年近く経った今なお壊されることなく、地域の人々に大切にされている板碑そのものの価値や祈りの心が消え失せるわけではない。
最後に…
2020年はコロナウイルスに始まり、コロナウイルスに終わった1年だった。しかし2021年以降、世界中の叡智を結集したワクチンや治療法が効果を発揮し、感染者の増加も止み、社会の混乱や経済の沈滞、更には人々の心から不安感が消え去った時、亡くなった人々の追悼やコロナウイルスそのものの「封じ込め」の願いを込めたモニュメントが日本国内のみならず、世界中でつくられることだろう。それが700年後も、直方の「建武の板碑」のように地域の人々に大切に祀られ、「昔、コロナウイルスと言われた疫病が流行り、多くの人が亡くなった」ことが継承され続けることを心より祈るばかりだ。
参考資料
■多田隈豊秋『九州の石塔 福岡県の部』1974年 福岡県教育委員会
■川勝政太郎「板碑」今泉淑夫(編)『日本仏教史辞典』1999/2002年 吉川弘文館
■中野直毅「英彦山修験のはじまり 筒野の五智如来板碑・建武の板碑」深町純亮(監修)『図説 嘉穂・鞍手・遠賀の歴史』2006年(72-73頁)郷土出版社
■長野覺「首羅山(白山)と宝満山修験道の峰入(入峯)」久山町教育委員会(編著) 『首羅山遺跡 福岡平野周縁の山岳寺院』2008年(99-124頁)久山町教育委員会
■榊正澄「直方の歴史と文化 第3回 福岡県指定文化財 建武の板碑」市民協働課協働推進係(編)『市報のおがた』No.929 2015年6月1日(16頁)直方市役所
■「建武の板碑」『直方市バーチャルミュージアム』
■「歴代の祖師と遺業」『扶桑最初禅窟 安国山聖福寺』