GoToトラベルの効果があってか、観光地が賑わいを取り戻しているという話題をよく耳にするようになった。季節が下り、気温が低くなってきたので温泉地へ旅行に行かれた方も多いのではないだろうか。
歴史のある温泉地に行くと、温泉を発見された所以の説明書きをよく目にする。神仏、武将、野生の動物などが温泉を発見した、といったものである。このように温泉が発見された由来や言い伝えのことを開湯伝説と呼ぶ。
別府や龍神、草津、湯村などは僧侶が発見したとされている
開湯伝説は無数に存在するが、その中でとりわけ仏教の僧侶の名前が目立つ。例えば、大分県の別府温泉、和歌山県の龍神温泉、群馬県の草津温泉、山梨県の湯村温泉など、これらの有名な温泉は僧侶が見つけたとされている。なぜ温泉と僧侶が深い関わりを持つのかを考えてみたい。
入浴と非常に縁が深い仏教
入浴という文化は仏教由来のものである。仏に仕える僧侶は穢れを払い、常に清らかでいなければならないという、いわゆる沐浴の習慣から始まった。そのため寺院の多くに入浴施設が併設されていたといわれている。寺院はしだいに貧しい人々、病人、囚人に対し浴室を開放していった。これを施浴という。仏教において病を退け、福を招来するものとして入浴が推進されていたからである。入浴で得られる徳を説いたお経が存在するほど、仏教にとって入浴は重要なものとみなされていたようだ。
また当時の僧侶の役割が関係している。仏教の教えには身体の健康のことや医療に関する知識が含まれている。それを知る僧侶は医者としての役割も担っていた。治療の一環として僧侶が湯治を勧めることもあった。そして温泉に入ることで体調が回復すると仏の利益であると考え、温泉に対する信仰が根付いていったのである。
温泉と深い関係を持つ行基と弘法大師空海
温泉地に縁がある有名な僧侶がいる。行基と弘法大師空海である。2人とも仏教の布教のために日本全国を行脚した高僧である。この2人にまつわるエピソードは各地に多く残されている。この2人は仏教の布教だけでなく、貧民を救済した話や橋や貯水池を造ったなどの社会事業を行っている。温泉地を開いたというエピソードもそのひとつである。
病人を治療するために温泉を発見し、湯治場を開いたことが始まりだとうたっている温泉地は大変多い。しかしこれは歴史的根拠があるものはほとんどなく、誰もが知る高僧の名前を引用しているにすぎない場所もあるであろう。このように僧侶と温泉が関連付けられるのは仏教や僧侶が当時の人々にとって病を癒す存在というイメージに基づいたものであることがわかる。
鎌倉時代となると医学の知識が向上し、温泉の医学的な根拠が見出され本格的な治療方として温泉が注目を浴びる。また戦国時代になると戦国武将がこぞって戦いの傷を癒すために湯治を行っていたといわれている。
最後に…
今でも温泉地では入浴のことをお湯につかる、と言わず薬につかる、という表現をする。温泉は当時の人々の薬であり、病気を治すための治療の一環であった。それを推奨したというのが僧侶であったことは大変興味深く、仏教が民衆の文化へ強く影響を与えていたことがよくわかる。温泉地に行かれた際は温泉の所以に注目してみると新たな発見があるかもしれない。