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火野葦平に作家としての喜びだけでなく苦悩も与えてしまった矢野朗

ある男のおかげで、今の自分があると、感謝の念を終生忘れなかった男がいた。「ある男」とは、作家・矢野朗(1906〜1959)。そして「感謝を終生忘れなかった男」とは、同じく作家・火野葦平(1907〜1960)のことである。

火野葦平に作家としての喜びだけでなく苦悩も与えてしまった矢野朗

糞尿譚の執筆中に召集令状が火野葦平のもとに届いた

1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件をきっかけとして、日中戦争が勃発した。不穏な空気が日本国内を覆う中、『糞尿譚(ふんにょうたん)』を執筆中だった火野は、愛媛県松山市で身内の葬儀に参加していた。雑事に追われる中でも火野は決して、その原稿を手放さなかった。

そんな時、9月7日のことだった。火野は、自身宛に召集令状が届いたことを知らせる電報を受け取った。その翌日、実家・若松に戻った火野のために歓送会が開かれたが、火野は宴席から抜け出して、ひたすら原稿を書き続けた。もしも自分が戦死してしまったら、それが遺作になると考えたからである。

入隊直前に書き上げ、糞尿譚を矢野朗に託した火野葦平

9日にも文学仲間の劉寒吉(りゅう・かんきち、1906〜1986)らによる壮行会が催されたが、その時も火野は、別室に引きこもって、ラストシーンの執筆を続けていた。とうとう原稿が完成した。達成感で高揚のさなかにあった火野は、「日本一臭い小説ができたけ(できたから)、みんな、鼻をつまんで聞いち(聞いて)くれ!」と、ラスト部分を仲間たちの前で朗読した。その出来に一同は大笑いしながらも、涙を流した。そこで火野は、原稿を同人誌『文学会議』の主催者の矢野に渡すよう、劉に依頼した。そして火野は、心置きなく好きな酒を飲んで、大いに酔っぱらったという。その翌日、火野は小倉第114聯隊に入隊した。幸いなことに、兵隊たちはしばらく近在の宿に分宿することになった。その間火野は、詩集『山上軍艦』の出版を文学仲間の原田種夫(1909〜1989)に無理を言って依頼し、最後の思い出に一目でも見たいと切望していた。22日の夕方、完成した詩集を前に、急遽出版記念会が開かれることになった。火野は特別許可をもらい、軍服姿で参加した。そこで火野は、矢野と運命の出会いをする。火野は30歳、矢野は32歳だった。

糞尿譚が芥川賞に選ばれ、矢野朗は火野葦平の望みを叶えたが…

火野が見た矢野は和服姿で、背がすらりと高く、いかにも人と和合しない風の、近眼鏡をかけた面長の男だった。しかも、話しているうちに、矢野の作風そのままの、「すさまじいばかりの孤独感」がひしひしと火野の心に染み通ってきた。だが、そうは言っても矢野自身の人柄は、豪放磊落な雰囲気をたたえ、話し方は機知とユーモアいっぱい。その上、存在感が大きく、そうザラにいない特異の人物であるとも、火野に感じさせていた。

そのような矢野は、本来は別の作家の作品を載せる予定だったにもかかわらず、『糞尿譚』は力作なので、『文学会議』の第4号に、全編掲載すると火野に約束し、それを果たした。

1938(昭和13)年2月6日、火野の『糞尿譚』が、第6回芥川賞に選ばれた。矢野の計らいが皮肉にも火野を、後に続く『麦と兵隊』(1938年)、『土と兵隊』(1938年)、『花と兵隊』(1939年)の「兵隊三部作」の著者として、多くの国民に愛されたものの、戦後、一転して火野を終生苦しめた「戦犯作家」「戦争賛美」などの「負」のイメージを背負わされる羽目にもなってしまったのである。

矢野朗はどんな人物だったのか

期せずして、火野に作家として最高の喜びと、最大の苦悩を与えてしまった矢野朗とは、どんな人物だったのか。

旧・小倉藩士の富裕な家に生まれた矢野は、体が弱かった。そのため、とても過保護に育てられていた。しかも幼少期に、百人一首や相撲の番付、浄瑠璃のせりふを暗記し、更にそれを逆さまに詠み上げてみせるなど、「神童」として新聞に取り上げられるほどだった。12歳になった時、浄瑠璃の大御所・三代目竹本津太夫(つだゆう、1869〜1941)に見出され、養子となり、「竹本津の子(つのこ)」の名を与えられた。

芥川賞候補にも残った矢野朗の「肉体の秋」

大阪で厳しい修行を重ねていた矢野だったが、13歳にして、大人顔負けの遊蕩にふけるようになる。同時に、保守的な文楽の世界にも反発を覚えた。文学や社会主義運動にも熱中してしまったことから、18歳で破門されてしまう。しかし、文楽同様の「縦社会」「鉄の規律」を社会主義運動の中にも見出した20歳の矢野は、「文学が一番ええ」と、文学者として生きることを決めた。天性の感受性の鋭さや文学的素養、それに加えて、「普通の人」が体験し得ない人生経験のたまものだろうか。文学仲間の劉は、矢野の作品の「構成のたしかさ」を高く評価していた。しかし、35歳当時の矢野の著作で、第10回芥川賞候補に選ばれた『肉体の秋』(1939年)に対して、選者のひとりであった宇野浩二(1891〜1961)は、「書かれてある事がよく現れないで、これ見よがしの大袈裟な文章の方が目に立つ。これは『九州文学』の小説家の大部分に共通している、邪道である」と酷評している。しかしその挫折にもめげず、矢野は終生文学を諦めることはなかった。

54歳で亡くなった矢野朗

4度の結婚、母親の自殺など、私生活の紆余曲折を経て52歳になった1957(昭和32)年8月、矢野は病に倒れてしまう。「わしはもう、酒も、女も、浄瑠璃もダメになった。今は文学だけだ。すこしでもよくなって、早く作品を書きたい」と執念を燃やしていたが、若かりし頃の遊蕩の日々がたたって、全身が病に侵されていた矢野は、医師が「1、2年の命」と宣告していた通り、54歳で亡くなった。

矢野朗の死を特に悲しんだのが火野葦平だった

矢野の死を、多くの文学仲間は悼んだ。殊に、自分が作家として世に広く認められるきっかけを作ってくれた矢野への思いが深かった火野の場合は、矢野自身の一生、また矢野の小説『神童傳』(1946年)へのオマージュとも言える短編小説『神童の果て』(1959年)、矢野に捧げた詩「矢野朗の灯(ひ)」(1959年)、エッセイ「矢野津の子太夫」(1959年)を著した。それだけに、矢野の「喪失」が、その翌年1月の火野の自死の遠因になったのではないか、と考える向きもある。もちろん、その真実は誰にもわからない。

矢野朗に捧げた哀悼の詩

矢野と火野を直接知らない我々にできることはただ、哀悼の詩の最後の言葉、

君が死んでもその灯は消えない。
文学の青白い灯である。
その灯に君の好きなビールを注がう。

を心に深く噛みしめ、矢野が灯した「文学の青白い灯」を絶やさないよう、それを未来に継承していくことだけである。

参考資料

■矢野朗『不知火抄』火野葦平・原田種夫(他)『九州文學選集』1944年(325-355頁) 明光堂書店
■火野葦平「矢野朗出發 短篇集『肉體の秋』序」1940年(159-161頁)改造社
■矢野朗『神童傳』1940/1946年 和田堀書店
■火野葦平「鬼に値する作家」矢野朗『青春の笞』1957年(4-6頁)東京書房
■火野葦平「解説」『火野葦平選集 第1巻』1958年 東京創元社
■九州文學世話人会(編)『九州文學 矢野朗追悼号』1959年9月号 九州文學社
■火野葦平「矢野津の子太夫」『文藝春秋漫画読本』1959年9月号(202-209頁)文藝春秋社
■火野葦平「神童の果て」『小説新潮』1959年9月号(144-174頁)新潮社
■荒木精之「噫、矢野朗兄」『九州文學』1959年10月号(33頁)九州文學社
■山田牙城「矢野朗忌」『九州文學』1960年8月号(7-8頁)九州文學社
■原田種夫「実説・火野葦平(抄) ―『九州文学』とその周辺―」(1960年)石川達三・火野葦平『現代日本文學大系 75 石川達三・火野葦平集』1972/1981年(387-412頁) 筑摩書房
■田中艸太郎「劉寒吉」日本近代文学館・小田切進(編)『日本近代文学大事典』1977年(498頁)講談社
■田中艸太郎「火野葦平」日本近代文学館・小田切進(編)『日本近代文学大事典』1977年(118-120頁)講談社
■東郷克美「火野葦平・人と作品」『昭和文学全集 第13巻 織田作之助 武田麟太郎 阿部知二 尾崎士郎 火野葦平』1980年(1047-1050頁)小学館
■星加輝光「矢野朗」西日本新聞社福岡県百科事典刊行本部(編)『福岡県百科事典 下巻』1982年 西日本新聞社
■劉寒吉『九州芸術風土記』1983年 国書刊行会
■「ふるさと歴史シリーズ 博多に強くなろう No. 30 五足の靴から「九州文学」まで、「福岡と文学」1984年9月 『西日本シティ銀行』 
■劉寒吉『わが一期一会 上』1985年 創思社出版
■「ふるさと歴史シリーズ 北九州に強くなろう No. 5 文学に生命を燃焼した火野葦平」1993年5月 『西日本シティ銀行
■城戸洋『鶴島正男聞書 河童憂愁 葦平と昭和史の時空』1994年 西日本新聞社
■花田俊典「文学者群像(Ⅱ)」海老井英次(編)『ふるさと文学館 第47巻 【福岡 Ⅱ】』1995年(689-704頁) 株式会社ぎょうせい
■川津誠「『火野葦平』編 解説」佐伯彰一・松本健一(監修)『作家の自伝 57 火野葦平』1997年 日本図書センター
■「ふるさと歴史シリーズ 博多に強くなろう No. 67 「九州文学」を支えた群像」1998年3月 『西日本シティ銀行
■原武哲「劉寒吉宛火野葦平書簡の紹介 −野田宇太郎文学資料館所蔵書簡翻刻 (7)−」『福岡女学院大学紀要 人間関係学部編(2)』2001年(13-27頁)福岡女学院大学
■川西政明『昭和文学史 中巻』2001年 講談社
■永井勝「九州名作探訪 4 『花と龍』火野葦平 −北九州市若松−」『財界九州』2001年2月号(73-76頁)財界九州社
■上田正明・西澤潤一・平山郁夫・三浦朱門(監修)『日本人名大辞典』2001/2002年 講談社
■玉井闘志「矢野朗」葦平と河伯洞の会(編)『火野葦平 2 九州文学の仲間たち』2005年(17頁)花書院
■大河内昭爾『明治大正昭和 文壇人國記 西日本』2005年 おうふう船橋治(編)
■『文學界 復刻版 第29巻』2010年 不二出版

ライター

鳥飼かおる

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